前回までの復習(?)
子供の頃の記憶を呼び覚まし、ある日唐突に名古屋城の
プラモデルを作り始めてしまったかすこば。“大人買い”ならぬ
“大人作り”で模型工作に打ち込んだ拙者は、絶対に手抜きはせず
120%本気モードで精密模型を完成させるべく作業に打ち込む。
しかしやる事が次々と増えていくばかりで…(壊滅)
不開(あかず)門に隣接する多聞櫓(糒多聞)に続いては
小天守南側に連なる多聞櫓(具足多聞)に手を付けようと考えたのですが…。
参考資料として、まずこの古写真を見た所から話は始まります!
 
名古屋城本丸の多聞櫓(糒多聞・具足多聞共に)は濃尾大地震で甚大な被害を受けた為
明治24年頃、撤去されてしまいます。比較的古写真の多く残る名古屋城ですが、
大半は昭和になってから撮影された物であるため、多聞櫓まで写りこんでいるのは稀。
中でもこの写真は、具足多聞の北西側が確認できる貴重なものですが、
よく見れば、小天守と連結する壁面(これが写っているのは恐らく唯一かと?)が
左右に分割され、2段の段差を構成しているのが分かります。それに合わせて
石垣も2段だし、具足多聞もその高さで設置されているようです。
という事なので、造型もそれに近づける訳ですが…。
 
具足多聞もパーツ通り作るとL字型の構造になるんですが、古写真のように
それは誤りですので、部材を加工して直線のみの形に改造。そこで余剰になった
壁のパーツを切断し、連結壁面の段差を作り上げます。その上に乗せる屋根は
糒多聞の屋根部品を焼き切った残りの部分(前頁を見てねw)で合成。
とりあえず、ここまでの段階で仮組みしてみると右写真のようになりました。
 
続いて石垣部分を嵩増し。プラ板を細長い帯状に切り取り、石垣最上部に
貼り付け、さらに法面を一体化させるように形状を整えます。
これまた木工用ボンドが大活躍(ボンド最強!)
それが乾いて固定したら、改めてその部分を石垣として塗り直します。
あぁ、また普請に逆戻りや…(苦笑)
 
斯くして外側(石垣)の修正は完了。ですが当然、内側(土塁)も
高さ調整が必要になる訳でして、今度はそれにひとしきり時間を盗られます (^ ^;
壁面左右の段差が生じている部分、その土台になる土塁も
外側と同じだけの嵩増しを行わないといけないので…
 
土塁が段を構成する場所に小石垣があったという感じにして
その部分に差し込む部品を、またもやプラ板で自作。
ちなみにサイズを確認しやすいように撮ったのが右の写真。
CDの盤面に置いてみたところでして、部品の左にある丸い円が
CD盤のセンターホール、直径約1cmといった大きさです。
で、土塁を埋め増していく訳なんですが…法面が窄まっていく状態で
高さを増やした場合、今度は多聞櫓を設置する底面積が小さくなる。
という事は、単に嵩増ししただけでは、逆に多聞櫓が少しばかり
“宙に浮く”状態になってしまう訳です。いや、むしろ多聞櫓の内側に
武者走りとなる余剰面積を用意するくらいでないといけないので
 
高さだけでなく、土塁の厚みも増すようにして大型化。
ただ、やたらに大きくすると今度は小天守との間が埋まってしまうので
丁度良い傾斜角やサイズに納めるのがなかなか大変。
全部パテ(代わりのボンドw)で埋めるのは無理なので、中に調整材として
数本の丸太(という名の爪楊枝w)を仕込んでおきました(笑)
ついでに、土塁を上がる為の階段も自作(史実に基づく位置です)
斜め方向に上がる階段を立体造型に組み込むのはかなり難儀でしたが
そこに土や芝を葺きなおすと、このような形に!
 
これに関する史料は見当たらないんですけど、壁の裏面には必ず
控え柱が建っているのが当然なので、その情景を想定してパーツを自作。
不開門に倣って、石柱にしてみました。そして最後に屋根を被せれば
具足多聞周りの創作は完了いたします! (^ー゚)b あー長かったw
さて、あと残すはいよいよ大小天守のみ。ここまでのところ、壁パーツにおいて
漆喰の塗装→内壁の塗装→窓の格子設置 という下準備ばかりを続けてきましたが…。
 
戦災後に再建された現在の名古屋城天守と、古写真で見る旧来の天守を比べると
最上階の長押(なげし、壁面に浮き出した柱の装飾)や飾り金具が全然違う。古天守の方が
長押がクッキリと浮き出しているし、飾り金具も一回り大きく見える感じ。
なので、大小天守の最上階パーツをスジ彫り&墨入れで長押を強調するようにし
飾り金具もハッキリした大きさで(ちょっとオーバー気味に)色を注します。
 
さぁ、かなりの手間暇をかけて下拵えを続けてきました―――が…
まだもう一つ、下準備があるのよコレが(爆)
えー、これ以上何があるっていうのさ?という感じですがね。
窓周り、詳しく観察してみますと…
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