★この時代の城郭 ――― 天下普請
江戸城に引き続き、駿府城の工事も行った徳川幕府。その工事は諸大名に負担させ
豪壮巨大な城郭が次々と誕生していった。天下人(今回の場合、江戸幕府)が
絶対的な権勢を楯に築城の賦役を諸大名に課す事を「天下普請」という。
政権者は、命令に従わせる事によって諸大名の忠誠度を見極めると同時に、彼らに
経済的・労力的負担を負わせ、その勢力を削ぐ狙いがあった。一方、大名にとっては
政権者に対して忠誠を示すまたとない機会であり、(好むと好まざるとに関わらず)
積極的に参加する必要があったと言える。幕府の指示に反する事は、即ち反逆を意味し
討伐の対象となってしまう。彼らは戦々恐々としながら築城に従事したに違いない。
こうした普請事業は、主に土木面での作業がメインであった。敷地を造成し、堀を掘削し
土塁を盛り、石垣を築く。最も重労働で費用のかかる部分が諸大名に割り振られたのだ。
事業に参加した諸大名は、自らの功績を主張し忠誠の証としたのだが、特に顕著なのが
石垣の構築だ。如何に高く、如何に見事な石垣を築いたかはその大名の“技術力の高さ”を
披露する事に繋がる。と同時に、石材には刻印を残せるので「これが我々の成果だ」と示すに
うってつけの場所だったのである。天下普請で築かれた城の石垣には、こうした刻印が
数多く残されているので、城跡を見て歩く際、探してみるのも良いだろう。
江戸城田安門石垣刻印(東京都千代田区)
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