★この時代の城郭 ――― 戦国大名の陣城
一般的な城郭のイメージと言うと、現在は観光地化されたような近世城郭が思い浮かぶだろう。
大名の居城となり、領国統治の政庁となり、総力戦を耐える巨大な防衛構築物だ。
それ以外の城郭と言うと、小さな村の領主が館を構えた地方の小城・陣屋とか、
「城」というよりも「屋敷」と言うほうが適当な居館址とか、せいぜいそんな感じだろうか。
「陣城」と言われてもピンと来ない人の方が多いだろう。今挙げた近世城郭・陣屋・居館などは
主に支配階級である武将が居住した場所に厳重な防備を施した遺構の事だが、
ではいったい、陣城とはどのようなものだろうか。簡単に言えば、野戦陣地や砦の類だ。
合戦というもの、簡単に1日2日で終わるものではない。軍を発し、行軍し、敵と遭遇しても
すぐには手を出さず、様子見をしたり策を練ったりする事もある。となればその間、
率いてきた軍勢を逗留させる場所が必要だ。もちろん、時節を見計らって総攻撃をかけ、
あるいは敵軍が先に攻撃を仕掛けてくる事もあり得る訳だから、ただ野原に無防備な
展開をしているという事が許される筈はない。備えもなく油断して軍を留めるなど、
およそ戦をする武人ならば絶対に行ってはならないものである。そこで築かれるのが陣城だ。
軍勢を待機させ、敵の襲撃を防ぐための野戦陣地だが、臨時のものと言えども、
自軍の現場拠点となるような防備を施すのである。周囲を柵列で囲い、塹壕的な堀を掘削し、
土塁を構築し、もちろん出入口となる場所は虎口の形状を整える。
さすがに「その場しのぎ」の陣地なので、石垣や恒久的な建物まで用意する事は滅多に無いが
それでも、縄張り的には立派な城郭と呼べる構造になっている。戦国モノのドラマなどでは
派手な合戦シーンばかり映像化され、こうした陣中の情景はなかなか描かれないので
現代人にとって想像し難く、また、近世城郭のように現在まで残る遺構も少ないため
(正確には「風化してわかりにくくなっている」と言うべきか)陣城が史跡として
一般的に知られ易いものにはなっていないのが現状だが、実の所、「城」と定義される
史跡たるや、圧倒的に陣城の数が多いのである。当然の事だが、大名の居城となる城は
一国に1城か2城程度しかない。それに比べ陣城は、合戦の数だけ、軍が行動しただけ
次々と築かれたのだから膨大な数量になるのはお分かりであろう。
居住するためではなく、戦の時だけ臨時に使い、陣を引き払えば放棄する城郭。
しかしそれは合戦時になくてはならない自軍の行動拠点となるものだ。特に織田家の武将は
大小問わず、合戦時にこうした陣城を多用する傾向が見られ、小谷城の攻城戦や
秀吉の播磨攻略時などに数え切れないほどの小城郭を構築してきた。そして今、
来るべき決戦に備え、早くも賤ヶ岳近辺で秀吉が、勝家が陣城を築きはじめたのである。
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