★この時代の城郭 ――― 戦国の城攻め(3):水攻め
水攻めは長囲攻めの一種であり、文字通り敵の城を水没させる攻め方だ。
低湿地の水利を活用する水城は、周囲の湖沼や河川などを水濠として用いる事で
攻城軍を寄せ付けぬような構造になっている。城攻めには、船を使うか泳ぐかして
城に近づかねばならないが、それは籠城側から狙い撃ちし易い格好の的になるのだ。
しかし、低湿地という事は水が溜まりやすい地形という事であるため、城の防衛に
必要な水位よりも多い水を引き込めば、逆に城側が浸水の危機に見舞われる。
これを利用した城攻め方法が水攻めである。
城の周囲に堤防を作って囲み、その中に川の水や雨水を溜めて敵の疲労を待つのだ。
堤防を作り水を引き込むという作業は、大規模な土木工事を行う資金力が何より必要。
さらには周辺住民を動員するだけの統率力もなくてはならないし、天候や水源の確保など
いくつもの条件が重ならなければ成功しない。しかしひとたび水を引き込む事ができれば
目標城は完全に孤立し、外部との連絡は遮断される。情報や物資の遣り取りは勿論、
城側から打って出る事も出来ない。場合によっては衛生状態の悪化も考えられ、
城中で疫病が発生する事例もあるし、更に水かさが増せば兵糧切れとなるよりも前に
城内に留まる事すら不可能となるため、城攻め方法としての効果は絶大だ。
秀吉はこの方法で備中高松城を攻め立て、籠城兵や毛利援軍に圧迫を与えると共に
備中地方の領民に対しても、秀吉軍の強さや財力を見せつけたのである。
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