★この時代の城郭 ――― 戦国の城攻め(2):兵糧攻め
強襲の項目で書いたが、城を落とすには籠城軍の3倍以上の兵力が必要とされる。
攻める側と言えども、多大な犠牲を払わねば城を攻略する事は不可能なのだ。となると、
被害を最小限に抑えるには籠城側に大いなる疲弊を強いる作戦を用いねばならない。
古来から戦争の際にはそうした戦略を念頭にして軍を動かす戦法が確立されてきた。
その最たるものが兵糧攻めであろう。読んで字の如く、城内の兵糧を消費させ
城兵が飢餓に陥るのをひたすら待つ持久戦法だ。しかし、籠城側も兵糧の確保が
城を守る最重要項目と認識しているのは当たり前。食料の消費は最小限に抑え
何とか城外から物資の補給を得る手段を取ってくる。という事は、兵糧攻めを行うには
城を完全に外部と遮断し、籠城軍が食料を入手する隙を与えぬようにしなくてはならない。
時に陣城を構えるなどして攻略対象城を長期に渡り包囲し、城兵を外部と完全に遮断し、
敵を孤立させるのだ。兵糧が尽きれば城内は飢餓に陥り、自ずと降伏せざるを得なくなる。
こうした包囲を長囲攻めと言い、労力や時間、軍資金を多く必要とするものの
力攻めに比べれば格段に自軍兵士の犠牲が少なくて済む利点がある。
特に秀吉はこういった長囲攻めの名人で、上記した鳥取城をはじめ
三木城の別所氏攻略、浅井氏の小谷城攻めなど、数々の攻略を成功させている。
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