★この時代の城郭 ――― 戦国の城攻め(1):強襲(ごうそ)
兵法理論において一般的に、城を落とすには籠城軍の3倍の兵力が必要とされる。
無論、個別の状況によってその数値に上下はあるだろうが、少なくとも3倍の兵力がなくては
城を落とす事ができないものである。もし守り手が強力な城や軍勢ならば、3倍どころか
さらに多くの兵力がなくては、攻撃側のダメージも当然のように大きくなるであろう。
城攻めと言うと、追い詰められて逃げ込んだ敵にとどめを刺すような感覚で、
簡単に落城させられるというふうに考えられるかもしれないが、実はそうではないのである。
敵を侮ると、逆に攻城側の方が手痛い逆襲を受け、敗退する事もあるのだ。
(大内義隆の月山富田城攻め、上杉方連合軍の河越城攻めなどが好例)
しかし、逆に言えば3倍以上の圧倒的兵力を擁して城攻めを行うのであれば
多少の犠牲を払ってでも、短期決戦で強引に城への攻撃を敢行する場合があった。
こうした攻城方法を強襲(ごうそ)と言う。要するに、力攻めである。
城門をブチ破り、籠城側の守りを突破し、相手を叩きのめす。
時には火攻めを行って城を破壊し、あるいは城下町にも火をかけて焼き討ちし
籠城兵の戦意を挫くような事も行われた。また、夜襲や朝駆けのような奇襲作戦や
時に和議と見せかけて攻撃するような駆け引きも。
一つの城を攻めるだけで時間や糧秣を浪費しては、他方から攻撃される危険性がある故、
何よりも強襲は相手をねじ伏せ、短期で敵城を攻略する事を要求されるのだ。
城の大手門(正門)に総攻撃をかけ、正面突破を図る平攻めのような正攻法あり、
敵城に通じる間道を掘り進め、不意打ちを食らわせるような奇策もあり、
強襲の戦法は様々で、加えて、力攻めは攻城軍の戦果を見せつけるような勝利によって
その後の占領地統治にも影響を与えるような意味合いも持っていたのである。
なお、奪った城をそのまま再利用する場合もあれば、廃城にするケースもあるため
それに応じて強襲の手段も変化する。信長が義景の居城・一乗谷城を落とした事例は
強襲の中でも最も激しい攻撃と言え、城のみならず城下町までも廃絶させるような
徹底的破壊活動を行ったパターンであった。
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