★この時代の城郭 ――― 多聞山城
久秀が大和制圧の為に築いた多聞山城は、城郭史において特筆すべき城である。
戦国期〜近世城郭において、塁(もしくは石垣)上で長屋状に細長く連なる櫓が
単なる塀を上回る防衛力を発揮する設備として、
あるいは居住空間や備蓄容積を確保する建造物として
盛んに建てられるようになるが、この形式の櫓を「多聞櫓」と呼ぶ。
その名の由来は、久秀の築いた多聞山城にあるとされ、
この城で初めてこうした櫓が設置されたため、と言われている(異説あり)。
堅牢な防衛施設として、そして効率良い居住建築・収納倉庫として
多聞櫓の概念は多くの城に取り入れられており、
代表的なものに江戸城の伏見櫓、姫路城の西ノ丸多聞櫓などがある。
多聞櫓の形式
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