奈良の都

飛鳥宮、難波宮、大津宮、そして藤原京と変遷してきた天皇の皇宮は
710年、新たなる都・平城京へと移された。
これ以後、794年の平安京遷都までの80余年を奈良時代と呼ぶ。
言うまでもなく、平城京を建てた地が奈良であったことから名づけられた時代区分である。


新都造営 〜 和銅の時代
707年に文武天皇が没し、その母・元明天皇が即位。
翌708年には武蔵国(現在の神奈川県の一部と東京都・埼玉県)秩父郡で銅が産出された。
日本で初めて銅が産出された事を記念して元号が和銅と改められる。
同時に、官吏の増大などで手狭になった藤原京に代わる新都の建設が着工された。
かくして710年、造営中の新都・平城京へ元明帝らは居を移した。
奈良時代の始まりである。

★この時代の城郭 ――― 都城制都市
藤原京もそうであったが、平城京は唐の首都・長安を模して作られた都市である。
当時の長安は全周を城壁で囲い、その内側を碁盤の目のように大路が走り
整然とした町並みを築いていた。中央北端に皇城領域を定め、皇帝の居所や
政務を執る政庁などが入っていた城砦都市で、この形式を都城制(とじょうせい)都市という。
藤原京や平城京は城壁で囲うことはなかったが、碁盤のような街路や
中央北端における大内裏(だいだいり、天皇の居所)の配置、
皇城(大内裏)正門としての朱雀門(すざくもん)建設などは同じである。
長安城と平城京左:長安城 右:平城京
近世城郭で完成される日本城郭の要素を3つ挙げるならば
1.戦争時に立てこもり、出撃基地となる戦闘的用途
2.その地域の領主である武士の館となる居住的用途
3.領主が領土の統治・支配を行うための政庁的用途
の3つになるが、1の戦闘的城郭が確立するのは鎌倉時代末期、
2の居館的城郭が作られるのは武士団が発生する平安時代中後期を待たねばならない。
しかし、3の政庁城郭についてはこの都城制都市に起源を見ることができよう。
藤原京・平城京・平安京と作られる都城制の城郭は、後に築かれた
東北における蝦夷討伐の前線基地となった多賀城や胆沢城などで一つの完成点を迎える。

銅が産出された事により、唐にならって日本でも貨幣の鋳造が行われた。
708年鋳造の和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちんとも)である。
通説では日本最古の貨幣と言われていた和同開珎であるが、
最近の研究ではこれに先立つ富本銭(ふほんせん)が発見されており
この通説は覆されるようになった。
ともあれ、日本でも貨幣制度が導入される事になったわけだが
一般庶民にとっては物々交換での流通が主たる売買手段であった。
当時の庶民に「単なる丸い金属板」でしかない貨幣の価値は全く理解できず、
(現代の感覚ではそれこそ理解し難い話であるが)
自分に必要な現物を直接取引する方法以外は眼中になかったのであろう。
貨幣流通を何とか軌道に乗せたい朝廷は、
711年に蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)を発布する程である。
この法令は読んで字の如く、貨幣流通に貢献し銭を貯めた者に官位を与えるもの。
それでも貨幣は一部の者にしか価値を認められなかったようである。
結局、和同開珎は都とその周辺の限られた地域でしか流通しなかったが
年月を重ね幾度と新貨幣が作られるに至り、ようやく経済手段として使われるようになった。
708年の和同開珎から958年に鋳造された乾元大宝(けんげんたいほう)までの
12種類に及ぶ貨幣を皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ぶ。
名称
鋳造年
天皇
1
和同開珎
わどうかいちん
708年(和銅元年)
元明
2
万年通宝
まんねんつうほう
760年(天平宝字4年)
淳仁
3
神功開宝
じんごうかいほう
765年(天平神護元年)
称徳
4
隆平永宝
りゅうへいえいほう
796年(延暦15年)
桓武
5
富寿神宝
ふじゅしんぼう
818年(弘仁9年)
嵯峨
6
承和昌宝
じょうわしょうほう
835年(承和2年)
仁明
7
長年大宝
ちょうねんたいほう
848年(嘉祥元年)
仁明
8
饒益神宝
じょうえきしんぽう
859年(貞観元年)
清和
9
貞観永宝
じょうがんえいほう
870年(貞観12年)
清和
10
寛平大宝
かんぴょうたいほう
890年(寛平2年)
宇多
11
延喜通宝
えんぎつうほう
907年(延喜7年)
醍醐
12
乾元大宝
けんげんたいほう
958年(天徳2年)
村上
皇朝十二銭
新都造営の進言は持統天皇以来の宰相・藤原不比等が行ったと言われる。
飛鳥時代に同じく、藤原氏の権勢は着々と受け継がれていたのである。
718年、現状に合わなくなっていた大宝律令に替えて養老(ようろう)律令を撰修。
編者はもちろん右大臣・藤原不比等である。
不比等は720年に没し、藤原氏の命運は不比等の4人の男子と1人の娘に託された。
藤原の四家と光明子(こうみょうし)である。



前 頁 へ  次 頁 へ


辰巳小天守へ戻る


城 絵 図 へ 戻 る