★この時代の城郭 ――― 都城制都市
藤原京もそうであったが、平城京は唐の首都・長安を模して作られた都市である。
当時の長安は全周を城壁で囲い、その内側を碁盤の目のように大路が走り
整然とした町並みを築いていた。中央北端に皇城領域を定め、皇帝の居所や
政務を執る政庁などが入っていた城砦都市で、この形式を都城制(とじょうせい)都市という。
藤原京や平城京は城壁で囲うことはなかったが、碁盤のような街路や
中央北端における大内裏(だいだいり、天皇の居所)の配置、
皇城(大内裏)正門としての朱雀門(すざくもん)建設などは同じである。
左:長安城 右:平城京
近世城郭で完成される日本城郭の要素を3つ挙げるならば
1.戦争時に立てこもり、出撃基地となる戦闘的用途
2.その地域の領主である武士の館となる居住的用途
3.領主が領土の統治・支配を行うための政庁的用途
の3つになるが、1の戦闘的城郭が確立するのは鎌倉時代末期、
2の居館的城郭が作られるのは武士団が発生する平安時代中後期を待たねばならない。
しかし、3の政庁城郭についてはこの都城制都市に起源を見ることができよう。
藤原京・平城京・平安京と作られる都城制の城郭は、後に築かれた
東北における蝦夷討伐の前線基地となった多賀城や胆沢城などで一つの完成点を迎える。
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