★この時代の城郭 ――― アイヌの「チャシ」
琉球のグスクが本土の城郭と異なる性格・歴史を有したのと同様、アイヌ民族が
独自の発展を為した城址をチャシと言う。その定義としては、一般に16世紀から
18世紀にかけて用いられたものを指し、史上特に有名なものはコシャマインの乱で
使われたものや後述するシャクシャインの乱で登場するものだ。
「チャシ」とは当然アイヌ語、「城」「砦」といった意味で使われる単語だが本来的には
「柵・柵囲い」といったものが起源。だが、チャシの存在は単にそのような戦闘的
施設としてだけではなく、堀や切岸で周囲と明確に区分された特別な敷地たる
「祭祀の場」「談合の場」「見張り場」としての意味合いを持つ。この点、琉球の
グスクと通じるものがなくもない。また、北海道らしい特有の利用法として、川岸や
海岸沿いに設置し「鮭漁の拠点」とする場合もあったようだ。
チャシは全道に約530を数えるが、特に釧路・根室・十勝・日高周辺に多い。
ほとんどのチャシは丘陵を利用した立地で、起伏を基にして平場を拓き、その周囲を
切岸で隔絶し地形効果を出す構造。本州や琉球の城とは異なり、石垣は使わない。
チャシの築かれた場所に関連し、現在は便宜的に4つの形式に分類されている。
1.丘先式 岬や丘の先端部に占位するもの
2.面崖式 崖に面する台地に占位するもの
3.丘頂式 丘の頂部に築造するもの
4.孤島式 平地に孤立し、まるで島が浮くような立地にあるもの
孤島式は実際に湖の中の島をそのまま利用する場合もあった。こうしたチャシは
歴史的起源を遡れば祭祀の場として成立したのが始まりのようだが、いつしか
アイヌの政治的談合の場、そして戦闘要塞へと発展し、和人との戦いにおいて
防衛拠点として活用されていったのである。
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