櫓の種類


櫓は元来「矢倉」と書き、字の如く武器や兵糧の貯蔵庫であった。
戦術の発達につれて貯蔵量が多くなり、矢倉も大型となっていき
物見や防衛拠点となる「櫓」へと変貌していったのである。
城郭構造物の要、櫓についての解説頁。

櫓の形状と名称
一口に「櫓」といってもその形状はさまざまである。
一般によく知られている土蔵形式の櫓でも
外観上で一重・二重・三重に見える違いによって
平櫓(一重櫓)・二重櫓・三重櫓の呼称で分けられる。
但し、城の櫓は外観の階数と実際の階数が一致しない事も多く(重階不一致)
例えば、外観が二重でも内部は三階だったりする場合などがある。
このような櫓は「二重三階櫓」と呼ばれる。
また、三重櫓は特に大型の建造物となるため
天守閣の代用として使用された事も多い。
何らかの事情で天守閣が建てられなかった場合や
既存の天守閣が焼失した場合などに
予算の都合上、建築を取りやめたり
幕府の警戒を恐れて名目上「天守閣はない」という事にしておき
三重櫓を建造して代用天守としたのである。
徳川幕府の本城である江戸城でさえ
天守閣が明暦の大火で焼失した後は予算的に再建を断念し
焼け残った富士見櫓(三重櫓)をその代用としたほどである。
小田原城平櫓

小田原城(神奈川県)平櫓
小田原城二ノ丸隅部を守る平櫓

江戸城二重櫓

江戸城(東京都)二重櫓
現在の皇居正面にあたる大型の二重櫓

小峰城三重櫓

小峰城(福島県)三重櫓
事実上の天守として建てられた三重櫓

塁上に長屋形式で連なる長櫓もある。
この形式の櫓を多聞櫓(たもんやぐら)と呼ぶ。
これは大和国(現在の奈良県)多聞山城に
始めて築かれた事が名称の由来とされる。
姫路城西ノ丸多聞櫓姫路城(兵庫県)西ノ丸多聞櫓
なお、各城に個別な櫓名称として
多聞櫓のうちでもその長さを名称にしたもの
【三十間長屋〔金沢城(石川県)〕、十八間櫓〔熊本城(熊本県)〕など】や
形状を例えて名称にしたもの
【天秤櫓―左右対称な形状が由来〔彦根城(滋賀県)〕など】がある。

櫓の用途と名称
先に書いた通り、櫓は本来貯蔵庫であったため
収蔵品を櫓の名称にしたものも多い。
弓矢櫓・鉄砲櫓・大砲櫓・硝煙櫓・馬屋櫓
御用米櫓・塩櫓・味噌櫓・御金蔵櫓・茶壷櫓といった例である。
また、城にとって水利は特に重要なものであったため
井戸を守るための井戸櫓・井郭櫓・水櫓なども作られた。
その他、用途を名称としたものとして
富士見櫓・月見櫓・花見櫓・潮見櫓【風雅目的】や
太鼓櫓・鐘櫓【時報目的】といったものがある。
姫路城(兵庫県)の化粧櫓などは特殊な例で
女性の住居用として作られた櫓のためこの名が付けられた。
時の姫路城主本多忠刻(ほんだただとき)に
徳川秀忠の娘・千姫が嫁いだため
千姫の居所として建てられたのが化粧櫓である。

櫓の地名と名称
櫓を設置した場所を名称としたものもある。
単純なものとして、方位を名称とした
西南櫓・東北櫓といったものや
方位を十二支の干支に置き換えて表現した
辰巳(巽)櫓・戌亥(乾)櫓というものである。
さらに各城に個別な名称として
その櫓のある地名を名称とした
日比谷櫓〔江戸城(東京都)〕・挙母櫓〔岡崎城(愛知県)〕
佐和口櫓〔彦根城(滋賀県)〕などがある。
特殊なものとしては、他城から移築されてきた櫓で
移築前の城名を櫓の名称にしたものがある。
神戸(かんべ)櫓〔桑名城(三重県)〕・伏見櫓〔福山城(広島県)など〕
宇土櫓〔熊本城(熊本県)〕といったものが代表的な例で
それぞれ神戸城、伏見城、宇土城から移築されてきた櫓である。

櫓の数量と名称
近世大名の首府として作られた城郭は
大規模で櫓の数も多い。
用途や地名だけでは名称が付けられない場合もあり
櫓に数字を割り振った命名も見うけられる。
徳川期大坂城(大阪府)は一番櫓〜七番櫓といった具合で名を付け
姫路城(兵庫県)では「いろはにほへと…」の順で
いノ櫓・ろノ櫓・はノ櫓…の櫓が建てられている。




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