門と虎口(1)


土塁(石垣)・塀(柵)によって城は囲われている。
城への出入りは限られた場所のみが許されることになり
戦時に殺到する敵を食い止める構造が用いられるようになった。
登城口となる門の構造を解説する。

門の名称
城門は一ヶ所に限られるわけではない。
各曲輪にはそれぞれ門が置かれるし
非常時の脱出口として隠されたものもある。
城の正面玄関となる門を「大手門《追手門とも》」という。
逆に裏口となる門は「搦手(からめて)門」という。
一般に大手門は城の威厳を保つために豪壮で大きなものが作られる。
搦手門は敵に見つかりにくいよう質素で目立たないような場合が多い。
特殊な用途の門では、通常は開放しない「不開門《不明門とも》」
戦闘時に門自体を埋めて通れなくする「埋(うずみ)門」
(埋門は埋めやすいように地下道・切通しになっている形態が多い)
城内で死者が出た場合に遺体を搬出するための「不浄門」
敵からは見えないよう隠された位置にある「隠門」という名称がある。
姫路城埋門姫路城(兵庫県)の埋門

門の建築形式
門とは塀の一部を切りとって出入口としたものである。
単に塀の出入口に扉をつけた門を「塀重門」【図1】
これに横木を組み強度を増した門を「冠木(かぶき)門」【図2】という。
冠木門に屋根をつけたものが「棟門」【図3】
棟門に支柱を取りつけたものが「薬医門(四脚門)」【図4】
薬医門の支柱にも小屋根をつけたのが「高麗門」【図5】である。
門の建築形式
棟門には武家屋敷の豪華な装飾がされたものもあり、
特に唐破風(別頁参照)の屋根を付けた門を「唐門」という。
二条城二ノ丸唐門二条城(京都府)の唐門

櫓門の建築形式
時代の推移により城郭が大規模になると
土塁(石垣)上に櫓を作り、
その塁をくりぬいて門とした形式が発達する。
これが渡櫓形式の門である。
渡櫓形式門
また、塁上の建築が櫓門として独立したものでなく
そのまま多聞櫓(別頁参照)として塁上に続く場合もある。
これは多聞形式の門として区別される。
実例はあまり多くないが、彦根城天秤櫓門などが有名。
多聞櫓形式門
土塁(石垣)を利用せず、平地上に2階建ての櫓を作り
これに扉をつけて門とした物も多い。
楼門形式の門で、弘前城の現存各城門や
仙台城大手門(太平洋戦争の空襲で焼失)などが挙げられる。
楼門形式門




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