曲輪について


城郭の内部は、機能や用途に応じて小さな区画に分割されている。
区画の分割により、万が一ある区画が敵に攻め落とされても
残った区画に篭って戦闘を継続することが可能となる。
こうした区画を「曲輪(くるわ)」と呼ぶ(郭・廓の字をあてることもある)。
近世城郭では曲輪を「丸」の呼称で呼ぶのが通例となっている。
以下に代表的な曲輪の役割を記載する。

本丸《一ノ丸・本城とも》
城の中心となる曲輪であり、平時においては城主の住居区域とし、
戦時においては総司令部となる部分である。
近世城郭では政庁となる御殿や天守閣といった建造物が建てられた区域。

二ノ丸
本丸を直接防御するために作られた曲輪。
武器・弾薬・兵糧の貯蔵や兵士の駐屯が行なわれる。
平時においては本丸に準ずる役割をし、御殿なども作られた。
二ノ丸以内を「内曲輪」あるいは「内城」と呼ぶ場合もある。

三ノ丸
本丸を間接的に、二ノ丸を直接的に防御する曲輪。
城の外郭を構成する広大な敷地を有する事が多く、
平時において家臣屋敷や馬場・厩などが置かれた。
平山城では丘陵部の外である平野部に設けられたため
特に「内山下(うちさんげ)」と呼ぶ場合もある。

天守曲輪
天守閣は本丸内に設置されるものだが、
天守閣が他の櫓・壁を連結して独自の曲輪を構成する場合がある。
これを本丸と特に区別して天守曲輪と呼ぶ。
連立式天守閣(別頁参照)における独特の呼称。

山里曲輪《山里丸とも》
戦国動乱が収束し、城郭が戦争目的よりも
城主の宮殿・政庁として発展すると
戦闘とは関係なく庭園・池・茶室などを建てて
風雅を愛でるための曲輪がつくられた。
こういった曲輪を山里曲輪と呼ぶ。
「御花畑」「御楽園」などもほぼ同義。
日本三名園として知られる「後楽園」「兼六園」「偕楽園」は山里曲輪の好例。
(それぞれ岡山城、金沢城、水戸城の山里曲輪)

水ノ手曲輪・井戸曲輪
戦闘時における最大の問題は飲料水・防火用水の確保である。
水源を断たれては籠城が不可能となり落城してしまう。
ゆえに水利の確保は城郭建設上不可欠な要素であった。
用水源である井戸・湧水・河川を「水ノ手」と呼び、
これを厳重に防備するためにつくられた曲輪を水ノ手曲輪という。
特に井戸専用の曲輪の場合は井戸曲輪とされる。

その他の曲輪
城郭が巨大化するにつれ、さまざまな曲輪がつくられるようになり、
西ノ丸・北ノ丸・東ノ丸といった独立曲輪を構成することもあった。
また、城の外部に前線基地となる曲輪(これを「出丸」と呼ぶ)を設置する例もあり
特に有名なものが1614年の大坂冬の陣における「真田丸」であろう。
豊臣方の武将真田幸村が大坂城の南側に築いた要塞で、
寄せ手の徳川方は遂にこの出丸を落とすことができなかった。
この他にも各城ごとに特色のある曲輪が数多く存在する。

総構え
中世〜近世日本の都市形態は城を中心として
その外部に町屋が成立する、いわゆる「城下町」である。
城郭の更に外部に堀や土塁を築いて、外敵の侵入を阻止すると共に
この内側が「城主の守るべき領界」とする大規模な防衛線を敷くことがあった。
これを総構えと呼ぶ。代表的な総構えに大坂城、丹波篠山城のものがあるが
特に小田原城の総構えは城下町全体を取り囲む史上空前の巨大な総構えであった。




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