城の立地


古来から城郭は、町やそこに住む人・財産、周辺の耕作地・港湾施設などを
外敵から守るための防衛拠点として成立してきた。
人間が定住生活を営むようになった縄文後期〜弥生時代には集落全体を環濠で囲み
身分制の発達と共に領主の館をより厳重に防御する設備が発展した。
武家社会の成立期となると、他勢力との抗争を主眼として
領主居館は一層の巨大化・要塞化を為す。これが城である。
当然、城をつくる場所は守りやすく攻めにくい事を基準として選ばれ、
その風土や城主ごとに独自の改良が加えられてきた。
城の立地に関して主な類型を挙げると以下の三形式に分類される。

山城(やまじろ)
武士の抗争が激しくなる鎌倉時代末期〜戦国時代に用いられた形式。
平時においては平野部の居館で生活する武士が、
合戦時のみ険しい山間部に篭って敵と戦った。
このための拠点が山城であり、戦闘時の「詰めの城」とした用い方である。
ただし、戦乱が激しくなる戦国時代には平時から山城を居館とする城主も出現した。
戦闘性能を重視する戦乱期の城郭形態である。
★主な山城…七尾城(石川県)・岩殿山城(山梨県)・小谷城(滋賀県)など
山城

平城(ひらじろ)
大昔からある城の形態で、平野部のひらけた土地につくられた城郭。
領主の居館を要塞化させたものと考えればよい。
平野部にあるため城下町・耕作地を拡張することが容易であり
産業・文化の発展が著しい大都市を形成できるが、
防衛施設としての性能を維持するためには様々な工夫が必要である。
江戸時代に入り太平の世になると山城がすたれ、
近世城郭として領国経営の政庁となる平城が一般的となる。
★主な平城…江戸城(東京都)・松本城(長野県)・二条城(京都府)など
平城

平山城(ひらやまじろ)
戦国の争乱から統一政権成立の過程において成立した城郭形態。
すなわち、小勢力が乱立し抗争を繰り広げた時期が終わり、
大大名による集約統治が行なわれるようになった事により
戦時の拠点となる山城・平時の城下町支配の中心となる平城、
その両方の性格を併せ持った城が建設されるようになったのである。
これが平山城で、平野部に独立した小高い丘陵を丸ごと城郭として取りこんでいる。
★主な平山城…小田原城(神奈川県)・安土城(滋賀県)・姫路城(兵庫県)など
平山城

以上が一般に分類される城郭の立地における形態であるが、以下のような特殊例もある。
水城(みずじろ)
主に平城の一形態であるが、海・湖・川などに隣接し
この水利を水濠として取りこんでいる場合の特別分類である。
海面・湖面を背にしているため、敵に面する地域は半分で済み、
水運を利用した輸送・連絡を容易にした独特の性能を有している。
外見はさながら水に浮かぶような優美な印象を与えると同時に
敵軍に対する心理効果も狙ったものである。
★主な水城…小浜城(福井県)・高島城(長野県)・高松城(香川県)など

稜堡式城郭(りょうほしきじょうかく)
立地による分類とはやや異なるが、ここに記載しておく。
ヨーロッパで発展し、江戸時代末期に日本で取り入れられた築城法。
近代に入り、火砲による戦闘が主流になると築城方法に変化が現れる。
すなわち敵の攻撃目標となるような高層建築物を廃し、
高い土塁と堀によって防御する城郭形態である。
城からの応戦も火砲によるものとなるため、土塁には大砲用の砲座を設け
大砲や弾薬の移動がしやすい平坦な構造となっている。
★主な稜堡式城郭…函館五稜郭(北海道)・江戸湾台場群(東京都)・龍岡城(長野県)など



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