縄張り


曲輪の構成・繋げ方はすなわちその城の設計基幹である。
これを「縄張り」と呼び、その図面を「縄張り図」という。
城の立地・地形・周辺の環境により縄張りは様々に変化するが
以下のような分類に大別されている。
※図中の1・2・3はそれぞれ本丸・二ノ丸・三ノ丸を意味する

連郭式
本丸・二ノ丸・三ノ丸を直列状に配置した縄張り。
各曲輪は独立して切り離された状態にあり、
その間を橋などで連結して通行するようになっている。
連郭式

梯郭式
各曲輪は隣接しているものの、階段状に連なっている。
このような様式の縄張りを梯子になぞらえて梯郭式と呼ぶ。
本丸の背後が絶壁・川などで隔絶され堅固な場所の立地に多い。
梯郭式

輪郭式
本丸・二ノ丸・三ノ丸を同心円状に配列した形式。
城の敷地は四方に広がり、侵入路も長く複雑なものになるため
外敵を撃退する罠を多数仕掛ける事ができる。
輪郭式

以上が縄張りの基本形態であるが、
実際の城ではこれらの形式を組み合わせたものが多い。
一例を挙げると本丸・二ノ丸が連郭式で
それを三ノ丸が輪郭式で囲う、といった具合である。
複合形式の縄張り例複合形式の縄張り例
また、侵入路を一方通行の渦巻き状として防備を固めた「渦郭式」や
稜堡式城郭のような複雑に屈曲した単一の縄張りという例もある。
さらに曲輪の高低差や堀・河川・建築物の位置などによって
城郭の縄張り形態はさまざまな様相を呈している。
渦郭式渦郭式
稜堡式城郭稜堡式城郭の縄張り

通路の仕掛け
城下町にも敵を防ぐ様々な工夫がなされている。
町の出入口には木戸を設け、通行する者を監視し
敵が攻めてきた時には封鎖をしてしまうようになっている。
町屋の並びも複雑なものにしてあり、
街道は数多くの屈曲をして通行しにくいものとしたり
道幅を時折狭くして敵の軍勢が渋滞するようにしてある。
こうした罠は城下に多数仕掛けられ、
城内のみならず城下町でも攻防が行われることがある。
有名なものは1585年(天正13年)の上田城攻防戦で
攻め手の徳川軍を城下の隘路に引きつけた守勢の真田軍が
こうした罠を利用して一気に叩き潰した例がある。
当然、屈曲・迷路化は城内の通路にも作られる。
階段などはわざと段差を不均等なものとして
攻め手の歩調を乱すようになっている。
見通しの利かない迷路の中で
攻め寄せる軍勢はさぞかし混乱したことであろう。

本城と支城
城の内部の縄張りとは別の話になるが、
大名の居城となる本城を囲うように他の城が配置されることがある。
領国全体を一つの城として考えると、
本城が本丸、支城が二ノ丸・三ノ丸という構成である。
江戸時代になると「一国一城令」によって支城は禁止されたが
それ以前の戦国期には大大名によって
領国防衛のための「支城ネットワーク」が整備された。
有名なものとして尼子氏(山陰地方の大大名)の「出雲十旗」
【月山富田城〔本城〕―神西城など〔支城〕】
後北条氏(相模国から伸張した関東地方の有力大名)の支城群
【小田原城〔本城〕―山中城・足柄城など〔支城〕】がある。




前 頁 へ


未申小天守へ戻る


城 絵 図 へ 戻 る