土塁と石垣


地面にくぼみをつけて敵を落とすのが堀ならば
地面に土手をつくり敵を防ぐのが土塁である。
やがて土塁は石垣で固められより堅固なものとなり
石垣を組む技術は時代の要請で飛躍的な発展を遂げる。

城を守る土塁
「城」という漢字の通り、土を成してつくるのが城郭と言える。
堀とともに城を囲う土手、それが土塁(土居とも言う)である。
平安時代末期以降の武家居館は堀と土塁で固められていたのが常で、
城郭としての形態が整えられる室町〜戦国〜江戸時代においても
城内の各所は土塁で仕切られ守られていた。
堀を掘削した残土を活用することができ、
自然の山岳斜面や絶壁をそのまま使うこともあった。
戦闘では高所を確保するのが基本であり、
外から迫る敵に対し堀・土塁で高低差をつけることは
城郭防衛上必須の事項であった。
土塁上にはさらに塀や櫓を備えて堅固な守りを狙い
城内の兵士の移動がしやすい通路や銃座が整備された。

石垣の成立
敵を寄付けないためには土塁の傾斜が急峻なほど有効だが
耐久力の面で斜度の限界はある。
芝草を植えることで多少は耐久度を上げられるが
決壊・破損の防止と傾斜を増すために
土塁を石で固める方法が編み出された。これが石垣である。
石垣は土木技術の発達につれてより高く、より急峻となった。
以下に石垣の工法を記載する。

野面(のづら)積み
もっとも原始的な工法で、自然石をひたすら積み上げる方法である。
工期が短く、費用もかからないのが利点だが
石材を安定させるのが難しく、崩れる危険もあるので
あまり高く積むことができず、傾斜も緩いものとなる。

打込ハギ
土木技術の向上により考案された方法。
石材にある程度の加工をし、石垣表面を平坦にしたもの。
石と石の間には小詰の合石を打ち込んで
安定させるため付けられた名称。
野面積みよりも高く急な石垣を造れるので
戦国期の城郭で爆発的に採用された。

切込ハギ
江戸時代初頭に編み出された最新工法。
石材の外面を完全に加工し、ブロック状にしたものを積み上げる。
石の安定が良いので、高く急峻な石垣を築くことができるが
その反面、費用・工期は破格のものとなるため
徳川将軍家やごく一部の大大名しか採用できなかった。

石垣工法左:野面積み 中:打込ハギ 右:切込ハギ

穴太(あのう)積み
野面積みの一種であるが、「穴太流」と呼ばれる方法で積まれた石垣。
穴太とは、滋賀県大津市にある地名。
戦国時代にここを出自とする石垣専門技術集団が「穴太衆」と呼ばれ
高度な技術を用いた石垣を各地の城に築いた。
穴太積みは野面積みながら高く崩れにくく、
信長・秀吉といった天下人に重用された。
安土城・大坂城(豊臣期)の石垣は大半が穴太積み。

特殊な事例
石垣の隅部分に用いられる積み方で「算木積み」と呼ばれる方法がある。
これは長方形の石を互い違いに組む方法で
石垣の四辺を支える強度を増すために使われる。
短辺側は三ツ石と言われる加工石で長辺側を支えるのが通例。
算木積み
切込ハギの一例で、石をすべて六角形に切り
整然と積み重ねる方法がある。
この方法を特に「亀甲積み」と呼ぶ。
また、野面積みの一例で
細長い石を土塁に対して埋め込むように組み上げる方法がある。
地中に埋まる牛蒡になぞらえて「牛蒡積み」と呼ぶ。
牛蒡積みは通常の野面積みよりも崩れにくい長所がある。
その他に、野面積みで高い石垣を組む方法として
「一二三(ひふみ)段」と呼ばれるものがある。
名前の通り石垣の上に石垣を階段状に造るものである。
秀吉の大坂城などはこの方法で組まれた高石垣であったが
時代が移り打込ハギ・切込ハギ工法が開発されると
一段で高い石垣を造れるようになり、一二三段は次第に廃れていった。
亀甲積み・牛蒡積み・一二三段
左:亀甲積み 中:牛蒡積み 右:一二三段




前 頁 へ  次 頁 へ


未申小天守へ戻る


城 絵 図 へ 戻 る