石垣の構造


城郭を囲う石垣は、守りやすく攻めにくい構造になっている。
また、容易には崩れない組み方で築かれている。
石垣の使用と造成に関する技術を記載する。

石垣の構造
防御施設である城郭を固めるのが土塁・石垣である。
これらの堤上には柵や塀が築かれ、より一層の防御力を発揮した。
当然、城外からは内部が覗えないように作られ、
城内からは外の様子が監視できるようになっている。
また、城を攻める兵士が登れないような傾斜や仕掛けがあり
城内の兵士は応戦しやすく機動力が確保できる性能が必要となる。
以下に突堤の断面図を掲載する。
石垣断面図左:城外 右:城内
地表面から塁上までの高度が「高さ」である【図中1】
当然高ければ高いほど敵の攻撃を防ぎやすい。
強度的に土塁よりも石垣の方がより高くしやすい。
塁の底辺を「敷(しき)」と呼ぶ【図中2】
敷のうち、城外側の傾斜部の幅を「外法(そとのり)」【図中3】
城内側の傾斜部の幅を「内法(うちのり)」【図中4】という。
外法は敵を防ぐためにできるだけ角度を急にし、
足掛かりとなるような突起物や起伏をなくす事が望ましい。
内法は城内の兵士が移動しやすいように角度をなだらかにし、
場合によっては階段などにすることもある。
法は矩の字を使うこともあり、傾斜面を法面(のりめん)と呼ぶ。
敷から法を除いた突堤上面が「褶(ひらみ)」【図中5】であり
ここには柵・塀や櫓などが建てられることも多い。
柵・塀は褶のできるだけ外側に作られるが、
その外部でわずかに残される部分を「犬走り」【図中6】という。
これは塁を登ってくる敵の足掛かりになってしまうので
可能な限り面積を少なくするように工夫される。
また、塁そのものの外側に通路状の平場が用意された場合
そこを犬走りと呼ぶ事もある【図中6'】。
築城名人として知られた藤堂高虎の築いた城に多く
津城(三重県)・丹波篠山城(兵庫県)・今治城(愛媛県)などが特に有名。
犬走りに対し、城内側にできる通路が「武者走り」【図中7】。
その名の通り、城内の兵士が戦闘・伝令のために移動する空間であり
戦闘時に射撃を行ったり、城外を監視する場所となる。

石垣のつくりかた
ただやみくもに石を積み上げても石垣にはならない。
風雨や敵の攻勢でたやすく崩れてしまうからである。
石垣の造成を順を追って説明する。
造成手順
1.石垣となる地山を削り(あるいは盛り土をし)
 斜面を整える。この斜面を「切り土」と呼ぶ。
 同時に石垣の基部となる場所を掘り下げ、
 一番下の石を固定できるように加工する。
 この掘り下げた部分を「根切り」という。
2.根切りに一番下の石(「根石」)を据え付ける。
 地盤が緩い場合、土留めの木杭・胴木を打ちこむ。
 地中に埋めても腐らず長持ちする松の材木がよく使われた。
3.積み石と切り土、積み石同士の隙間を砂利や
 割栗石(わりぐりいし、捨石・屑石・ゴロタ石ともいう)で埋めていく。
 これを「裏込め」といい、水はけを良くしたり
 土圧による石垣の膨張を防ぐ役目がある。
 裏込めを繰り返しながら、積み石を順次積み上げていく。
4.最上部まで積み上げ、地表面を整地する。
 水濠の場合、石垣完成の後に水を流し込む。
石垣の断面
石垣の造成は細心の注意を払って行なわれる。
現代のように重機があるわけでもなく、
何トンもある巨石を積み上げるのは全て人力によるものだからである。
完成までの間、風雨や地震によるもののほか、
作業員の重みでさえ石垣の崩壊に繋がる危険性があるのだ。
『信長公記』やルイス=フロイスの記録などに(註)
安土城(滋賀県)の石垣造成で数多くの事故があったことが残されており、
石垣造成には多大な犠牲を伴ったと思われる。
先人達の苦労によって現在に残る文化財が作られたのである。

(註)『信長公記』…「しんちょうこうき」
            織田信長に関して最も正確な記録がされた史書。
   ルイス=フロイス…1563年(永禄6年)に来日したイスパニアの宣教師。
               織田信長・羽柴秀吉に歓待され重用された。
               日本文化を海外に広く紹介した人物としても有名。

石垣の刻印
石垣作りは重労働のため、一人でできるものではない。
また、重労働ゆえに完成させた功労は大きいものである。
このため、石垣造成に駆り出された者たちは
自らの組んだ石に目印をつけてその手柄を主張した。
この傾向は天下普請(辰巳小天守の頁参照)で作られた城に特に多い。
石垣作りの賦役に従事した外様大名は
徳川将軍家への忠節の証として多くの刻印を残したのである。
石垣の刻印
丹波篠山城(兵庫県)の石垣刻印

土塁の城と石垣の城
一般に西日本の城は石垣造りが多く、
東日本の城は土塁造りが多いといわれている。
これは石垣の材料となる石材の産出が
東日本には少ないためと見られている。
当然、西日本と東日本では城郭構造の特徴にも差が出るし
土塁と石垣を上手く使い分けていることも数多い。
土塁と石垣の併用もある。
土塁の上に石垣を作った「鉢巻石垣」や
石垣の上に土塁を作った「腰巻石垣」といった例である。
こうした点に注目して城跡めぐりをするのも良いだろう。




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