1998年7月 中越紀行

旅行期間:1998年7月24日(金)出発〜7月27日(月)帰着

主な滞在地
7月25日(土):守門SLランド・栃尾城
7月26日(日):玉川酒造ゆきくら貯蔵庫・田子倉湖
7月27日(月):目黒邸
中越紀行行程地図


1995年の7月と同じく、とんび殿に誘われ
またもや高校の後輩たちが合宿する新潟へと押しかけ(ってオイ!)
ご相伴に預かろうと言う(ってオイオイ!!)ツアーに旅立った。
と云っても、いくら何でも全く手伝いもせずに同行しようというのは
虫の好すぎる話なので、せめて途中参加のOB連中は車に同乗させて
交通費の節約に貢献しようという事になった。
そんなわけでかすこばの光冠号ととんび氏の車は
2台連れで茅ヶ崎を出発したのでありました。
ちなみにとんび殿、例の(ボロ)車は自宅に置き、
新調した(と言っても中古車ですが)スポーツタイプのクーペで参加です。

目的地は前回と同じく新潟県の守門村。
当然、道路的には関越自動車道に乗るのが普通なのだが、
同行のOBの中に一人、千葉県船橋市に在住の者がいるので
首都高湾岸線から京葉方面へ走っていく。
横浜ベイブリッジを渡り、東京湾岸を走るところまでは良かったのだが
千葉県に入ろうというあたりから渋滞。仕方がないので一般道に下り
それでもノロノロ運転のまま習志野市に到着。
ここから脇道を通り抜けつつ、ようやく船橋の人間をピックアップした。
時間はすっかり午後になり、これから新潟まで向かうにはかなりキツい感じ。
何とか先を急ぎたい我々は、元来た道とは別のルートを追及し
市川市から“矢切の渡し”で有名な江戸川を渡り葛飾区、
次いで埼玉県の三郷市に入り、東京外環道を選択。
都心を通る事なく、外周沿いに関越自動車道へと辿り着いた。

関越に乗ってからがまた長い。別にこの道は混んでいる訳ではないのだが
何せ埼玉県・群馬県をブチ抜いて新潟県まで行くもんだからねぇ。
当たり前の事なのだが、単純に距離が掛かるのである。
10kmを越す関越トンネルを抜け、小出ICに着いたのは陽も暮れかけた夕刻。
結局、出発日の24日はそのまま守門村の宿に直行となり
どこかを見物するという暇は全然ありませんでした。
やはり移動は夜間に限るべし (T_T)

明けて翌25日。「天文部の合宿」なので、夜は星の観測を行うのだが
昼間は特にやる事がない。無論、現役の高校生は夏休みの宿題やら課題やらを
片付けるのに時間を割き、勉学に勤しんでいるのだが
OBの我々はそういった事もなく、ただ単に暇を持て余している感じ。
このまま1日を潰すのはもったいないので、拙者は一人で
近辺をドライブする事にした。道路地図帳を広げれば
守門村から山ひとつ越した所に栃尾市がある。
確か、栃尾には城跡があったはず…と思いつくや否や
拙者は宿を飛び出して、車の運転席に座っていたのでした。

JR只見線の越後須原駅前から国道252号線を北上、
しばらくは只見線と並行して破間川の谷あいを進んで行く。
ひと駅となりの上条駅前で左折し、今度は国道290号線に入った。
破間川の支流となる西川に沿うルートだ。
このまま進んでいけば栃尾市との境界を越えるはず、と思った場所で
おや?山の中腹に何やら列車を発見。
だって只見線の線路からは離れてきたはずなのに?
何でこんな所に鉄道車両があるんだ??
という所で閃いた。そういや、ここは守門村。
鉄道マニアにはちょっと知られたSLランドがある村だ。
守門SLランドとは、使われなくなった寝台客車を
そのまま宿泊施設に利用している温泉宿の事。
列車を牽引するのはこれまた退役した本物の蒸気機関車。
だから“SLランド”というネーミングなのさね。
そうかそうか、ここが有名なSLランドか、とようやく理解。
思わぬ発見に、何だか少し得したような気がしました(単純)
守門SLランド
守門SLランド

その場で撮った写真がこれ。
山の中腹に列車が突如湧いて出たような感じでしょ?
拙者は宿が決まっていたので泊まらなかったが
ちょっと心惹かれたりもしました (^^;

290号線は石峠トンネルを抜けて栃尾市に。
ここから一気に下り坂になり、ほどなく市街地に入った。
で、お目当ての城を探すのだが…入口はどこだ?
市街地のすぐ裏にある鶴城山が城山で、目の前に見えているのだが
城跡への入山口が見当たらない。30分ほどウロウロとし、
何だか他人の家に入り込んでしまったり、
危うく車が抜け出せなくなりそうな路地に迷い込みそうになったりし
仕方がないのでいったん撤収。街の中心部へ行き、
観光案内になりそうなものを探した。

そしたらまぁ、随分と遠回りというか、見当違いの方角が
城山への入口になってるのね。これじゃ見つからないはずだわと
ひとり納得。で、改めて城山へと向かう事にしました。
市の中心部にある中央公園の観光駐車場に車を停め、しばし歩く。
市街地の西はずれ、栃尾消防署の脇にある諏訪神社に入り
境内の裏側が鶴城山の入山口であった。
そこから山を登る事30分程度、雪国の新潟と言えども
夏の山はじんわりと暑く、汗だくになってようやく視界の開けた場所に出た。
どうやらここからが栃尾城の敷地になるようだ。
栃尾城は有名な上杉謙信が戦国武将として旗揚げした城として知られ
馬蹄型の縄張りは本丸と二ノ丸が並列に並ぶ、地形を上手く利用したもの。
確かにこの山なら、良い城が作れそうだねぇ…と考えていたら
本丸には素晴らしい光景が待ち構えていた。
標高228mの鶴城山頂、一面に横たわる越後の山並みと
眼下に広がる栃尾市街地の眺望である。
栃尾城址からの眺め
栃尾城址からの眺め

360°に広がる大パノラマ。
写真よりも実際はもっと広大な眺めでした。
画面だけではこの感動を
伝えきれないのがとても残念。
夏場なら簡単に登れる山なので
たとえ城に興味がなくても、
この景色を見るために登頂してみて!
下山したら時刻はもう5時ちかく。
宿の夕食の時間に間に合わなくなっては大変と、慌てて帰路に着いた。
何はともあれ、栃尾城の素晴らしさに大満足しつつ
さて、明日はどうしようかななどと考える帰り道なのでした。




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