1996年9月 会津旅行

旅行期間:1996年9月15日(日)夜半出発〜9月17日(火)帰着

主な滞在地
9月16日(月):会津若松城・猪苗代湖・五色沼・桧原湖
9月17日(火):会津西街道・塔のへつり・日光
会津旅行行程地図


9月とはいえ、季節はまだまだ夏。
ちょっと遅めの夏休み旅行という感じで、またも家族で(!)出かけたかすこば一行。
今回は会津の水辺めぐりの旅である。
例の如く夜行で東北道を北上し、磐越自動車道の磐梯山SAで朝を迎えた我々は
何はともあれ、先ず会津若松市内の観光へと向かった。
で、会津といえばやっぱり若松城。朝方の城跡にはまだ観光客もまばらだが
我々の後から続々と到着。ありゃまぁ、何だか追いかけられているような…。
国史跡 会津若松城
国史跡 会津若松城

保科正之ら、数々の名君を輩出した会津の中心地。
東北随一の規模を誇る天守は、
まさに名城と呼ぶに相応しい美しさでござる。
現在の天守は昭和の再建だが
古建築は戊辰戦争の猛攻を耐えぬいた頑強さであった。
縄張りも大掛かりなもので、見学するのも見ごたえ十分。

そんでもって、会津と言えばやはり白虎隊。
白虎隊終焉の地として有名な飯盛山が次の目的地である。
幕末の戊辰戦争時、会津藩内の少年兵で結成された白虎隊は
戦闘の混乱に疲弊し飯盛山へ辿り着いた時、
そこから見えた燃え盛る若松城に絶望し、次々と自決した。
実際には城下の町が燃えていただけで、城は無事だったのだが
疲れ果てた少年達は帰る城を失ったと誤認し、悲劇を生んだのである。
もちろん、現在も飯盛山からは若松城を望むことができる。
この有名な悲話に惹かれる観光客は多く、平日でも大賑わいの飯盛山には
白虎隊が敗走してきた弁天洞門(山をくり貫いた水路の出口)、隊士の墓や
螺旋状に堂内が一周できる不可思議な建物・さざえ堂など、見所が多数ある。
飯盛山から見る若松城
飯盛山から見る若松城

ちょっと小さいが、中心にあるのが確かに若松城の天守。
当時もこれと同様の景色が広がっていたに違いない。
燃える城下の炎に揺れる城を見て
「既に城は落ちた」と勘違いするのも致仕方ないだろう。

飯盛山から山沿いに車を走らせ、猪苗代湖方面へ。
途中には蕎麦の花が広がる花畑などもあり、良い田舎の風情を感じる。
国道49号線に合流し、湖沿いに東へ向かうと、
そこにあるのは野口英世記念館。
2004年秋からの新1000円紙幣の肖像画とされる博士は
ここ、会津に生まれ幼少期を過ごしたのでござる。
その野口博士の生誕した家がそのまま記念館として残されている。
世界的に有名な日本の偉人・野口博士の業績を展示した記念館は
これまた平日でもかなりの人出でごったがえしている。

広大な猪苗代湖のほとりから一路北上し、
磐梯山の麓を抜けて今度は五色沼(ごしきぬま)へ。
裏磐梯の高原に点在するいくつもの小さな沼は
エメラルドグリーンに輝く美しい湖で
初秋の陽気に花開いたコスモスのピンク色との対比がとても綺麗。
そこからさらに裏磐梯を巡るつもりの我々は
桧原湖を一周するルートに車を向かわせた。
明治の大噴火を起こした会津磐梯山が川を堰き止めて出来た湖が桧原湖。
猪苗代湖(南側)から臨む磐梯山は穏やかで雄大な緑の山だが
こちら桧原湖(北側)から見た磐梯山は荒々しい噴火口を剥き出しにし
爆発の凄まじさを現代にまで残している。
五色沼
五色沼

見ての通り、とても美しい湖。
この綺麗さは、あれこれとやかく書く必要も無いでしょう。
後ろに見えるのが会津磐梯山でござる。

猪苗代湖、五色沼、桧原湖と見て廻った我々。
太陽は西に傾き、あたりは少しずつ夕景の紅さを帯びてきたので
観光はこのくらいで切り上げる事に。
猪苗代駅前を通って国道49号線へと戻り
JR磐越西線と並行して今夜の宿・磐梯熱海温泉へと向かった。
猪苗代湖を背にしつつ、晩夏の田園地帯に沈む夕日は
何とも言えない情景を醸し出していた。



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