2015年8月 江戸博&吉良邸参り

旅行期間:2015年8月4日(火)

主な滞在地
8月4日(火):上野駅・江戸東京博物館・勝海舟生誕地・吉良邸跡・北町奉行所跡
江戸博&吉良邸参り行程地図 (C)MapFanWeb


江戸東京博物館。
その名の通り、江戸時代から現代に至るまでの「江戸」と「東京」の町について
歴史や文化の保存・継承を目的に展示を行う体験型博物館です。この博物館で2015年の夏に
「特別展 徳川の城 〜天守と御殿〜」と題した企画展が催されました。徳川系城郭スキーのオイラとしては
是が非でも見ないといかん、必須の内容!!!!! (><)ウヒー!
と言う事で開催初日の8月4日、城友のOーちゃんさんと連れ立って江戸博へ行く約束をしたのでした。

さて江戸博へ向かうには、自宅から上野東京ラインに乗って秋葉原駅まで向かい、総武線に乗り換えて
両国駅で降りる訳ですが、待ち合わせ時間よりちょっと(いや、かなり)早く家を出て
まず上野駅まで行ってみました。ここで待っていれば、時刻的にアレが見られる筈…

寝台特急「カシオペア」

EF510形500番台 EF510形500番台
EF510形500番台が牽引する寝台特急…機関車も専用機です。
「カシオペア」の名に相応しい鮮烈な星マークに加え、この当時は東日本大震災復興を祈念した
「がんばろう日本 がんばろう東北」の絵柄も。いま思い返すと、そういう時代でしたよねぇ…。
(と言うほど大昔の話でもないんですけど、でも何せカシオペア自体が過去のモノになってしまったし)
E26系 E26系
E26系客車も豪華特急と呼ばれただけはある高級感溢れるデザイン。
シルバーの車体に5色の帯、そして「CASSIOPEIA」のロゴ。展望室は大きくガラス窓で取り巻いて眺望抜群!
水回りに難がある設計だと言われてましたが、そんなのは露ほども見せない、鉄道ファンにとって“高嶺の花”でした。

この上りカシオペアが上野駅に到着し、回送となって尾久車両センターへ折り返していく時間でした。
引退の噂も流れていた“彼女”を万感の思いで見送り、ふと周りも見てみれば
上野駅 13番ホーム
上野駅 13番ホーム

上野駅 13番ホーム

寝台特急が発着していた13番線ホームの脇には、ちょっと広めのスペースがあって
上野駅から運行されていた各種列車のヘッドマークがペイントされていました。
もちろん、ホーム上にもそうした列車の乗車位置を示す表示も。ですが、北斗星は
この当時既に定期運行を終了、臨時列車もこの2週間ほど後に1往復が出ただけで完全終了となり
引退が懸念されていたカシオペアの定期運行も、約半年後の2016年3月で終わってしまいました。

その空きスペースも、上野駅の改修工事によって現在では「13.5番線」という
豪華クルーズ列車「四季島」発着用の特別ホームに改造され、今では全く違う様相になっております。
上野駅と言うと、どうしても昭和の“都会の玄関口”と言うイメージが強いんですけど(←さすがに古すぎ?まぁ心象の話ですので)
こうやって日々変化して、今では“東北リゾートを彩る出発点”になってますね。あんまり郷愁は誘わない感じになってしまいましたが (^ ^;

特急「草津」
特急「草津」

あ、東北だけじゃなく上越や信越もですよねw
こちらは高崎方面へ向かう特急「草津」651系1000番台。
白い車体が上品で、個人的には好みの車両。
最近の新車(や改造車)は何だかやたらとコテコテギトギトしてて
賑やかなのは分かるけど、特急列車としての品格が足りない(愚痴)

さて、そろそろ時間なので上野駅は撤収。江戸博へ向かうべく、両国駅へ移動しました。
JR両国駅

あれ?上野駅?と勘違いしそうな両国駅の駅舎。
窓の形とかは違うんだけど、イメージ的には
上野駅の駅舎を可愛らしくした感じ。
如何にも昭和感が漂うエモさです(笑)
JR両国駅

江戸博 企画展看板
江戸博 企画展看板

「徳川の城」の企画展看板。
この先に楽しみにしている展示が♪


―――ですけれど、企画展の内容は撮影する訳にもいかないので、ここで表示できる写真はありません。
まぁ最近はSNS全盛になって、博物館の展示もジャンジャン上げて、それがPRになるから写真撮影もOKなんて時代になりましたけど
2015年はまだそういう事にはなってなかったのでねぇ。幸いにも江戸博のサイトに過去の企画展に関する紹介がされていますので
どんな内容だったのかは、そちらの頁を御覧頂きとうござりまする m(_ _)m


とは言え、これでオシマイってんじゃ江戸博の話は全然意味がなくなってしまう訳で。
企画展は撮影禁止なんですが、逆に通常展示は撮影OKなので、思うがままにそちらの内容をアゲてみます★
江戸城 本丸全体模型
江戸城 本丸全体模型

「徳川の城」の企画展をやっている傍らで
江戸城本丸の巨大模型が。これは通常展部分なので撮影できました。
これは立派だ!御殿めっちゃ広いなぁ(唖然)
一番手前にある富士見櫓は現存していて、雄大な姿を見せてくれますが
一番奥にあるのは焼失してしまった大天守、その富士見櫓を上回り遥かに巨大!
江戸城 大天守模型
←その大天守模型のアップと



本丸御殿の間取図(部分)→
細かい所を見てみると
「御老中口」とか「時計之間」など
確かにここが、日本の中枢だったと
確認できる図面です。
江戸城 本丸御殿間取図(部分)
江戸城下 大名屋敷模型
江戸城下 大名屋敷模型

江戸の町には諸大名の屋敷がありましたけど
そうした屋敷のジオラマもありました。
格式のある門、豪華な御殿、そして辻々に上がる櫓、
これって完全に一つの城として成り立ってますよねぇ。
門の手前は相横矢が掛かる枡形だし…なるほど。
江戸城下 大名屋敷模型
江戸城下 芝居小屋模型

一方こちらは芝居小屋。
模型は模型なんですが、こちらはほぼ実寸大。
知識としては役者絵とか二枚目看板とかが掲示されていたと知ってましたけど
実物として目にすると、やっぱり新鮮だし迫力ありますねー!
現代で映画館とかライブハウスがこういう掲出したら、むしろ斬新でウケるんじゃないかなぁ。
江戸時代の貨幣
江戸時代の貨幣

こんなものの展示も。小判だ小判!(笑)
時代によって大きさや金色の光り具合が違います。
金の含有量が低かった元禄小判は如何にも“安物”って感じなのが一目で分かります。
逆に寛永通宝は「銭形平次」で馴染み深いけど…これももう過去の話だねぇ。
個人的には南鐐二朱銀に注目かな。田沼意次は経済の天才だと思うぞ。
まぁ南鐐二朱銀についての詳しい話は御自分で調べてみて下さいwww

東京市中 朝野新聞社屋模型

江戸「東京」博物館ですから、明治以降についても展示があります。
こちらも原寸大模型、明治のニューメディア“新聞”の発行社です。
洋風の柱にテラスがある建物、なかなか恰好良いですな。
「おぉ、新聞(社)って凄ぇ!」というイメージ戦略に繋がったんでしょう。
建物の角になる部分だけ石積みになっているのも、何だかオシャレです。
現代の建築基準法とかでは許されないような構造ですが(爆)
東京市中 朝野新聞社屋模型
80年代のスポーツ自転車!

時代がグッと進んで、1980年代に流行したモノの展示も。
拙者が小学生の頃に流行った“スポーツ自転車”が。懐かしい〜!
やたらに変速ギアが多く付いていて、多段であればあるほど羨望の目で見られたんだよねー。
現代のMTBとかとは全然違う感じで、今更思うと「時代だなぁ」と懐古(苦笑)
後輪の横に折り畳み式のカゴを取り付けたりしてました (^ ^;
もう“自分が生きていた時代”も、博物館の展示になるようになったんだと複雑な思いがw
80年代のスポーツ自転車!
明治の“新聞”とか、昭和末期の“スポーツ自転車(スポーツサイクルとは言わんよw)”とか、現代なら“SNSバズり”とか
みんな時代ごとの「最先端」を追い求めるものなんだなぁ、と考えさせられますね。
そういうメディアコンテンツに踊らされている感が無くもないので(新聞は最終的に戦争を煽ったし、バブルは弾けたし、バズりは炎上するし)
個人的な事を言えば、流行りモノよりも安定のド定番こそ至上だと思うようになりましたが(ジジくさい?でもそれでえーねんw)

凌雲閣模型
凌雲閣模型

「浅草十二階」とも呼ばれた、明治〜大正期の高層タワー。
関東大震災でポッキりと折れ崩れてしまったそうですが
竣工当時は日本一高い建物でした。
江戸時代には上に出した江戸城大天守、
20世紀末には東京タワー、そして今はスカイツリー。
高い建物と言うのも、時代ごとに象徴があるものですな。
っつーか、みんな高層建築って好きだよねー(笑)
明治の東京ジオラマ

東京の町全体を再現したジオラマもあります。
これ、鉄道模型のように馬車が動いたり
朝から夜に向かって、時間の変化で色合いが変わります。
見ていて飽きない〜★ (^-^)
明治の東京ジオラマ

と、こんな感じで江戸博を堪能したのでした(他にもいろいろな展示がありました)

さて、江戸博を出た所で時刻は15:30。まだ帰宅するには早すぎる時間なので、この辺りをぶらぶらと歩き回る事にしました。
両国と言えば相撲の町?と言ったイメージですけど、相撲には興味が無いので個人的には全然土地勘が無い。
むしろ江戸文化に造詣の深いOーちゃんさんの方がお詳しいので、案内して頂く事に。で、まず最初は
勝海舟誕生の地

江戸博から線路を挟んで真南、両国公園の片隅にある石碑。
勝海舟って下町産まれとは聞いていたけど、ここなんだぁ。
(誰?と仰る方は義務教育やり直して下さい)
っつーか、まずここからスタートって(笑)
勝海舟誕生の地
ちなみに、今はこの石碑の周囲が綺麗に整えられてちょっと違う雰囲気になっているようですよ。

両国公園からは西へ。いくつかの区画を越えた先にあるのがこちら!
本所 吉良邸

夏の西日が眩しくて…。

吉良上野介坐像

この坐像は“レプリカ”なんですが
本物(原本)が収蔵されている
吉良家の菩提寺・華蔵寺(けぞうじ)
以前に攻略済
。やっと繋がった! (^^)v

本所 吉良邸

「忠臣蔵」討ち入りの現場となった、吉良上野介の屋敷跡。
(忠臣蔵って?と仰る方は義務教育やり直して下さい)
本当はもっと広大な敷地を有していた邸宅でしたが、現在は一角だけが残り
小さな公園になっております。個人的には浅野嫌い、吉良贔屓なので
ここは前々から来てみたかった“聖地”であります。ここなんだぁ。

吉良上野介首洗いの井戸
↑こちらは上野介さまの御首を洗った井戸だそうで。合掌…。

念願の吉良邸跡をようやく拝見できて感無量。何とも満足した気分で満たされた(←何だか日本語がヘン)後は
浄土宗諸宗山回向院
浄土宗諸宗山回向院(えこういん)

「振袖火事」こと、1657年に起きた明暦の大火。
その火事で亡くなった10万人もの無縁仏を葬るため
江戸幕府の命で作られたお寺です。それ以来、
江戸の民衆の心の拠り所、それに遊興の場としても
当時の“賑わいの場”となった場所です。
全然意識した事なかったけど、回向院ってここなんだぁ。
ちなみに、両国が相撲の町になったのは
元々この回向院で勧進相撲が行われていた歴史を引き継いで国技館が建てられたから、なんだそうで。
(まぁ、さっきも言いましたが別に相撲にゃ興味ないんですけどねw)

さて、夏の日差しはまだまだ高いので時間に余裕がありまくり。
江戸の名残りを探す勢いで、ここからは東京駅前に移動しました。
と言っても有名な赤レンガ駅舎(丸ノ内口)ではなく、大丸(八重洲口)側でして…
江戸城外堀の発掘石垣
江戸城外堀の発掘石垣

当時、再開発工事の真っ最中だった八重洲口ですが
一足早く工事が完了した場所に、この石垣が再現されています。
これ、ほぼその場所から発掘された石垣を再開発後にも残したもの。
東京のド真ん中(何せ東京駅の前ですから)でも、こうやって史跡遺構が残せるんですね。
どこかの市町村役所にも見習って欲しい…(え、どこの事?)
まぁ、再開発の中に埋もれた遺構ですから、見つけるのが難しい場所なんですけど… (^ ^;;;
よくこんなモニュメントがあるって知ってるよなぁ、Oーちゃんさん(感心)
北町奉行所跡の碑
北町奉行所跡の碑

それ以上に見つけるのが難しい“隠しアイテム”がコレ。
先ほどの石垣展示の隣にあるビルの壁に埋め込まれています。
パっと見では、そのビルの定礎にしか見えませんけど
ここに北町奉行所があったという解説がきちんと書かれています。
例の再開発で、このビルの前にも「北町奉行所跡」の標識は掲げられたんですが
実際の奉行所跡とは少し離れた場所になっているので、
リアルな奉行所跡にかかっているモニュメントはこっち。
ビルの出入口脇にはめ込まれている石板ですから、普段は誰も見向きもしません。
よくこんなモニュメントがあるって知ってるよなぁ、O(以下略)

さて、1日歩き回って存分に“江戸”を体験した訳ですが
そろそろ帰宅するに丁度良い時間。東京駅にいる訳ですから、ここから列車に乗れば直行で帰れます。
Oーちゃんさんと別れる前、最後に訪れたのは
ヤン=ヨーステン記念像

八重洲地下街の中に、ひっそりと隠された銅像。
さまよえるオランダ人…を地で行くヤン=ヨーステンは
関ヶ原合戦の直前である1600年、船が難破し
日本に漂着。以来、徳川家康の外交顧問として
江戸に屋敷を与えられました。しかし望郷の念深く
母国へ帰ろうとするも上手くいかず、再び日本へ戻ろうとする中
1623年、乗っていた船が沈没し落命した悲劇の人です。
ヤン=ヨーステン記念像
ヤン=ヨーステンは日本名として耶揚子(やようす)と呼ばれ、現在の大手町駅付近に在住しておりました。
耶揚子は後に八代洲(やよす)と転訛し現在の東京駅周辺の広域地名として残され、それが八重洲となって
今の地名となり定着しました。よって、八重洲の由来となったヤン=ヨーステンの像がここに置かれているんですな。
ですが、この銅像の設置場所は地下商店街の通路でも目立たない片隅。まるで戸棚の中に首が置き去りになっているよう(←言い方w)
(現在はもう少し模様替えして、目立つようになっているようです)
よくこんなモニュメントがあるって知っ(もうえぇて)



最後にオマケ動画を。
上り「カシオペア」が上野駅に到着し、折り返し去って行くシーンを短編ムービーにしてみました。


上野駅の地上ホームは終端式なので、機関車の付け替えができません。
「引っ張って来た」機関車は、反対方向へ進む(車庫に帰る)ためにそのままの位置で
「押し戻して」進んで行きます。なので、先頭車両となる客車にも乗務員が乗り込み
先の見えない機関士に前方の状況を指示して、バック運転していくのです。なかなか面白いシーンですよね?

ところで「カシオペア」としての定期運行は程なく終了し(北海道新幹線開業で青函トンネルが通れなくなったから)
その後は団体ツアー列車として使われたE26系車両も、2025年には完全引退。車歴としては26年の運用でしたけど
(だからカシオペア定期運行としては16年半しか使ってない)これって…やっぱりまだ使える年数だよねぇ?
何せ、国鉄時代の車両でさえまだ現役だったりするんだから。
機関車が牽引する運用が衰退したって言う理由もあるけれど、早すぎる廃車は勿体ない気がします。
この文章を執筆している時点で、1号車だけは展示保存されるものの他は解体処分だそうで。
「北斗星」がそうだったように、「カシオペアの車両」と言えば引く手あまたで欲しがる博物館とかマニアがいるだろうに…。
と言うか、何か転用してまだまだ運行できないの?(やっぱ水回りがダメなのかなぁ)




◆◇◆ 盛夏の日 時間旅行で 江戸行かば 隠れた面影 探す楽しさ ◆◇◆




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