誰かがやってそうで、でもなかなか
見かけない事をやってみたw
と言って焔硝蔵#17話で合成写真をいくつか作ってみたんですが、
まぁ色々と思いつくネタは他にもある訳ですわ。でもそういうネタは
根拠になるような資料が全然ないので、きちんとした物は作り上げられないんですが
或る日、ふと思ったのが「それならいっそ、勝手な想像で造っちゃえば良いのか?」と
半分…いや完全に開き直りの様相で第2弾を構想してみようか、ってな話。
っつーか、制約なしで勝手な想像物を造って良いのであれば
むしろあんなモノやこんなモノも…と、ネタの幅が広がっていって(爆)
と云うワケで、合成写真ネタ第2弾!今回は完全に妄想編ですが
おヒマならば、お付き合い下さいませ〜♪ (^-^)
★その壱
浜松城模擬天守を、天守台に合った大きさにしてみる!
いきなり何だそりゃ?! いくら何でも空想が過ぎる!
そんなん誰も考えやしないだろ―――ってネタからスタートしますがね(苦笑)
簡単に説明しますと、浜松城は元々天守があったかどうかすら良く分からない城なんですけど
昭和33年、その頃の城郭ブームに乗っかって模擬天守が建てられました。が、資料がないので
根拠のない建築である上、予算難から天守台石垣よりもスケールダウンした建物になってしまい
天守台に「空きスペース」がある状態に。それでもまぁ、味のある建物なので個人的には
全然アリだとは思うんだけど、でもあの空きスペースは埋めてあげた方が良いのかなぁ…と。
と言う事で、まずは現状の浜松城模擬天守がコレ↓
浜松城天守 現状写真
※写真をクリックすると拡大画像が別画面で表示されます(以下同じ)
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ご覧の通り、写真の左隅の部分、天守台が“余った”空間になっていて
サイズが合っていない状態。今やすっかり風格も出て「町に馴染んだ」浜松城天守ですけど
ここに注目しちゃうと、やっぱり何かおかしいと気になってしまって…。
てなワケで、兎にも角にも天守台サイズに一致する大きさに仕上げてみると
なかなかボリューム感のある恰幅の良い天守になったぞ!という合成写真がこちら〜♪
拡張版 浜松城天守
ビミョーにパースが変な感じなんですが、そこは見逃して下さい(爆)
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幅を広げるので、窓の位置も左右対称になるような配列に変更しつつ
せっかく拡幅するのだから、左袖にも袴腰石落としを増設。まぁ、天守曲輪の
内側に対して石落としが必要だったかは疑問だけど、そこは見た目重視の話なので(苦笑)
あったかどうかも分からない浜松城天守ですが、松江城天守に似ていたと言う伝承も
あるとかないとか…?なので、中間層に松江城のような出窓を追加して高さを稼ぎ
幅と高さのバランスを調整。それに伴って下層部の棟向きも変更してあります。
左右両方に袴腰石落としがあると、まるでスカートを穿いたダルマ?
某ガ◎ダムのジオ■グ?(←ガノタじゃないのでそれ以上思い浮かばないw)のようで
強烈な圧迫感を醸し出して来ますねぇ。作った本人でも良く分からない感覚だけど、
でも兎に角なんか凄いぞ…!これ、攻め手だったら近づきたくない恐怖感だ (^ ^;
そうそう、天守入口の袖石垣にも附櫓を載せようかとも思ったんですが
それやっちゃうと現状写真ともはや対比しづらくなりそうだったんで止めましたw
★その弐
彦根城天守から逆算する大津城天守
これまた何だよそれ!という発想ですけど(笑)国宝に指定されている彦根城天守ですが
もともと大津城にあった4重5階天守の建築部材をバラして、3重天守に縮小した形で
彦根城に移築した物とされています。なので、彦根城の姿から(勝手に)推測して
大津城時代の5重天守を作ってみようかと言う話。えぇ、もちろん史料なんかありませんから
100%の妄想品ですとも(完全開き直りwww)
と言う事で、皆様御存知の彦根城天守がコレ↓
国宝 彦根城天守
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で、この風合いを残しつつ、外観4重の天守に改変してみる訳ですが
どうやら彦根城天守の解体修理が行われた際、部材から推測された大津城天守の骨格図は
調査報告書にまとめられているらしいッス。更に更に、色々と情報をかき集めてみると
その骨格図を基にした外観復元図が…出所は良く分からないのですが、何故か転がっている。
それがこちら→ (この図面は拡大図なし)
この外観図の根拠は?と、少々アヤシ気ではあるのですが、1994年に発行された
某学研の歴史群像DX「名城の「天守」総覧」(日本城郭史学会 編著)なる書籍でも、これと同じ
外観で大津城天守の想像図が描かれている。まぁ、逆に言えば他に大津城天守を
推測する絵図も無いし、使えるモノは使ってしまおうという事で、これを元にして
合成写真を作ってみた訳でござんす(苦笑)
ところで、問題は大津城の縄張。一応、縄張図は作られているものの
肝心の天守がどこにあったのか?と言うのはあまり詳しく追及されていない。

大津市街地には、かつての大津城を紹介する縄張図が設置されているものの
琵琶湖に突き出した水城、そして築城のセオリーから推測すると、以下のオレンジ色で
示した場所が最有力候補。次点としては、緑色の地点と言った感じ。で、現状だと
この緑色の場所は大津城址公園の中でも何故かこんもりとした土山が築かれているので
とりあえずそこに天守を置いてみたのがコレ↓
大津城天守推測写真
ふと思う処があって、古写真風に白黒で作ってみました…単なるモノクロ画像じゃなく
“白黒フィルム”っぽいノイズを出すのに結構工夫しているんですが、どうでせう?
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一応、彦根城天守の素材を最大限に再利用した
(いや、彦根城天守の方が古材を再利用しているワケですが)
合成写真なんですが、こうして見ると…それほど“彦根城”感が出ない。
特徴的な飾り金具を仕込む唐破風が無く、それどころか切妻破風も無い。
個人的には、あの切妻破風は大津城天守で何かしらの入母屋破風や千鳥破風があって
それを彦根に持ってきた際、強引に切妻化して盛り込んだ物なんだと思ってるんですが
こうして見てみても、その原材料となるような部分が見当たらない。まぁ、「天下人」秀吉の
威光をバックボーンにして作られた大津城天守ですから、大坂城よりは地味(そして古式)に
なるのはしょうがないとしても、彦根城天守ほどの存在感もない(一回り大きいけどね)。
どっちかと言うと…犬山城天守に近い雰囲気?いや、これはもっと別の所で見た感じが―――
コレだ! Σ( ̄□ ̄)
千葉県館山市にある館山城の模擬天守!彦根城よりも、むしろこっちにソックリだwww
ってな訳で、大津城天守は館山城天守に基づいていると言う結論に至ったのでありました(嘘)
…良いのか、こんなオチで?!?!
★その参
今こそやってみよう!弘前城5重天守
東北地方で唯一現存天守を有するのが弘前城。
その弘前城天守、この頁の作成時現在では天守台石垣の修復工事に伴い曳家され
本丸敷地のド真ん中に移設されております。今しか見られない、ちょっと不思議な光景が
広がっている訳なんですが…
国重要文化財 弘前城天守
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理屈は兎も角、桜の名所として超有名な城ですから、皆さんご存知の筈。
そんな観光名所の弘前城(弘前公園)は、江戸時代初期に5重天守が建っていたのですけど
創建から20年と経たない1627年に落雷で焼失。以来、天守の無い時期が長らく続きました。
幕府との駆け引きに競り勝った津軽家(弘前城主)は1810年に「三重櫓」の名目で
先の曳家天守を獲得するのであります。と言っても従来からあった櫓の改造ですし
晴れて「天守」と呼ばれるようになったのは明治になってからの事。
となれば、5重天守がどんなものだったのか気になるのですけれど…全く史料が無いので皆目不明。
えぇい、それならいっそ「好き勝手に5重天守を建ててしまえ!」という暴挙で作ったのがこちらw

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弘前公園と言えば桜、それに岩木山、そして天守。
これを揃えたアングルにしたかったので、空撮画像を
拾ってきました。借り物画像にて失礼… m(_ _)m
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そこに5重天守をポーンと放り込んでみる(笑)

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5重天守を、そのあった場所に建ててみました。
ですがね、現況の天守跡地にある櫓台は
どう見ても5重天守を置くには小さすぎる。
そこで、ちょっと工夫してみたんですけどね…?
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件の櫓台には「小天守があった」と仮定し、連立式にして5重大天守を隣に配置。
これならサイズ的には丁度良いのかなと。曳家天守と比較してみて下され。
(櫓台自体が後世に縮小改変されているとなると元も子もない話ですがwww)
空撮俯瞰ですから、あまり細かい意匠は追及しないで頂ければ(苦笑)
弘前城の創建年代からすると、望楼型もありそうだし層塔型でも良さそうだし。
何とな〜く、そのあたりは曖昧な感じの形にしてみました。
現状の天守は長押(なげし)と窓が特徴的なので、旧天守にも雰囲気を持たせましたが
この当時だと、長押は塗込じゃなく白木(しらき)造りだったかな?と。
(塗込の長押は幕府直轄の城だけだったような時代だろうかと)
下見板貼にしなかったのは、現天守に似せた―――と言うよりは
“豊臣の時代は終わった、徳川に従う時代だ”と云うのを津軽家ならば
機敏に感じ取っての事だろう…という想像で。下見板貼が豊臣方という発想が古いと
言われそうだけど、でもそれくらいの思慮が大名の生き残り策としては必要な訳で。
卓越した外交手腕を持つ津軽家なら、やって当然なんじゃないかなぁ?
★その四
祝!再現完成 福山城天守―――にもの申す!
広島県の福山城。駅前再開発では貴重な石垣の遺構を見事にぶっ潰し
お城ファンから総スカンを食った城ですが、先般天守のリニューアル工事を行って
再建天守で再現されていなかった「北面の鉄板貼り」が完成する事になりました。
ニュースでも報じられ、駅前の件の罪滅ぼしがこれでチャラか?という感じではありますが…。
福山城天守 北面古写真
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その北面を写した古写真としては、これが(多分)一番有名なのではないかと。
明治初期に撮られたものなので、“封建時代の象徴”である天守は風雨に晒され
白漆喰の壁面が剥がれ落ち、だいぶ痛々しい姿ではありますが
北面の壁は真っ黒!これが鉄板を貼ってあった状態です(影で真っ黒なのではありません)。
まぁ、漆喰が落ちた箇所も木材の板が剥き出しで白黒写真だと妙な陰り具合になってしまってますが
「鉄板貼り」と「崩落壁面」の区別は付くと思うので、鉄板装甲の意匠が
かなり勇壮だった雰囲気はお分かり頂けるかと。
で、そんな福山城の新装成った復興天守。
竣工したばかりの2022年夏(本当に出来たばっかりで、まだ未公開)
出来るだけ同じアングルになるよう撮った写真がこちら。
福山城天守 新装竣工 
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まぁ全く同じアングル(撮影位置)と言う訳にはいかないし、
御覧の通り、現在は庭園が手前に陣取っているので全く同じ風景にはならないんですけど
出来る限り頑張って、古写真に寄せてみました。うん、新装開店(?)しただけあって
かなり引き締まった、凛々しい姿になっているのは高評価です。
ただ…むしろ恰好良すぎる?古写真とは何か違う感じなんだよね。
これ、何でだろう―――?と考えた結果、そうか!最上階の“覆い板”が無いからだ!と。
※最上階の“覆い板”
福山城の天守、最上階には高欄(こうらん)が巡らされております。
高欄と言うのは要するに「ベランダ」建物の母屋(もや、建物本体)の外側に
歩けるスペース(廊下みたいな感じ)を用意し、転落防止の手摺りを附している状態。
お殿様が天守のベランダに出て城下を眺める…なんて想像をしたりしますが
(まぁ、実際にそういう事をする事例は滅多にありませんでしたけど)
そうした高欄が作られていたワケ。でもこれって、建物の外周ですから「雨ざらし」なんですわ。
当然、木造建築でそんなモノを作ったらすぐに腐食しますので、頻繁に補修が必要。
手間やら予算やらがかかりますから、次第に「雨ざらし」にならないよう
高欄自体を板で覆って、少しでも腐食しないようにしたんですな。
せっかくの高欄を板で覆ったら何の役にも立たないし、見栄えも悪いんですが
平和な江戸時代に天守なんて無用の長物、金食い虫ですからそんな事は気にしてられない。
福山城に限らず他の城でもそういう事例が多くありましたけど、明治の古写真には
すっかり「覆い板があるのが当然」と言った感じに馴染んでいたのでございます。
(覆い板すら腐食してボロボロな状態なんですけどねw)
ですから、せっかく新装成った天守を敢えてボロボロに…ではなく、覆い板を被せてみようと。
と言う事で、とりあえずやってみたのがこちら↓
福山城天守 囲い板付設
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せっかくピカピカになった天守ですけど、雨ざらし対策として応急の仮設板を巡らせた感じ。
雨除けですから、新品感のある板ではなく使い古しな雰囲気で囲ってみました。
おっ!何だか古写真にあるような雰囲気は出てきたぞ(笑)
あともう少し…やっぱり覆い板の屋根があった方が良いか…で、改良した完成版がこちら↓
福山城天守 古写真再現
古写真にある覆い板の屋根はもう少し軒が低くまで延びていて(まぁそれも殆んど崩れ落ちてますが)
それも何だか二段重ね?みたいな感じなんだけど…その状況を作ると覆い板が分からなくなって
もはやどういう状況かすら判別できない写真になってしまうので、そこまではせず。
むしろ「古態を再現した新装天守」と言う感じの仕上がりにしてみましたが―――どうかな? (^ ^;
★その伍
昔なつかしい「あの画面」を再現してみる@
これまた「何のこっちゃ?」と言う具合ですが…。
最近は映画でもゲームでも、VFX使って何でも簡単に映像化(画像化)してしまいますがね。
(まぁVFX作るにも機材や技術に大金つぎ込んでいるんでしょうが…)
それも21世紀になってからが本格化した技法だし、20世紀はまだアナログな特撮とか
CGにしてもドットの粗い画像だったりとかで、思い返すと懐かしい、今となってはノスタルジックなモノ。
そんな「なつかしのCG画像」を、敢えて合成写真で再現してみるとどうなる?と言う話です。
ってな訳で、いくつか「みんな知ってる!」とか「みんな知ってる?」と言う画像を作ってみました。
で、まずはコレ↓
Street Fighter U (C)CAPCOM
「ストU」1990年代に大流行した格闘ゲームですな。まぁ拙者は全然その手のゲームはやらないのですが
何せ“超有名ゲーム”ですから、存じ上げてはおります。もう今では昭和エモさが漂う作品ですけど(爆)
(あ、でも90年代だから平成なんだけどねwww)
そんなストUの中、対戦の舞台として登場する1シーンがこちら。背景には城の天守…どう見ても
コイツは松江城だわな。その手前に戦いのステージがしつらえてあるのですが、どうにも遠近感とか
建築構造とかは度外視で、人物よりも背後の軒丸瓦の方が大きい(しかも巨大)なのって何?!?! と
色々とツッコミどころ満載なおかしい画像であり…(苦笑)
そういうモロモロを含めて、敢えて合成写真で作ってみるとこうなる! (^ ^;
ストU風 背景写真 
流石に遠近感がおかしいのは写真化するに致命的なんで、前後のレイヤーを何とか調整してみた。
格闘台…と云うのも異常な存在なので、あくまでも“城にありそうな設備”と言った具合にして
それは控え柱の並ぶ塀に変更。それから、奥に多聞櫓が横並びになっているので
手前の塀がそれと平行になるのは(城の縄張りとして)あり得ないから、直交する向きに修正。
あとはアングルを調整して、何とかこんな形に…まぁこれなら“無くはない”という光景かと(苦笑)
でもね、塀や多聞櫓に対して天守や御殿?の建物が斜めってるんだよね(元画像がそうなのでw)
中世や古代の建物も、ちゃんと東西南北とか他の建物との並びとかは計算して配置されるから
ここまで顕著に「向きがズレる」と言うのは、なかなか無いんだけど…。
それから、松江城天守の向こうに月が出るのもあり得ません。だって北向きだから。
ですので、昔撮影した月食の画像をコラってみました。もうそうするしか無いから(滝汗)
#と言うか、月は如何にもわざとらしい構成要素なんで個人的には邪魔に思えるんだけどね(←実も蓋も無い)
★その六
昔なつかしい「あの画面」を再現してみるA
格ゲーの話が出たので(だからオイラは全くやらないんだけどね)続いてもう1つ。
城が登場しそうな、和風の格闘ゲームとして知られるのが「サムスピ」サムライスピリッツシリーズ。
何せオイラは全然やらないから詳しくは知らんのですが、その中の作品
「サムライスピリッツ零SPECIAL完全版」(←タイトル長ぇ)のデモにこんな場面が…。
サムライスピリッツ零SPECIAL完全版 (C)SNK
お江戸日本橋?と言った感じの橋の袂、向こう側には火の見櫓や蔵屋敷が並び、遥か彼方には
巨大な天守…名古屋城の大天守っぽいよね。っつーか、距離からしてコレは巨大過ぎじゃ? (ー゙ー;
まぁ、とりあえずそういう光景が出てきます。ゲーム本編ではここで対戦もするようですが
デモ画面が一番見易い(キャプチャし易い)状況だったので、これを掲載。
あぁ、ちなみに「完全版」なるバージョンは最近(2020年代)になってリリースされた作品だそうで
「なつかしい」には該当しないんじゃ?と言うツッコミが来そうなんですけど
まぁそういう「重箱の隅」的な事は企画と無関係なんでスルーしますw
ってな訳で、この画像を合成写真で作ってみる…いざ尋常に勝負!
それっぽいw背景写真 
上で「距離からしてコレは巨大過ぎじゃ?」と書いておいて何なんですが
実物化しようとすると、天守はもちろん手前の町並みも遠近感がおかしくなる(爆)
でもこれくらいの画像にしないと、結局何の合成写真なのかサッパリ分からなくなる(苦笑)
えぇ、色々と試行錯誤した結果こうなったんですよ。
あまり良い出来ではないと思うんですが、苦心の作ではあります。
と言う事で、ゲームのデザイナーさん(背景画担当さん)って
やっぱり絶妙に上手く収めるモンだなぁと感心する結果となりました…。
なお、このゲームでは安土城天守や首里城正殿の前で戦うシーンもあるようですが
(そこまで詳しく知らん)
それは画像を作るまでもなく「そのまんま」な場面なので、今回の企画とは無縁でござる (^ ^;
★その七
昔なつかしい「あの画面」を再現してみるB
格闘ゲームは全くやらん(知らん)のに、頑張って2つも作ってみましたが
オイラとしてはむしろこっちの方がやり込んだ作品、というのを3つ目の題材に取り上げます。
城マニア、歴史好きの男性なら(そしてその世代なら)誰しも御存知の筈「信長の野望」でございます。
いよっ!真打ち登場!!パチパチパチパチ〜!!!(←何だこれw)
と言っても、ノブヤボも歴代何十作とリリースされておりますし
どれを採り上げるの?と言われるとそりゃもう大変な事になるんですが
最近の作品はゲーム中のCGがまるで本物のように美麗ですから
やるとなったらやっぱり初期の作品?と言う事になる訳です。で、オイラが個人的にやり込んだのは
「天翔記」か「戦国群雄伝」なので、往年の88ユーザーとしてはコレでしょう!
信長の野望 戦国群雄伝 オープニングデモ画面 (C)KOEI
雲がたなびく山の上、天守と思しき城の建物がどっしりと構え
その手前では両軍入り乱れる激闘…という場面。デモムービーでは、この後に城が燃えてしまうのですが
城好きとしては、そんな事はさせない!と言う訳で炎上直前の場面で納めておきます(笑)
まぁ流石に合戦の様子は入れ込めないとして、あくまで背景画を再現するという事で…こんな感じ?
風景に馴染ませてみた 
ちょうど良さそうな山の写真に、城の建物を配置してみた。
何となく馴染むようにしたものの…小っちぇー!!! (><)
拡大画像でも良く分からんし、サムネイルじゃ全く見えん!!
と言う事なので、作りたかったアングルとはちょっと変わるけど
城の部分を拡大した作品に変更。で、そうするとこんな感じ!
風景に馴染ませてみた(拡大) 
青空はすっかり無くなってしまったけど、これなら何となく元画像と近い雰囲気かな?
まぁ、城マニア的目線で言うと「この形式・年代の山城に天守?櫓門?」とか
「縄張り的にはこれで合ってるのか?」とか、色々とツッコみたくなる環境なんですが
あくまでも「ノブヤボのオープニングを再現する」のが目的なので、そこは目を瞑りませう(苦笑)
で、群雄伝のオープニング動画は今更ながら秀逸な作品(当時としては、ね)だと思うのでここで御紹介。
いやー素晴らしい!懐かしい!!(そっちかw)
8ビット世代には感激の動画。
そうでない世代には昭和エモな映像として御覧頂ければ (^ ^;
あれ?この頁は再現写真の企画だった筈なのに、すっかり趣旨が変わって…(爆)
ついでに申し上げますと、「戦国群雄伝」では条件を整えると本能寺の変が発生するのですが…
ゲームのシステムを逆手に取ると、信長が本能寺から生還する事が可能。
試しにやってみました!
改竄の余地の無いよう
作業の過程を全て収録してありますw
って、この元ネタ分かります?(笑)
(なおノブヤボとは無関係)
※4月23日のターンあたりで
音声に乱れが生じてますが
これもエミュレータが一時的に
スタックした動作を「そのまま」収録した為です
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短気な明智光秀さんは、史実の6月まで待てず
4月の時点(ゲーム開始の次ターン)で本能寺の変を起こしてくれました(笑)
相当、信長の悪行に業を煮やしていたのでしょうwww
この場合、武田が滅んでいないので信長から折檻を受けた訳でも無く
安土で徳川家康の饗応にミスった訳でもなく、四国征伐よりも前ですから
やっぱり光秀さんは信長への恨みつらみが蓄積していたか、
主君に取って代わって天下を奪おうという野心に満ちていたんでしょうねぇ(何のこっちゃ)
ちなみに、コマンド入力は超速の神業レベルで行っておりますが、まぁ昔取った杵柄と言うか
若い頃に散々やり込んだ習性で、ホンマにこれだけのスピードで入力してます。
(別にRTA狙った訳じゃないんですがねw)
すっかり懐かしのゲームに浸ってしまい、つい本能寺の変を反則ワザでクリア (^ ^;
実際の修羅場で、こんな逃げ切り方はあり得ないんですが
まぁオールドゲームならではの制約で、光秀を撃退してしまいました。
あれ?この頁は再現写真の企画だった筈なのに、すっかり趣旨が変わって…(再)
もう一つついでに、今の動画で何人か信長の配下武将が登場しましたけど
(サル秀吉は本当にサル顔…)
細川藤孝の顔グラフィックがまるで幽霊のようだと、当時かなり話題になってました。
それがこちら→ (この画像は拡大図なし)
細川幽斎ならぬ細川幽霊…。
これ絶対に懐中電灯で下から顔を照らしているヤツだ (^ ^;;;
細川藤孝、デキる奴なんで個人的には大好きな武将なんだけど
この顔グラは写真で再現できないなぁ…(苦笑)←最後のオチはそこかよw
今宵はここまでにいたしとうござりまする m(_ _)m
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