★★★相州乱波の勝手放談 ★★★
#47 「どうする家康」で“描いてくれなかった事”
 




徳川家康 (C)KOEI とくがわいえやす
徳川家康。江戸幕府初代将軍。三河の弱小大名家に生まれた為、幼少期は人質として織田家・今川家に翻弄され
戦国の荒波に揉まれながら所領拡大と地位向上を進めていき、豊臣政権では大老筆頭の地位を確保。秀吉没後には
敵対勢力を関ヶ原合戦で一掃したが、そこからは政治的駆け引きを巧みに図り、絶対的権力者として君臨する。だが、
本来は主君に当たる豊臣家の処遇に頭を悩ませ、その処理を如何に行うか、そして諸大名(世論)の反応をどのように
抑え込むか腐心し、遂に最終的な勝利を掴む事になる。元和偃武の翌年、自らの役目を終えたかのように逝去。



【まずは前段…】


何度も言うが、拙者は関ヶ原合戦に関して東軍派である。

戦国武将は勝ってなんぼ、領地を獲得し家名を後の世に残してこそ本懐だと思っている。
「強き者が正義」とまでは言わないが、戦国の歴史に名が出るのは
やはり勝って勝ち残った結果があってこそだからだろう。
勝てない戦と知りつつも戦った者はいるだろうが、
わざと負けるつもりで戦った者は居ない。戦は勝つ為に行うものの筈だ。



と言う行を焔硝蔵#2話などなどで散々書き連ねてきましたが
2023年の大河ドラマは「どうする家康」、戦国最終勝利者である徳川家康が主人公。
イケメン俳優が主役だの何だのというのは置いといて、家康崇拝者としては見ない訳にはいけません。
遡れば1983年の大河ドラマ「徳川家康」が、拙者の大河ドラマ初視聴作品でしたし
それと見比べながら、「どうする家康」を1年間見てみました。まぁ、総じて振り返ると100点満点の65点?かな。
ちょっと辛目の採点にしてみたんですがね。正直、前半戦がかなりグダグダだったのを、後半戦で取り返した感じ。
歴史マニア(を自称する方々)からは、やれ「清洲城が中国の皇宮だ」だの「この時代に◎◎とは名乗っていない」など
「それはドラマとしての“演出”“分かり易さ”を表現しただけでしょ?」という「つまらないツッコミ」が噴出。
拙者はそういう点は別にどうでも良いと思ってて、例えば上杉謙信なんかは
「虎千代→長尾景虎→上杉政虎→上杉輝虎→不識庵謙信」と、何度も改名を繰り返している訳ですが
これをいちいちドラマの中で表現していたら、普通の視聴者は“ワケ分からん!”とアッと言う間に脱落しますがな。
常識的に、歴史本や伝記なんかでも「上杉謙信」の名で統一しているでしょ?
清洲城をちょっとオーバーな作画にしたのも「信長の異質さ」を視覚的に表現しているだけの事で。
それはあくまでも“演出上の設定”なんだから、ドラマ(歴史の流れ)の本質とは別次元の問題かと。
拙者が問いたいのは、そういう「見た目」「重箱の隅をつつく」ような点ではありません。
清洲城のシーン (C)NHK こちらがその清洲城のシーン。
確かに、何だか良く分からないだだっ広い広場の向こうに
数段の坂があり、その彼方に“宮殿”を思わせる御殿が。
戦国時代の清洲城は川に囲まれた曲輪の中に門や櫓が建ち
防御を固めていたので、こんな広大な空間はありません。
このシーンは、清洲城を敢えて大宮殿に見せる事で
信長の“尊大さ”や“格が違う”様子を演出しているだけの話。


歴史好きな人間からすると、徳川家康の人生は知ってて当然、常識中の常識なんだと思いますが
逆にそうでない方(一般視聴者)にしてみれば「徳川家康って…名前は知ってるけどどんな人?」くらいのようで。
そういう方に、家康公の偉大さを知らしめるにはイケメンさんが一年をかけて家康公の人生を描くというのが
絶好の機会だと思うのですがね。だとすれば、脚本の重要さは言を俟たない訳ですけど
年頭の初回放送から順に見て行ったら…家康の人生を知っている方からすると「これ本当に年末で終わるの?」と
少々、いやかなり心配になる程のスローペース。いや、三河時代の苦労を存分に描いてくれるのは良いんだけど
この調子じゃ最後まで行かないんじゃない?もしかして関ヶ原で終わり?いやもっと前で終了?かと。
えー、でも、報道発表じゃ家康の薨去まで描くって言ってたし…本当に間に合うの?と悩む次第。
既にこの時点で「だとすると、きっとああなるんじゃないかなぁ」と、何となく先行きが読め(てしまっ)たんですけど。



と言う事で、ようやく、満を持して、徳川家康の事績について勝手放談をしてみます! (^ー゚)v



「どうする家康」序盤戦では、最新の学説が盛り込まれて今川家の人質待遇が決して悪いものでは無かったと表現され
今まで全く取り上げられるような事もなかった東条城や上之郷城の攻防戦が出てきたり(城マニアとしては嬉しい限り)
三河一向一揆も時代背景や社会情勢からじっくりと作り込んで分かり易くなっていたりと、良い所も数々ありました。
夏目吉信が三方ヶ原合戦で身代わりとなったシーンなんか、泣けましたねぇ。数々の三河武士の中でも
夏目吉信って誰?という、ちょっとマイナーな武将がわざわざ登場して、そりゃ当然三方ヶ原の為に出て来るんでしょ?と
想像させられつつ、マイナーだから全然名前を憶えて貰えない…というコミカル設定なのかと思ったら
実はそれが壮大な伏線だったというあたりは、脚本の勝利だと唸らされました。まぁ、史書に残る身代わりの状況とは
かなり異なる筋書きでしたが、それはドラマという事で良しとしましょう。(自称マニアの方々はそういう所を嫌うんでしょうが)
上之郷城攻略戦のシーン (C)NHK
実際の上之郷城址にて
上之郷城攻略戦のシーン。リリー・フランキー演じる久松長家が
主郭下の堀底で攻めあぐね撤退する(ように見せかける)場面ですが
あれは本気で撤退だった…じゃなくて、左手の主郭と右奥の別郭が
険阻に聳え、攻め手を撃退する城の構造が見て取れます。
実際の上之郷城址では、多分ここ?と思われる場所の現状が下の写真。
左の藪の、そのまた奥に一段高い城山があって主郭を成し
右奥へ進むと、東郭が待ち構えている分岐点です。
ドラマほど険峻な地形ではありませんが、往時はきっとそれなりに
作り込まれていた筈なので、もっと凄い構造物が並んでいた事でしょう。




吉良東条城が燃え落ちるCGも、実際の場所を知っていると
「これ小牧砦から見たアングルとほぼ一致じゃない?」とか
なかなかに楽しめました。本当の城攻めで焼討ちは滅多にしませんが。
(小牧砦は東条城攻略時の家康本陣だったと伝わる砦です)
清洲城の映像は叩かれてましたが、いや別にそれ以外は
むしろ良く出来ていたんじゃない?と、これは個人的感想。
あ、しつこくCG多用しまくっていた点は置いといて(苦笑)



一方で前半戦の致命的な点は、側室の「お葉」(西郡局)が同性愛者だったという設定と、正室・瀬名(築山殿)に関する
あれこれですわな。公共放送としては昨今のジェンダー平等という社会理念に配慮しお葉の人物像を考えたんでしょうけど
ハッキリ言って、大河ドラマにそれ要る?という感じです。仮にそれを描くと言うなら、例えば織田信長と森蘭丸とか
家康だって万千代(井伊直政の小姓時代)との噂があったり(実際には違うようですけど)、戦国時代ならではという実例が
いくらでもあるのに、わざわざお葉をそういうキャラにする必要は無い筈で。見ていて無理矢理感が際立ってました。
そして何と言っても瀬名の存在。通説では、家康と反りが合わなかった今川の押し付け女房は“悪女”とされてましたが
今回は家康と相思相愛の仲睦まじい夫婦という設定。いや、それは全然構わないのですが(そういう考察もアリだと思う)
ナカヨシ過ぎて、やれ御飯事(おままごと)に興じたり、今川家中に取り残された瀬名を取り返すのに2週も使ったりと
ちょっと瀬名に関して時間過多なんじゃない?とヒヤヒヤものでした。まぁ、瀬名一家を奪いに駿府へ忍びの者が
潜入するという話(第5話「瀬名奪還作戦」)は、むしろ本多正信や服部党の存在を印象付ける為のエピソードだとして
その後も、何かと言えば瀬名が瀬名がと、家康さんちょっと軟弱過ぎやしませんか?


※瀬名の奪還に関して
母の於大の方が「主君たるもの、家臣と国のためならば己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」と
家康に妻子を見限るよう迫るシーンがありましたけど、さすがにまぁそこまでキビシい事は言わなくとも
戦国大名たる家康さんが妻子に関してあんなにジタバタするのは、ちょっと見苦しいかなと。
覚悟を決めて今川家に対処したのが、実際にあった家康の行動だと思うのですがね。
「どうする家康」というタイトル通り、家康の(特に若い頃は)悩みや苦労をクローズアップさせたいのは
分かるんですが、今回の家康はあまりにも“情けない”姿が多すぎて辟易…。
一方で、家康にあそこまでキツい事を言っていた於大の方も、武田に人質として囚われていた
久松源三郎勝俊(家康の同母弟)が苦境にあると知ると(第16話「信玄を怒らせるな」)
「源三郎の身に何かあったのです…直ちに甲斐に忍び入り源三郎を救い出して参れ!」と
ヒステリックに、家康の命も訊かず大騒ぎ。あれ?なんか言ってる事が違くない??



そんな瀬名ちゃんが亡くなるまでの経緯に関しては、何と3週も使って(第23話〜25話)延々と放送。
えー?瀬名の奪還で2週使って、そこで更に3週も使って、全48話のうち5回も瀬名に使う?
どう考えても時間摂り過ぎでしょ。明らかに後半戦が端折られること確定ですよ。
しかも瀬名の理想を実現する事が家康生涯の目標になるという(それが話のキモなんでしょうけど)話にしても
築山の陰謀は「国と国がお互いに与え合えば、天下は平穏」そりゃ理屈であって、それが出来ない時代が
戦国時代だった訳でしょ?何を今更…という、時代の情勢を根底から否定する理念。
現代人なら当たり前の考え方ですけど当時は全くそういう状況になかった、「理想」を通り越した「夢想」で。
築山は御花畑―――と劇中で讃えられてましたが、いや、瀬名一派の頭の中が御花畑ですがな。


※厭離穢土欣求浄土
そもそも家康が三河で独立した時点で「厭離穢土欣求浄土」の旗印を掲げ
“戦乱を終わらせ、世を平和にする”と言う目標を決めているんだから
瀬名がフワフワした空想論を言わなくても、話としては進む筈なんだけど。
結局、「悪女じゃない形で」瀬名を死なせる筋書きがこうなったんでしょう。
だけどそれで3週分も使うのは、ハッキリ言って話数の浪費ですよ。
以前は瀬名と信康(家康嫡男)が武田に通じて、それを謀反として処断したというのが定説でしたけど
昨今は単純に家康と信康が不和になり(家臣も浜松派と岡崎派に分裂する危機)それに伴って
瀬名が処分されたという学説が有力になってますよね。ドラマの筋書きも、それを基本にすれば
良かっただけなんじゃ…。あんなに捻ったシナリオは不要ですよ、ホントに。



瀬名が亡くなってから、途端に話が面白くなったと言うのが個人的感想。家康の態度も堂々としたものになり
やっと「大河ドラマらしいドラマ」になりました。それまでは半分安っぽいファミリードラマでしたから。
「大河らしい」とか言うと、やれ「時代の変化だ」とか「そんな決まりはない」と反論されますが
でもやっぱり視聴者が大河に求めているのは、そういう事じゃないと思うんですよね。
時代の変化を取り入れつつ、でも王道の演出は削らないで作って欲しい訳で。
ですから本能寺の変〜小牧・長久手の戦い〜秀吉への臣従〜関ヶ原の戦いまでは
(細かい異論・反論はあるとしても)特段の不満は無し。何せここまでは“情けない家康”ばかりで
(「悩み苦しむ家康=情けない家康」ではないと思うのですよ)
むしろ松重豊さん演じる石川数正や、マツケンが怪演する本多正信の方ばかり見てましたから
ようやく、よーうーやーく家康が真の主人公になったと。しかし関ヶ原が終わった所で残り5話。
征夷大将軍になった、江戸幕府を開いてからの家康の事績が5話で済むの?
だいたい、大坂の陣(冬と夏ね)が控えているんだから幕藩体制の構築は2話程度?
えー、それってちょっと無理があるんじゃね?????







【ここからやっと本題!】


徳川家康の人生、色々に考察する局面とか切り口はあると思うのですが
時代背景と照らし合わせるならば、「豊臣秀吉による統一政権樹立」の前後で大きく切り替わる筈。
秀吉が関白として天下を統一するまで、と言う時代は「戦いに勝つか負けるか」がモノを言う時代。
「勝った者が権力を握り、敗者は葬られる」のが戦国の習いだった…ものの、
秀吉が政権を樹立すると、権力の駆け引きは「政治の舞台で」行われる事になっていきます。
この「秀吉の政権確立」と家康の動向が大きく関わっているのですが、つまり秀吉にとって最大の敵対者であった
家康が紆余曲折の末に豊臣家へ臣従した(1586年)事で、全国統一への道が開けた訳。よって、秀吉は
家康を最大限の配慮を以って遇し、それが大老筆頭の地位に繋がるのですな。

で、天下統一の後は政治の場で物事が動くようになり、当然それは秀吉没後も継承される訳ですが
結局、豊臣家臣団の中で「政治の綱引き」は“まだ戦国の遺風残る中”では力技で解決するしかなく
関ヶ原という戦いで決着されていく。その結果として大老・徳川家康が勝利し、天下は「豊臣政権の代行者」
家康が治める事になる。余談ですが石田三成が勝ったなら、そういう体裁にはならなかったから
早晩次の天下争いが起きたと思うのですがね。それは兎も角、家康が政治を牽引する「権力」を手にしたものの
形の上ではあくまでも「代行者」でしかない。となれば、むしろ家康が天下を治める正当性をも得て
「名実共に」天下人となる―――これが江戸幕府の開闢になっていく訳で。
朝廷工作を行い、武家の棟梁たる征夷大将軍に任じられる。更にそれが2代将軍・秀忠に引き継がれる事で
その「名実ともに天下人」という地位は、徳川家によって子々孫々まで続いていく。他の者には渡さない。
これで戦国の世に戻る事無く天下安寧が未来永劫続く事になる、と。

瀬名のエピソード云々など抜きにして、「厭離穢土欣求浄土」はここに果たされ
いよいよ天下は太平の時代となる…のですが、そうなると最後の障害は「豊臣家の処遇」です。
1586年に家康が秀吉に“頭を下げた”以上、あくまで徳川家は豊臣家より「下」な訳で。
武家の棟梁、名実ともに天下人となったのに、しかし豊臣家臣の形だけは拭い切れていない徳川家。
これを関ヶ原から、或いは征夷大将軍就任からの歳月をかけて何とか消し去る必要があったものの
されど“豊臣恩顧の大名は健在”“世論はまだ徳川幕府の確立より、関白豊臣家の存在を中心にしている”ため
それをじわじわと、しかし着実に“世の実権は徳川幕府に移った”と言う認識に変えさせていかねばならない。
そして最終的に豊臣家を上手く排除する、それには“どうする家康”というのが究極的な課題になる筈なのですが…。
ドラマでは、一番肝心なこの流れがすっ飛ばし!
やっぱりなぁ…やっぱりそこで遅れを取り戻すのかぁ。

関ヶ原から大坂夏の陣まで15年。
征夷大将軍になったから、ハイすぐに天下は切り替わります…とはいかない。1年や2年でもなく
5年経ってもまだ早い。10年過ぎてようやく少しずつ風向きが変わり、やっと15年でその時に至る。
しかし一方で、関ヶ原の時点で家康は既に59歳(数え年)。「人間50年」と謡った信長は49歳で炎に散り
天下人転じて独裁者となった秀吉も62歳で亡くなった状況で、果たして家康にあと何年残されているのか?
じっくりと天下の趨勢を変えていかねばならないが、しかし寿命という時間との勝負もあった家康。
本当に「タイムリミット」という点ではギリギリの綱渡りをしていた筈なんですよ。
ここぞまさしく「どうする家康」「どうなる家康」という局面。
幕府の権威浸透と豊臣秀頼の権勢回復(成長)、どちらが早いか、どちらが達成するかという15年なんですがね。

関ヶ原以後も、豊臣家に忠誠を尽くす武将(大名)は残っていて、代表的なのが加藤清正や福島正則。
他方、豊臣の世が終わった事を敏感に読み取って徳川家(幕府)への対応が重要だと気付いた大名も。
家康に忠実であった藤堂高虎なんかがそうですな。せっかく「どうする家康」にはこれらの人物が登場していたのですが…。
“15年”に彼らの動向を落とし込めば、高虎は関ヶ原直後から徳川家に従い、幕府への忠勤に励んだ一方
秀頼大事と思っていながら家康に逆らえなくなった清正や正則は不満を募らせつつも時代に流され
清正は1611年、秀頼と家康の対面に臨席した直後に病没。正則は清正の死に観念したのか
大坂の陣においては積極的に秀頼を助ける事なく(間接的には支援したとの説もあり)時代に消えて行く。
彼らの苦悩や決断を劇中に描けば、徐々に時代が豊臣から徳川へ変わった事を表現できた筈。

そうそう、「どうする家康」三河家臣団の中には大久保忠世も登場していましたな。忠世自身は関ヶ原の前に
亡くなっているので、それ以後は大久保家が表立って劇中に出なくなってしまいましたが
むしろ彼の子の大久保忠隣(ただちか)を登場させ、幕藩体制確立期にその一翼を成したものの
後に家康の勘気を蒙って大久保家が改易されるまでの流れを出せば
「三河譜代の名家でも、幕府の意向に逆らえば取り潰される」という“幕府の恐ろしさ”を示せたと思うのですが。
と言うか、普段はあまり取り沙汰されない大久保家(忠世)が大見得切って出ていたのはその為じゃなかったの?と
これに関しては夏目吉信とは全く違う期待外れの結果に、何とも勿体ない話…。

関ヶ原で勝利し、幕府を開いて最高権力者になった家康。方や、かつての“臣下”としてそれを認めない豊臣家。
両者の間で諸大名や世間は右往左往するも、次第に豊臣の旗色は悪くなり、秀頼を奉戴した清正が没し、
(できれば他の大名、浅野家や黒田家・池田家などの対応も見せればなお分かり易かったのですが)
高虎はむしろ幕府に食い込んで後の世を見据え、そうした中で三河古参の大久保家が取り潰される様子を見て
「徳川幕府には絶対逆らってはいけない」という大名統制も浸透していき、とうとう正則も口をつぐむ…。
それでもなお徳川に従わない豊臣は、遂に滅びの途を辿る―――と言う15年である筈なんですが、劇中では
秀頼の背比べで一気に10年を早送り!!!
えー?! そんなんで緊迫の15年を省略しちゃうんですかぁ?
高虎や正則は関ヶ原で出番終了ですかぁ?
清正に至っては「ナレ死」ですかぁ?
せっかく“世情を体現してくれる武将”を揃えておきながら、まるで使い捨てのような消し去り方…。
秀頼の背比べ (C)NHK 「柱のキズは一昨年の 五月五日の背比べ〜♪」と言った具合に
秀頼の成長を柱に付けた背の高さの傷が増える事で表現し
1年また1年とカウントアップさせた「10年分」。
いや、この10年の間に幕府の権威は絶大なものになって
誰も、朝廷さえも徳川家には逆らえなくなって、それが
大坂の陣において諸大名が全く豊臣方には付かなかった結果に
出るのですが、そういう“政治的な駆け引き”は全くの度外視。


秀頼の処遇というのも、家康は散々に悩んだ筈なんですよ。
かつて、自分が秀吉から「臣下にさせられた」経験を踏まえた上で、如何にして豊臣家を御するかを考え
二条城の会見で「秀頼は徳川傘下には収まらない」と確信し(このあたりはドラマでも描かれましたが)た後は
どのようにして豊臣家を“綺麗に抹殺するか”という筋書きを推敲したであろうか、そこがキモなんですけど。
形の上で“豊臣家に従っていた”家康が秀頼に手を下してしまったら、明確な「主家殺し」になる。
しかしそれを秀忠や家光と言った次代に繰り越してしまったら、徳川家歴代に及んで汚名が続く。
ましてや、秀忠や家光が「その決断」を下せるのかも疑問だし、そうしている間にいよいよ秀頼の権勢が回復しては
再び天下が二分され、大乱になる事は明らか。だとすれば、家康は“自分一人が泥をかぶる”覚悟で
何としても自身の存命中にそれを成し遂げないとならない。天下に誰も逆らえない権力者となった(これに15年かけている)
家康が、その立場を以って“誰にも文句を言わせず正々堂々と主家殺しを行う”、そしてその汚名は一人で墓に持っていき
以後の徳川将軍家は穢れなく盤石の体制で天下を統治していく、このシナリオが必要となる訳ですな。
だから自分が戦の指揮を取れる間に、大坂の陣は決着させないといけない。そんな苦労があったでしょう。
あー!「どうする家康」というタイトルなら、この苦悩をもっとじっくりと描いて欲しかったのに〜!! (><)


一般的な世の中の認識、特に“西軍スキー”なアンチ家康な人からすると
「家康はタヌキ親爺」「腹の底で何を考えているか分からない陰険な策謀家」みたいに見られると思いますが
「どうする家康」では、家康の心理的負担をメインに据えていたので、むしろ「これだけ悩んだ結果だ」という事は
良く分かったかと。その点に関しては不満とか文句はないんですがね。
っつーか、「人の言う事を聞かない信長」と「自分勝手な独裁者となった秀吉」の描写は
「あれが実際の信長・秀吉でしょ」と、実に的を得た人物像だったと思いますよ。
とかく「信長は稀代の英雄」「秀吉は天下を治めた天才」と讃えられますが、実際ああいう感じでしょ。
だから織田政権はあっという間に崩壊したし、豊臣政権も秀吉に振り回された挙句瓦解した訳で。
特にムロ秀吉は秀逸でしたな。身分が低い頃は媚びへつらって下手に出て相手に取り入り
権力を掴むや否や、急にやりたい放題に増長していく。西軍スキーの人はどうも“豊臣家の本質”を見誤っている
あるいは無視しているようですけど、本当に腹黒なのは家康ではなく秀吉の方ですわな。
天下安寧の視点から、つまり家康目線であの時代を見てごらんなさい。秀吉の方こそ、極悪非道な暴君ですから。
家康は厳しい統制を行ったかもしれないけど、決して暴君ではありません。
それが150年続いた戦国時代を終わらせるのに必要な手法だっただけの事です。


1983年の大河ドラマ「徳川家康」では、主役の家康を清廉潔白な武将として描いたので
豊臣家との対立はあくまで“行き違い”と言った筋書きになってましたが、それは甘い。
家康の、徳川家の目線から見れば豊臣家は「ラスボス」絶対に倒さねばならない魔王なんですよ。
「徳川家康」では艱難辛苦を乗り越える家康に重きを置いていて前半戦がヤマ場でしたが、後半戦は“理想論”でした。
今回の「どうする家康」は前半戦が“理想論”で飛んでしまい、ようやく後半戦が面白くなったのに
最後の最後で「難しい政治劇は無視」というような大暴投!家康ファンとしては、そこが非常に残念でした。
だからね、やはり瀬名ちゃんに何週も時間をかけ過ぎたんですって。
いや、別に有村架純ちゃんが悪いとは申しません。今回のドラマでは「悪女」ではなく「聖女」の瀬名でしたから。
そういう意味では、キャスティングは良かったと思いますよ。
でもドラマ全体のバランスを見るならば、やっぱりA級戦犯は瀬名の存在ですわな。
あ、だから最終的には悪女なのか…(そこかよ)







【その他、中途半端に消えて行ってしまった人々】


角田晃広さんが演じた大草松平昌久が序盤戦の“アテ馬”だとは思ってましたけど、
亀姫が嫁いだ奥平信昌はもっと使い所があったんじゃないかなぁ…。同様に、督姫も北条氏直から離縁させ
その後は池田輝政へ嫁いだ事に繋げれば、上記したように“池田家が豊臣家から距離を取った”バックボーンを
描けたと思うんだけどね。
そうそう、せっかく小松姫(本多忠勝の実娘、家康の養女)を真田信幸に嫁がせ
関ヶ原の折に沼田城で義父・真田昌幸を追い返すシーンまで描いたのに、
その昌幸を助命するため忠勝と信之(信幸から改名)が家康と談判する名場面はカットでしたな。
まぁ、家康のストーリー的には昌幸を殺さなかった判断はむしろ致命的だったから
筋書きには入れられなかったんでしょうが、でも逆に視聴者に対して「何で昌幸を生かしておいたの?」と言う
説明としては有効だったんじゃないかなぁ?
と言う感じで、「結局あの人はどこ行った?」みたいな消え方が多かったのが勿体なかったかなぁ。
毛利輝元や上杉景勝も、最後に大坂の陣で「もはや徳川家には逆らえん」と登場させる手もあったろうに。
今川氏真はあれほどしつこく引っ張ったのにねぇ(爆)
逆に竹千代(徳川家光)の登場は良かったかな。例の「ウサギの絵」をそう使うとは!あの筋書きは上手い!


※例の「ウサギの絵」
2019年、府中市美術館での展覧会に出展された「兎図」について
詳細調査したところ、徳川家光の描いた絵だと判明。その兎図と言うのが
美麗な名画…ではなく、どちらかと言うと「ヘタうま」「ユルふわ」と言った感じの画風。
歴史の教科書に出てくる家光の事績と言えば「参勤交代」「老中制確立」「鎖国完成」「島原・天草一揆」と
どれも強権的な話に尽きるのですが、その家光が(他の作品も併せて)随分と独創的な絵を描いていた事で
そうした人物像が、180度転換するような評価に(笑)
その、話題の「兎図」になぞらえたように「どうする家康」最終回で家光のウサギの絵が登場し
さんざん、家康を“白兎”と評していたストーリが帰着した脚本。これは「座布団1枚!」と言ったオチでした。
ドラマでの「兎図」 (C)NHK

上:ドラマで使用された「兎図」

右:実際の新発見「兎図」
実際の新発見「兎図」







【最後に余談】


戦闘シーンの大半にCG映像が使われていて、そういう意味では従来の大河ドラマに比べて
圧倒的に「野外ロケが少ない」戦国大河になりましたが、やっぱりある程度は外でのロケをして
“野戦の空気感”“開放的な空間の広がり”を見せて欲しかったなぁ…と思ったのですが。
本当に外で収録したシーンって、初回に大高城から逃げ出した家康を連れ戻しに本多忠勝が海まで
追ってきた所と、第3話「三河平定戦」で酒井忠次と石川数正が家康に今川家への見切りを懇願し
田圃の中で土下座した場面と、第26話「ぶらり富士遊覧」で信長と家康が馬で遠乗りした所くらいですかね?
あとはスタジオの中で遠景を映し出して撮る手法ばかりだったような気がします。
CGは良く出来ていて迫力ある合戦だったりはしましたが、でも違いは歴然としているんですよねー…。

でもまぁ、その“CGの秀逸さ”は評価すべき所ですし、中でも一番際立って良かったのが
大坂冬の陣における砲撃戦の映像。もちろん、今までの大河ドラマでも大筒を撃つ場面はありましたが
如何にも「ハリボテ大砲から煙が出る」だけの映像で、全然リアルさが無かったんですよね。
その煙も、爆風というような風圧がなく、ただ煙が上がるだけだし。
しかし今作の砲撃では、ようやく「発射の反動で大砲が飛び跳ねる」ように描かれるようになり
本当に“砲弾が飛び出したんだな”と言う感じで見られるようになりました。
だって、ただ煙がボフっと出るだけじゃ全然運動エネルギーが感じられませんもの。
リアルに弾が射出されるなら、当然その衝撃が砲身にかかる筈ですから、そういう画じゃないと…ねぇ? (^ ^;
迫力の砲撃映像 (C)NHK 大砲も装飾を施していたりして、なかなか造作が細かい。
そんな輸入大砲をズラリと並べ一斉射撃を行ったこのシーンは、
従前の砲撃場面より格段に迫力が増し
これなら大坂城本丸に届くかも?と思えました。
まぁ実際はドラマで描かれたほど大量に命中した訳でなく、
「まぐれ当たり」的にヒットした弾が、偶然にも天守に当たっただけ。
もっとも、それで淀殿がビビって講和に至るのですから、
大砲の用途としては「見事に当たった」という処でしょうな。


余談の余談ですが、真田丸の攻防戦は家康が命じた訳でなく
勇み足で敵中に飛び込んだ前田勢・井伊勢などの「勝手な失敗」だったと思うのですが
最近のNHKさんは真田の活躍を誇張したいのか、家康が策に嵌ったかのような筋書きが多いですねぇ。
これもどうなの?と、ちょっと納得いかないのですがwww




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