2022年7月30日(この原稿を書いている当日)、茅ヶ崎市に新しい博物館がオープンしました!
もともと、茅ヶ崎には「茅ヶ崎市文化資料館」がありました。しかし設備の老朽化や収蔵庫の不足、
新たな遺跡調査結果の発生などに伴い、新しい施設が必要になったとの事。で、今日のこの日に至った訳です。
旧来の「文化資料館」は我が家から遠く、車で行くにも駐車場所が無いので全然行かなかったんですけど
新しくできた博物館は自転車で行ける距離なので、真夏の暑い日ではありましたが
物は試しに、開館初日に行ってみよう!と思い立って、早速見て参りました。
初日は11時オープン、という話だったので、ちょっと早く行って開館のセレモニーでも見ようかと考え
家を早めに出たんですけど、現地に到着したのは10時半。ありゃ、いくら何でも早過ぎたかと思ったんですが
係員の方が言うには「準備が出来たのでもう開業しちゃいました、中へどうぞ」との事。
え?オープニングイベント的なものは終わっちゃったの?と少々残念ではありましたが
まぁ暑い中で30分待つよりも、さっさと入館できるならそれで良いかと頭を切り替えて、いざ!

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10:30到着
自転車やバイクがチラホラと停まってます。
同じように早めに来た方が既にいらっしゃるようで。
ちなみに、駐車場はまだ出来ていないそうで
当面の間、自家用車での来訪は不可です(苦笑)
ご覧の通りバス停は目の前にあるので、
公共交通機関での来訪は簡単w
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帰宅してから知りましたが、やっぱりイベント的なものがあったらしく
某・超有名地元議員(ほら、大臣経験者の…ネットスキルが異様に高いアノ方です)が来ていたとか。
道理で市の職員さんが山ほど居た訳だ(爆)
まぁ別に議員さんに興味は無いんですけど、何か面白い事でもなかったかなぁとw
と言う事で中へと参ります。立派なエントランス…。

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茅ヶ崎市博物館 エントランス
その名も「茅ヶ崎市博物館」!
立派です。綺麗です。オシャレです。
ちょっとこの場所には似つかわな…いや、何でもない。
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博物館だと、館内の撮影は不可かな?だとしたらデカいカメラを持って行っても無駄だなと思い
いつもの一眼レフは家に置いてきたんですけど、入館の際に係の方にお訊きしたら
「一部展示品を除いては撮影OKですよ」との事。やっぱり最近はSNS投稿でバズらせたいから
博物館も撮影許可を出してくれる所が増えましたね。と言う訳で、今回は全部スマホで撮影。
と言うか、ゴツいカメラを持ってきてガシガシ撮っている方、いらっしゃいましたねぇ(笑)
サマリー展示
入口を入った所がこんな感じ。
立派です。綺麗です。オシャレです。
ウッド調の天井。パステルカラーの壁紙。
まるでショッピングモールの
ショーウィンドウみたい (^_^)v
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そんなサマリー展示をいくつか。
こちら、注連縄?それに版木?
何となく文化財だと言うのは分かるのですが…
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おっ、高札?木簡も??

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土器とドングリ…という繋がりは
何となく理解できるけど、トンボ???
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戦時統制下で菓子販売も
許可が必要だったそうで
その時代の貴重な証言者
「切符菓子販売所」の看板。
で、傍らには植物標本…?
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どうやら、単純に「歴史博物館」という考え方ではなく、茅ヶ崎の風土や自然環境に即して
歴史・文化・自然科学を有機的に組み合わせた展示を行っているようです。昔風に言えば「本草学」?
いや、現代だと土地由来の総合人文学「茅ヶ崎学」という感じですかな?
だから「歴史博物館」「科学博物館」じゃなく「茅ヶ崎市博物館」なんですね。
パネル展示がそれを物語っています。
地形展示
だからこんな物も。茅ヶ崎市域の地形を
透明立体模型で展示しています。
この土台部分がモニタになっていて
時代ごとの海進や河川表示が
切り替わりで表示されるようになってます。
これ、良いですね! (^-^)
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日本最初期のサーフボード
そしてこんな物も。茅ヶ崎と言えば海、サーフィン。
明治末期〜大正頃でしょうか、ハワイからこうした
サーフボードを取り寄せ、波乗りをする文化が
花開きましたとさ。まぁ、オイラは根っからの
茅ヶ崎市民ですけど縁がありません(ドッカーン!)
あぁ、ちなみにレプリカ展示です念のため。
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では展示室の中へ!(前振り長いよw)
もちろん全部の展示を紹介する訳にもいかないので、主なモノ(オイラの興味あるモノw)を掻い摘んで。

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相模川水運
茅ヶ崎と言えば相模川。河口に面した町ですから
海と川との結節点、それを用いた水運や交通管制が
切っても切れない間柄。茅ヶ崎の旧家・藤間(とうま)家って
廻船で財を成した家だったのね(それ知らんかったw)
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相模川鉄橋のレンガ部材
明治期の東海道線鉄橋で用いられた
レンガ部材も。え、鉄橋なのにレンガ?
まぁ、屁理屈は置いといて…これって鉄ネタなのか? (^ ^;
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烏帽子岩ジオラマ
茅ヶ崎と言えば烏帽子岩。え、知らんって??
サザンオールスターズも歌っているでしょ?
「♪烏〜帽〜子〜岩が遠くに見える〜♪」(チャコの海岸物語)
「♪遠く遠く離れゆく烏帽子ライン〜♪」(希望の轍)
市民としては見慣れた日常の存在なのに
ジオラマにすると全然別物に見えて不思議…。
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サザンオールスターズ
ほら、これこれ(笑)
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下寺尾官衙遺跡群
そしてコレ。我が母校の地下遺跡。
市としては今いちばん売り込みたいネタみたいです。
でも全然整備が進みませんけど…。
詳しくはこちらでw
(↑この話題から既に7年が過ぎましたけど、全く進展ナシ)
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下寺尾官衙遺跡群 編年表示
ほらほら、こういう感じで展示も充実。
ホントに、早く発掘調査を進めて欲しいものですが…。
と言うかね、学生時代にオイラも掘ってみた経験が懐かしい。
(いたずらに掘ったんじゃなくて、ちゃんと学校活動として発掘したのね)
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野鳥の観察
こんな感じで自然観察の展示も。
すいません、この関係は全然詳しくないので
「そんなのもあるよ」というだけの話で(滝汗)
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東海道
茅ヶ崎と言えば東海道。往時の松並木が現在も(少しだけ)残り
一里塚、南湖の左富士(東海道の名勝だったそうで)などなど
今なお色々と語り継がれている―――何より、国道1号線が
現代でも大幹線道路として現役ですしねぇ。
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ちなみに、真ん中の浮世絵↑は14代将軍・徳川家茂が朝廷に押し切られて渋々上洛する時の光景。
幕末動乱の1シーン、相模川を舞台に記録が残されたんですよねぇ。
他にも古代出土品の勾玉があったり、近代の南湖院(結核療養施設)の話があったりと
「あぁ、そう言えばそんなのもあったねぇ」と遠い記憶を呼び起こしてくれる展示内容。
でも全体的にライトな感覚なので、初心者向き…と言うか子供でも(何となく飽きずに)見られる雰囲気。
そういう展示を目指したんでしょうねぇ。上級者にはちょっと物足りないかもしれませんが。
で、ここからは企画展の内容を。今年は大河ドラマで鎌倉御家人の話が取り上げられているので
博物館でも「『鎌倉殿』の時代の茅ヶ崎」と言うテーマで展示しておりました。
馬入川橋脚模型
茅ヶ崎と言えば馬入川橋脚跡。え、知らんって?
まぁこれは余程の歴史マニアじゃないと知らんか…(汗)
鎌倉時代に架けられていた相模川の橋脚が、
関東大震災の時に液状化現象で地上に出て来たもの。
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源頼朝が落馬し、それが元で亡くなった?と言われるのは
この橋の開通記念式典に参加し、鎌倉へ帰ろうとした時の事。
大河ドラマでも、ここがじっくりと描かれておりましたな。
橋脚部品?地鎮具?
その橋脚に使われていた部品?と思しき鎹(かすがい)。
そして地鎮の為に収められた古銭。
現代とは工法も部品も全く違い、
“中世”を感じさせる展示物です。
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しかしね、茅ヶ崎の鎌倉御家人と言えば懐島景能(ふところじまかげよし)こと大庭景義ですが
大河ドラマではこれっぽっちも登場しませんでしたな。頼朝に奥州征伐を決心させた
股肱の家臣だった筈なのに…弟の大庭景親(かげちか)があれだけ敵対勢力として
大活躍しちゃったから、兄貴の出しようが無いって事だったんだろうなぁ(泣)
でもね、隣町(寒川町ゆかりなのね)の梶原景時があんなに、あーんーなーにフィーチャーされたんだから
茅ヶ崎市も景義を登場させるよう、もっと働きかければ良かったのに…まぁ今更だけどね (TヘT)
と言う愚痴ついでに、博物館の展示にも幾つか物申したい点が。

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高札
高札。展示品だから本物…の筈ですよね?
文面を読んでみると「王政御一新…」で書き始め、
「太政官」の名で発出されているようなので
明治維新の時、王政復古の掲示らしいのですが
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面白そうな内容なんですが、ご覧の通り現代訳がどこにも示されていません。
これは片手落ちでしょう!こういうのって、普通はどんな文面なのか載せますよねぇ?
今すぐにでも現代語訳を印刷して、隣に張り付けて頂ければ(苦笑)
それともう1つ。この博物館、浄見寺(じょうけんじ)と言うお寺のすぐ傍に建てられているんですが…。
この浄見寺、大岡家の菩提寺。大岡家って?そう、江戸時代の名奉行・大岡越前守忠相の大岡家ですよ。
忠相さまのお墓も勿論あります。と言うかこの地域、大岡家の所領として代々引き継がれていました。
なのに!
大岡家に関する展示が全っっったく無い!どういう事?
この場所を選んだんだから、当然それを狙っての事なんじゃないの???
茅ヶ崎の偉人と言えば、桑田佳祐・加山雄三そして大岡越前じゃないんですかいな!
どうやら年間で数度の展示替えを予定しているので、いずれは大岡家の話も出る(かも?)んでしょうが
いやぁ、下寺尾官衙遺跡群や馬入橋橋脚痕(つまり古代や中世)を取り上げてばかりで
江戸時代(近世)の話がかなり抜け落ちているような感じは否めない―――と言うのは如何なものかと。
Oーちゃんさんからの受け売りだと、江戸時代初めに大岡家の初代が徳川家康から200石でこの地を賜った所、
仙台から駿府の家康の元へ向かっていた伊達政宗(62万石の大大名)が、道中ここで鷹狩をしようとし
「家康様から貰った俺の土地で勝手に鷹狩するんじゃねぇ!」と追い払われたとか。それを政宗が家康に話したら
「大岡は無骨者なので、許してやって欲しい」と言われ丸く収まったそうで。200石の旗本が62万石の大名に
喧嘩を売るなんて、相当に偏屈者だと思うのですが…。とまぁ、嘘か真か分かりませんが大岡家に関しては忠相だけじゃなく
色々と面白そうな話があるので、是非取り上げて貰いたいものです。
少々不満を述べさせて頂きましたが、全体としては良い雰囲気の博物館でしたよ。
これから展示替えを頻繁に行うと言うならば、それを楽しみに待ちましょう。
兎にも角にも、立派です。綺麗です。オシャレです。これ重要!
堅苦しかったり陰鬱なイメージだと、誰も見に来ませんものねぇ。
M69焼夷弾
最後にこんな展示物を紹介。太平洋戦争中に落とされた
焼夷弾の弾体です。茅ヶ崎近辺にも軍需工場があったので
いくつも落とされたようですが、城マニアとしては…
コイツが姫路城大天守に飛び込んだヤツか!
そして名古屋城を焼き尽くしたヤツか!!! (▼▼メ
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現代も世界各地で紛争が繰り返されていますが、人命や貴重な文化財を滅失させるのは愚かな行為です。
ってな感じで見学を堪能。こうした展示室の他、開放的な図書室なんかもあって
子供が夏休みの自由研究なんかを学習するには、手ごろな博物館でした。
これからの展示が充実するのを期待してます〜★

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博物館全景
リゾートコテージをでっかくしたような建物。
スタイリッシュです。誰が設計したんだろ?
ちょっとこの場所には似つか(以下略)
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そんな訳ですので、皆様も是非この博物館へお越し下さいませ〜★(と、宣伝してみる)
(2022年7月30日 19:50 校了)
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