能登国 末次城

所在地:石川県鳳珠郡能登町字行延・字不動寺
(旧 石川県珠洲郡内浦町字行延・字不動寺)
■■駐車場: なし■■
■■御手洗: なし■■
遺構保存度:★☆■■■
公園整備度:☆■■■■
別名で行延城。能登半島中央部、能都町にある小さな山城。
砦といっても差し支えないかもしれない。
松波城の出城として機能していたとの事で
築城者は松波畠山氏(松波城の頁を参照)の始祖・畠山義智。
1577年(天正5年)9月、上杉謙信が能登に侵攻した際
松波畠山氏の配下武将・末次甚右衛門がこの城を守っていたのだが
畠山軍と共に地元の土豪がここに籠もって防戦、
頑強な抵抗をしたと言われており申す。
地理的要素から考えるに、城山の頂部からは眼下に
国道249号線(松波方面への進入路)を監視することができるので、
松波を守る支城という条件としては
西側から侵入してくる敵に対する格好の足止め拠点となったでござろう。
しかし、上杉軍の将・長沢光国の猛攻を支えきれず落城。
その後の経歴は良くわからないが、いつしか廃城となったようだ。
さて、戦国期以来長年に渡って放置されていた城跡であるが
近年になって地元有志らが町おこし事業の一環として
城址の整備を行うようになり申した。木郎地域づくり連絡協議会という
この有志団体(木郎はこの周辺の地区名)は、集落の地縁団体として
地元の農林事業を中心に据えた地域活性化活動を行っており
郷内河川の水質改善、廃校となった小学校での農具展示・文化活動、
水車小屋建設、梅栽培を利用した地域交流などの実績を挙げている。
これら活動に加える形で、末次城址の山に生える草木の手入れや
間伐・植栽を行い、遊歩道を整備するようになり、
それらを総括して城址の保全に取り組むようになった。
その結果、松波城址は史跡として再生し、1999年(平成11年)に
当時の内浦町指定史跡となったのでござる。
また、数々の地域貢献事業を行った木郎地域づくり連絡協議会は
2004年(平成16年)に農林水産省から
豊かなむらづくり表彰事業・農林水産大臣長賞を受けている。
写真は史跡整備によって設置された山頂本丸の城址石碑。
現存する遺構
堀・土塁・郭群
城域は町指定史跡
松波城
福井城