能登国 松波城

所在地:石川県鳳珠郡能登町松波
(旧 石川県珠洲郡内浦町松波)
■■駐車場: なし■■
■■御手洗: なし■■
遺構保存度:★★■■■
公園整備度:★☆■■■
悲恋の物語から名づけられた恋路海岸。そこにほど近い松波は
旧内浦町の中心街で、「能登名蹟史」の中に
「鵜飼ヨリ一里十六町。上リノ馬次ギヤ。家数三百軒余リ、
此郷ノ大村ニテ昔ノ城下ナリ」とある。
松波城は能登畠山氏3代義統が内浦丘陵の飛鶴台に築いた城で
義統の3男義智を城主としたものでござる。
七尾城が上杉謙信により落とされた際、松波畠山の6代義親は
夜陰に紛れて松波城に帰還して一族と共に討ち死にした。
城は垂直に近い斜面の丘を利用した縄張りで、
現在も堀や曲輪の跡が見てとれる。
今では廃線となってしまったが、のと鉄道の線路は
この堀跡の窪みを通っていて、松波駅は目と鼻の先にあった。
また、畠山氏による尚武の気風を伝えるべく、
本丸跡には武道館が建てられている。
なお、大手門を入ったすぐ左手に室町時代のものとみられる
枯山水式庭園跡が発掘されている。
現存する遺構
堀・土塁・郭群
移築された遺構として
万福寺山門(伝松波城搦手門)
津幡城
末次城