城を囲う障壁が柵・塀である。
鎌倉時代以降の武家居館は四周を塀で固め、
戦の舞台となる場所には至る所に柵を作り敵を足止めした。
城を守る塀についての頁である。

塀の材質
平安末期〜鎌倉時代の武家居館は板作りの塀で防備したが
敵の破壊工作や飛弾、火災には弱かったため
次第に工法の変化がみられるようになる。
板塀の上に屋根を付け、厚みを増し、支え柱を取りつけ
防弾のために板上に羽目板を重ねたりした。
また、二重の板で塀を作り、
板と板の間を砂・粘土などで埋める「太鼓塀」といった方法も考えだされた。
板塀での耐久性・防火性の限界を克服するべく
考え出されたのが土塀である。
城郭の土塀には様々なものがあるが、
近世城郭で最も多く使われたものが漆喰塀であろう。
漆喰で塗りこめた漆喰塀は耐久性・防火性に優れ
白い塀は外観的にも優美で堅固な雰囲気を醸し出す。
地域によっては白漆喰の壁面に瓦を張りつけて
耐久性・防火性と共に耐湿性も強化した「海鼠(なまこ)塀」なども登場。
(海鼠塀の写真は「大天守」新発田城の頁を参照)
漆喰塀の他にも、粘土を突き固めた「練塀」や
礫・瓦を積み上げて固めた「築地(ついじ)塀」の例もあり、
城郭の塀には色々な種類がある事に注目したい。
面白い例では米ぬかを使った塀があり、
籠城戦の時に壁を削って急場の食料とできるものまである。
(実際に役に立つかどうかは甚だ疑問だが?)

狭間(さま)
城の周囲をがっちりと塀で囲むのは防衛力の強化となるが
城内から応戦するためには邪魔となる場合もある。
かといって塀を撤去しては城兵が敵の攻撃にさらされ
城の防備はがた落ちとなってしまう。
城兵が攻め手に身を見せることなく応戦するために作られたのが狭間。
塀にとり付けられた射撃用の窓である。
狭間には矢狭間と鉄砲狭間があり、
それぞれ矢を撃つ時の狭間と鉄砲を撃つ時の狭間で
用途によって形状が異なる。
矢でも鉄砲でも狭間には変わりないのでは?と思うかもしれないが
射撃時の視角や動作によって必要な空間が違うのである。
必要以上の空間は却って敵に身をさらすことになるため
矢狭間と鉄砲狭間は作りを変えてあるのである。
なお、狭間は石垣に直接作る場合もある。これを「石狭間」という。
矢狭間と鉄砲狭間
三角形:鉄砲狭間 長方形:矢狭間
鉄砲狭間には円形、正方形のものもある
石狭間
岡山城の石狭間 塀ではなく石垣に切り欠きがある

塀の仕掛
敵兵をよせ付けないための塀である。
ただ単に建ててあるだけでなく、
さまざまな仕掛がなされる事もある。
代表的なものを挙げると、
釣(つり)塀・剣(つるぎ)塀・石落しといったものがある。
釣塀は塀の表面を偽装して釣落としにしたもので
登ってきた敵兵が塀に手をかけた所で塀ごと叩き落すもの。
釣塀
剣塀は塀の壁面や軒に刀の刃を埋めこんだもので
忍び返しとしても有効なものである。
名古屋城剣塀
石落しは塀に張り出しを作り、そこから文字通り
石を落とすものと軍学で定義されているが
実際の運用では槍で突いたり鉄砲で銃撃して敵兵を倒す仕掛。
塀だけでなく櫓や門にも作られる。
浜松城石落し




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