1999年2月 山梨山岳紀行

旅行期間:1999年2月9日(火)

主な滞在地
2月9日(火):岩殿山城・恵林寺・西沢渓谷・三富湖
山梨山岳紀行行程地図


或る冬の平日、たまたま休みで予定のない日ができてしまった。
拙者の友人・とんび氏も同じ日に空きがあるという事だったので
何とな〜く2人連れ立ってドライブに出発したのでありました。
行く先もたいして決めず、成り行き任せに車を走らせた我々は
「ま、とりあえず山梨にでも行ってみるか」と北上を開始。
国道129号線から412号線へ移り、相模湖駅前の交差点で20号線へと左折、
そのまま甲州街道を西へ向かって神奈川・山梨県境を越えるかすこば一行。
所々に古い街道の町並みを残す国道20号線の旅を楽しみながら
大月にある岩殿山城を攻略しよう、という事を車中会議で決定。
名所として知られる猿橋はあっさりと素通りし(ォィォィ)
大月市街地に入ったところで右折。その途端、目前に岩山が立ちはだかった。

岩殿…山…って…。ホンマに岩山や。しかも絶壁。
下から見る限り、ほとんど垂直に切り立った「壁」だわな。
こんなに凄い岩山、普通登ろうとは思わんよなぁ。
それでもこの山、城跡だし…。って言うか、よくここに城建てるよなぁ。
まぁ、それだけ険しい山だから城を造ったんだろうけどさぁ。
山の下でしばし唖然としていたかすこば&とんびの2人組であったが
何はともあれ、せっかく来たんだから城攻めせねば!と奮い立ち
登山口へと向かったのでありました。駐車場に車を停め、まずは麓の
丸山公園へ。ここには岩殿山城への入口となる門と櫓が復元されている。
櫓の後ろにそびえる山を見ると、改めて険しいなぁという思いひとしお。
その櫓の裏から伸びている細い道が岩殿山への登山道だ。
かなり急勾配ながら、階段が整備されているので登るのに難はなさそう。
意を決して、いざ城攻め登山に歩を踏み出したのでありました。

確かにあの岩肌は登れないけれど
(クライミングされる方はどうぞ、と言っていいのかな?)
この登山道はきちんとした道なので、なんとか登れなくはない。
メチャクチャな急勾配を覚悟していたものの、思ったほどでもなさそうだ。
それでも時折後ろを振り向けば、かなりのペースで上がってきているのが
実感できますな。戦国ゲームの類では、騎馬隊でガンガン城攻めする状況が
よくあるが(システム上仕方ないのかもしれないけれど)
こんな細くて急な所に馬が入れるはずがないやね。
さすが「天然の要害」と言われる場所だけはあります。
城マニア的には結構な高得点をつけたくなる城であります。
そうこうしている間に、山頂付近に近づいた我々は
岩盤をそのまま利用した虎口を突破(←まさにそんな表現です)
遂に城の曲輪の中に入り込みました。すると雰囲気は一転し、
割と広々とした空間がそこにありました。ふむふむ、戦争する時は
ここに兵力を集めて戦うわけやねー。こりゃかなり立派な城跡だ。
遠くへの眺望もバッチリだし、ますます得点アップという感じです。
程無く山頂に到着。ここから大月の町を見下ろせば
何だか天上の世界から地上を望むかのような感じ。
まるで空を飛んでいるのかと錯覚するほどの光景ですぞ!
ちなみに高所恐怖症のとんび氏は、怖がって下を見れませんでした(爆)
大月遠望
大月遠望

もう一歩踏み出せば真っ逆さまに奈落の底へと落ちそう。
それほどまでに切り立った絶壁の上から
地上へとレンズを向けました。
市街地と反対側の谷間を覗けば、まるで隠田と思えるような
隠された農耕地帯が広がっていおりまして、
表側と裏側のギャップもなかなか感慨深い城跡でした。
ちなみに、この山は中央自動車道のトンネルがブチ抜いてます。
山から下りるのは一苦労。山は登るより下りるのが大変なものですので
さすがにこれだけ急峻な城山から下山するのは足元に注意しないとね。
いくら登ってきた登山道が良く整備されているとは言え、
慎重に歩を進めて何とか無事に麓まで戻って参りました。
と、脅かしてしまうような書き方でしたが
別に2000m級の高山という訳ではありませんので
家族連れのハイキングで十分楽しめる山ですよ、岩殿山は (^-^)

大月を離れ、さらに山梨県の奥地へと進む事にしたかすこば一行は
国道20号をなお西へと向かい、勝沼町から塩山市へ。
ここ塩山は武田信玄の菩提寺として有名な恵林寺(えりんじ)のある町。
歴史好きの我々としては、もちろんここを見ない訳にはいかない。
恵林寺には広い駐車場があるので、難なく車を停めて境内を散策する。
甲斐武田氏が滅亡した際、落ち延びた武田の敗残兵がこの寺にかくまわれたが
追手の織田信長は軍勢を引き連れて寺を包囲、引渡しを求めた。
この時、寺を預かる快川和尚は弱者を守る為に要求を拒否し
信長軍が放った焼き討ちの炎に自ら飛び込み、潔い最期を遂げたと言う。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉はあまりにも有名だが
快川和尚の決意が如何に固かったかが窺えるというもの。
信長の攻撃で炎に包まれた恵林寺は、後に再興され現在に至っている。
訪れたこの日は、焼き討ちとは正反対の寒〜い冬の日だったので
境内には誰も居なくて貸切状態でした。

車は恵林寺からまだ北上、国道140号線に入り
笛吹川の源流を遡っていく。現在は雁坂トンネルが開通し
埼玉県の秩父方面へと抜けられるようになった国道140号線であるが
この当時はまだ雁坂トンネルが完成しておらず、
三富村の北部、広瀬湖で道路が終点となっていた。
その終点にあったのが道の駅・みとみ。ここに車を停めさせてもらい
広瀬湖へと流れ込む西沢渓谷の散策をしようと思ったかすこば&とんび組は
あまり大した考えも無く、渓谷の遊歩道へと進み出た。
せっかく山梨まで来たんだから、奥の奥まで見て回ろうという魂胆である。
確かに、西沢渓谷といえば景勝地で知られる山岳渓流。
観光シーズンならば見物客が多数訪れて賑わう場所ではある。

が!季節は2月初旬、冬の真っ只中である。西沢渓谷の周辺は
山梨の奥地も奥地、岩殿山とは違い、マジで2000m級の山が連なる場所。
あたり一面が雪で覆われ、川は氷結し、もちろん他に観光客などいやしない。
海に面した茅ヶ崎の感覚では「積雪」なんて考えは微塵もなかったが
そうだ、こんな山奥では雪が積もって当たり前…。
とても渓流散策なんてお気軽な事が出来る状況じゃないんだねぇ。
いやー、失敗失敗。浅墓でした(自爆)

それでも、これだけで終わらないのが忍者かすこばの意地というもの。
(要するに、タダの馬鹿である)
とりあえず雪道でも行ける所まで行ってみようという事にして
渓谷の道を登る事にした。以前にも来た事がある場所なので
雪の中で迷うような事はないものの、やはり不気味な感じだ。
川沿いに少しずつ登り、吊り橋も通過し、渓谷の3分の1程を制覇した所で
いよいよこりゃヤバい、という場所に出た。道を曲がったその奥が
完全に雪に埋もれ、川も結氷しているので総てが真っ白。
ここを進もうにも、どこが道やら藪やら川やら判らない。
下手に踏み抜いて川に転落なんて事になったら大事故なので
これにて冬の渓谷散策は打ち切りとしたのでありました。
ま、当たり前やね。そもそも雪の山道に軽装で入るほうが間違ってるんだから。
くれぐれも、他の皆さんはやらないようにして下さい。
(え、言われなくてもしないって?)
西沢渓谷 三段の滝
西沢渓谷 三段の滝

最終到達地点がここ、三段の滝。
本来ならばこの先に七ツ釜五段の滝など
数々の名所が控えているのですが
真冬にそんな奥まで行ける筈がありません (^^;
ま、結氷した滝の美しい姿はなかなか拝めませんから
これを写真に収めた事だけでも十分大収穫ですね。

来た道を戻り、我々は再び道の駅・みとみへ。
西沢渓谷は途中断念となったので、道の駅の畔にある
広瀬湖を眺める事にしました。この湖は広瀬ダムによって堰き止められた
人造湖で、西沢渓谷・東沢渓谷から合流する水を貯め
甲府方面へと放流している湖です。これが山梨を代表する大河・笛吹川。
甲斐国に水害と繁栄をもたらした川はここから出発しているのですね。
そんな広瀬湖も、真冬だけあって半分が氷結。
少し曇り気味な空の色を映して、灰色の暗い深みのある水面と
凍りついた白い色が絶妙のコントラストを見せておりました。
帰路の時間を考えると、本日のドライブはこれにて終了。
岩殿山、甲信国境の山岳地帯を連覇した旅は
思いつきで出かけたものの、それなりに楽しめたものでした。
但し…次はきちんと計画してから山攻めしないとね(爆)


◆◇◆ 甲斐の山 冬に登れば 絶壁と 凍る滝にて ただ留むのみ ◆◇◆




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