1998年10月 南東北縦断

旅行期間:1998年10月18日(日)夜半出発〜10月22日(木)帰着

主な滞在地
10月19日(月):

中尊寺・観自在王院跡・毛越寺・達谷窟毘沙門堂
厳美渓・瑞巌寺・松島・鹽竈神社
10月20日(火):
釜房湖・仙台城(青葉城)跡・伊達家廟所・赤保大滝・立石寺
10月21日(水):

山形城址・山形県郷土館(文翔館)・上山城
米沢城址(上杉神社)・上杉家廟所・会津藩校日新館
10月22日(木):
東山温泉郷・会津武家屋敷・大内宿・羽鳥湖・小峰城址
南東北縦断行程地図


毎度毎度の事ながら、かすこばの遠征は前日夜半の出発から始まる。
今回の東北旅行も、最初の目的地が岩手県の平泉になる事から
10月18日の日が暮れた頃に家を出て、首都高速から東北道へ抜け
真夜中の高速を一路北上し、ひたすら走り続けたのである。
埼玉県、群馬県を通過し栃木県を通る頃には民家の明かりもほとんど無くなり
福島県まで来ると辺りは完全な暗闇になってしまった。
車窓に見える風景と言えば、前に続く高速の路面と
空に広がる満天の星空。まるで宇宙へと飛び出すようなドライブだ。
仙台の手前に来ると、ようやく街の明かりが望めるようになるが
それもつかの間、東北道は仙台市街を迂回するように走っているため
車は再び山間部の暗闇へ。そのまま岩手県へと突入し、
深夜3時になろうかという頃、平泉の手前までやってきた。
そろそろ仮眠を取り、明朝の旅路に備えようかという場所だが
いかんせん、この辺りには大きなサービスエリアが無い。
本来ならば高速を下りるべき平泉前沢ICの次に、前沢SAがあるので
いったんICを通り過ぎ、前沢SAまで走り抜ける事にした。
で、前沢SAで遅い就寝に就く…つもりだったが
ここは福島県内以上に真っ暗闇!当然、空には煌々と輝く星の群れが!!
こりゃ寝る前に天体写真を撮らねばいかん、という義務感に駆られ
思わず三脚を取り出して銀河にレンズをむけたのであります。
10月後半の深夜3時、空には一足早い冬の星座が勢ぞろいし
旅行の観光ではなく、時ならぬ旅先での天体観測をしてしまいました (^^;

夜が明けた19日の朝。前沢SAで朝食を摂ったかすこばは
次の水沢ICで高速を下り、国道4号線を逆戻りする形で平泉へ。
平泉と言えば、言うまでもなく(←日本語変だ)中尊寺ですな。
平安末期、奥州に独立国を打ち立てた奥州藤原氏。
その藤原氏歴代当主の遺体を安置し、黄金の寺堂を輝かせる金色堂は
今や永久保存のためにお堂全体をさらに保護堂で覆うという
完璧な防御構造で保全されております。そんな金色堂を始め、
義経主従にゆかりの弁慶堂、壮大な大きさの本堂など、
中尊寺の境内は、さすが古くから重きを為してきた名刹らしい
様々な建築物に溢れておりました。いやホント、立派やわ…。
国宝 中尊寺金色堂
国宝 中尊寺金色堂

金色堂の名の通り、金色に輝くお堂。
平安時代から現在にまで、美しい姿を留めます。
保護堂内部は写真撮影禁止なので
堂の外から覗き込み、偵察するように撮影しました。
え、それもホントはマズかろうって?(焦)

平泉にはもう一つ有名なお寺がありまして、名を毛越寺(もうつうじ)と言います。
これも奥州藤原氏に関連した寺なのですが、中尊寺が1000年近く残ってきたのに対し
毛越寺は惜しくも戦国の兵乱などで災厄を受け、古来から残る遺構はほとんどなし。
それでも、敷地の造形は素晴らしいもので、これだけでも見る価値は十分ですな。
いにしえの昔、恐らくはこの場所に寝殿造の荘厳な御殿が建てられていたのでしょう。
その御殿の前に広がっていたと思しき大きな池だけが、時を越えて今に残ります。
きっとこの池で、舟遊びや音曲の風流を楽しんだりしたのでしょうなぁ。
池の周りには自然の森をそのまま利用したような回遊庭園が設けられ
まだ紅葉前の緑の木々が建ち並んでおりました。
そんな中でもみじの木が一本だけ、一足早く真っ赤に染まり
森の緑、空の青さと対比になるコントラストを表現。
このもみじを皮切りに、これからどんどんと紅葉が進んでいくのでありましょう。
ちなみに、この毛越寺の前には観自在王院と呼ばれる
これまた壮大な古刹があったらしいのですが
現在は全く失われてしまい、その跡地だけが往時の栄華を語りかけてくれます。
中尊寺、観自在王院、そして毛越寺。
奥州藤原氏の繁栄、義経主従の悲劇など、平泉を巡る色々な
歴史ロマンの話がありますが、それに関わるこうした古き寺社の存在が
そうした話を裏付ける大きな証拠だった訳でして、
そんな場所を観光で見て回るのはかなり贅沢な事なのかも?と思ったりもします。

平泉から一路南下し、次なる目的地へ向かう道すがら
さらにもう一つ、何やら変わったお堂があるらしいので見学に訪れた。
達谷窟毘沙門堂というお堂は、岩窟の中に埋め込まれるような感じで建てられた堂宇。
まるで岩山がお堂の屋根に乗っかっているような状態で、何とも不思議ですね。
さぞかし霊験あらたかなのでしょう(拙者は完全無神論者ですが (^^; )。
達谷窟毘沙門堂
達谷窟毘沙門堂

これがその達谷窟毘沙門堂。
完全に岩山が伸し掛かってますな。
どうやってこういう建物を作るんでしょう?
というか、何でこんな所に建てるんでしょう?

さて、たどり着いたのは岩手県の中でも有名な景勝地、厳美渓(げんびけい)。
荒々しい岩の谷間を縫って、磐井川が勇壮に流れている場所です。
時刻はちょうどお昼どきだったので、ここで昼食を摂る事にしました。
綺麗な川の流れと山の木々を眺めつつ、腹ごしらえをし
河原の散策をしてみると…ん??何やら川を渡るケーブルが1本。
そのケーブルを伝って、時折小さな篭が行き交います。
よくよく確かめると、ケーブルの出どころは御休処の茶店で
篭の行き先は河原にあるベンチ。何と、ベンチに座ったお客さんが
対岸の売店にお茶やお菓子を注文すると、その篭に乗せ
空を飛ばして届けてくれるという仕組みなのです。
思わず感心しつつも、ちょっと滑稽な様子に笑わせてもらいました。

山あいの厳美渓の次は、海へと向かいます。
厳美渓から国道342号線を使って東北道の一関ICへ。
そこからしばらく高速を南下し、宮城県の大和(たいわ)ICで一般道に下り
今度は東へ。東北新幹線、JR東北本線と線路を2つくぐり
仙石線の線路も越した所で目の前に現れたのは、日本三景の一つ・松島だ。
車を駐車場に入れ、まず向かったのは瑞巌寺(ずいがんじ)。
独眼竜で知られる伊達政宗が現在の姿に整備したという名高い寺で、
一説によれば、仙台を守る出城としての役割を持たせたという造り。
杉の木が建ち並ぶ参道を通り境内に入ると、立派な庫裡や
岩屋の中に並ぶ石仏の群れなど、素晴らしい遺構に感動させられる。
それに何といっても境内が広い!確かにこれは、一丁有事に
砦として使う事を計算しているようにも思えてきます。
国宝 瑞巌寺庫裡
国宝 瑞巌寺庫裡

瑞巌寺庫裡、国宝です。
お城の御殿建築でも通用する大きさ、格式です。
やはり独眼竜政宗、タダモノじゃありません。
瑞巌寺を拝観し、いよいよ松島の風景を目に焼き付ける。
有名な五大堂をはじめ、松島湾内に散らばる小さな島々を見れば
確かに「日本三景」の名に恥じない優美な景観だと思えます。
小学生の頃に一度来た事があるはずなのだが、随分昔の事?なので
まともに見るのはほとんど今回が初めてのようなもの。
安芸の宮島は高校の修学旅行で行ったので、ついついそれと比べたりもして…。
何はともあれ、この素晴らしい景色は文句のつけようもないものでしょう。
「松島や ああ松島や 松島や」と芭蕉が読んだ?というのは嘘らしいが
(↑だって季語が入ってないもんねぇ)
ホントに感激して、まともな句が読めなくなる気持ちもわかりますね〜。

瑞巌寺という有名なお寺を見た後は、神社の拝観を。
松島町の南にある塩竈市は、遠洋漁業の基地になる大きな港のある町で
海の安全を祈願する有名な神社、鹽竈(しおがま)神社が鎮護している。
そんなわけで、その鹽竈神社を参拝する事にしたのである。
やはり有名な神社だけあって、境内には末社も並び
平日の夕刻にも関わらず、参拝客も少なくなかった。
塩竈の港を見下ろすような高台にある神社は、
まさに船の守り神という雰囲気だし、
思った以上に(というと失礼な言い方だけど)良い感じでしたね。
何だかここではゆっくりとした時間が流れておりました。

と、のんびりし過ぎたか?早や日暮れの時刻。
いい加減宿に向かわねばいけない時間になっておりました。
今夜のお宿は仙台市の奥、釜房ダムの畔にあるサンレイク釜房という公共宿舎。
塩竈から車を飛ばしても有に1時間以上かかる!
あわてて車を走らせ、国道45号線を仙台市内方面へ。
すぐ目の前には国の史跡になっている平安時代の政庁城郭、
多賀城があるんだけど、もはや立ち寄っている時間はなし。
少し後ろ髪引かれながらも、ここは素通りいたしました。
仙台市街地の喧騒を通過し、今度は国道286号線へと移り
途中、秋保(あきう)温泉の手前で左手に曲がり川崎町へ入ります。
この時点で、辺りはもう真っ暗。程無く、釜房ダムの堤防が現れたが
既に暗闇で何が何だかわからない…。まぁ、仕方がない事だし
別に今更何をするという訳でもないし、そのまま宿に直行。
明日は仙台から山形方面へと向かいます。




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