1997年10月 足利市散策

旅行期間:1997年10月12日(日)

主な滞在地
10月12日(日):足利学校・鑁阿寺・JR足利駅
足利市散策行程地図


拙者の父親が郷里の館林で所用がある、との事で
運転手に借り出された日の小旅行。
父親が用事を済ませている何時間かの間、暇を潰すべく
館林から程近い足利の古い町並みでも散策しようかと計画したのでござる。
何はともあれ、我が家を出発し首都高・東北道を通り
館林インターを降り、父を送り届けた後
拙者は群馬県道9号・栃木県道7号を通り
佐野市から国道50号線へと乗り換え、足利市を目指した。

足利の町に着いたのは午前10時頃。
日曜の観光地としては割りと空いていた感じで、
お目当てだった足利学校の駐車場もスムーズに駐車できた。
で、その足利学校ですが。聞いた事のない人はいないと思うけど
日本初の総合大学として有名な足利随一の観光地。
創建は定かでなく、奈良時代?平安時代?鎌倉時代?と言われるが、
いずれにせよ鎌倉時代・室町時代には全国各地から学生が集まり、
様々な学識を学んだという由緒ある学校でござる。
戦国時代には荒廃したものの、学問を奨励する徳川家康の庇護を受け
江戸時代に復興し、明治に廃校となるまで多くの生徒を輩出したのであった。
現在、数々の建物は復原され、国の史跡に指定されると共に
実際に儒教の祭典や市民講座などの会場として利用されている。
足利と言ったら何をおいてもまずここ!という名所であろう。
国史跡 足利学校
国史跡 足利学校

写真は学校の中心である方丈、つまり教室の建物。
拙者が訪れた日はこの方丈で漢字検定の試験が行われていた。
そのため方丈内部の見学はできなかったのだが
その分、無料で見学できた。これって得したのか? (^^;

方丈の中は見れなかったが、聖廟や庫裡を拝観し
敷地内の庭園なども見させて頂いた。
その後、学校を後にした拙者は
学校のすぐ裏手にある鑁阿寺(ばんなじ)へと移動。
鑁阿寺は足利氏居館跡に建立された寺で
本堂・鐘楼・経堂が国の重要文化財に指定されている。
特に本堂と鐘楼は鎌倉時代に建てられたという古い建物。
もちろん、寺の敷地そのものが国の史跡です。
国史跡 鑁阿寺
国史跡 鑁阿寺

足利氏という武家の名門が居を構えた跡地に建てられた寺。
そのため、周囲は濠に囲まれており
平安・鎌倉期の武家居館としての名残を感じさせる。
足利学校のすぐ北に隣接しているので
セットで観光というのが定番コースですね。

鑁阿寺を後にした拙者は、喫茶店でちょっと一服。
10月とはいえ、こう天気の良い日だと
歩き回った後には暑いくらいの陽気だ。
が、そろそろ父親を迎えに行くようにしないといけないので
車に乗って足利の町を後にしようと準備。
駐車場では観光客を歓迎する八木節の生演奏が行われていた。
こういう偶然の驚きが旅の楽しいところでござる。
(この写真は月見櫓の頁に掲載してあります)
さて、走り始めたところで出くわしたのがJRの足利駅だったのだが
なんだか駅前に古めかしい電気機関車が展示されている。
鉄道好きの方なら良く御存知であろう、EF60型ELだ。
貨客両用の汎用機として開発されたEF60は
昭和40年代・50年代に一世を風靡した名機として有名。
思わず写真に収めたくなり、シャッターを切った。
JR足利駅
JR足利駅

これがそのEF60。
現在の華やかに塗装された新型機関車とは違い
青とクリーム色のツートンカラーは地味に見えるが
拙者はむしろこの方が馴染みやすい。
これこそ純然たる直流電気機関車の美しさだ!
(↑何だそりゃ?)

行きに通った道を逆に戻り、足利から佐野方面へ。
そういえば、昼食がまだだった。しかも場所は佐野。
となれば…やはり佐野ラーメンでしょ♪
道すがら発見したお店に入り、ラーメンを注文。
佐野のラーメンは青竹で踏み込んで麺を練り上げるらしい。
やや太めのちぢれ麺が空きっ腹に沁みるねぇ。
あっという間に完食してしまいました。
その後、館林で父親を拾い、茅ヶ崎へと帰宅。
半日ほどしか滞在しなかった駆け足の散策だったが
古い町並みを歩くというのはなかなかに楽しかったというのが
正直な感想でござった。


◆◇◆ 足利の 古刹めぐりし 神無月 秋空に映ゆ いにしえの町 ◆◇◆




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