1995年10月 房総周遊

旅行期間:1995年10月15日(日)

主な滞在地
10月15日(日):東京湾・亀山湖・小湊鉄道・いすみ鉄道・大多喜城
房総周遊行程地図


今回は越後守殿らとのドライブ。豪勢な日帰り小旅行(?!)と言う事で
目指す先は房総半島。我が神奈川県とは東京湾を挟んだ対岸の国でござる。
この当時、東京湾アクアラインは開通していなかったため
必然的に房総への最短ルートは東京湾フェリー。
船が発着する久里浜港を目指し、先ず横須賀方面へと車を走らせた我々は
国道1号線から横浜横須賀道路という(当たり前すぎる)道を選んだ。
秋の行楽シーズンなのに、横横道路はガラガラ。
渋滞にハマる事もなく、無事に久里浜へ辿り着いた。

フェリーに乗船したかすこば一行は、しばしの休息。
東京湾のクルーズを楽しんだ。
少々風が強かったが、デッキに登ると秋の陽光が心地好い。
それにしても、東京湾ってさすがに船が多いねぇ。
周りを見渡せば、荷物を積んで東京を目指す貨物船や、
喫水がそれほど低くないから空なのかな?といったタンカー、
クルーズを楽しむヨットに
まるで渡り鳥が水面に浮かぶような群れを成している釣舟の数々。
千葉から神奈川へ向かう反対方向のフェリーともすれ違いつつ
ここが「海の銀座」と呼ばれる所以に納得した。
いや全く、中ノ瀬航路を横切るフェリー航路の操船術には頭が下がります。
東京湾フェリー
東京湾フェリー

神奈川県の久里浜港と
千葉県の金谷港を結ぶ連絡航路。
現在は東京湾アクアラインが開通したため
ちょっと優雅なルート?といった感がある。

金谷港に降り立った我々は、国道127号線・465号線と乗り継いで
いつの間にやら房総半島のド真ん中へ。
…って、要するに何もない山林なんだよね (^^;
とりあえず、この辺りで観光になるようなものはないかと思い
亀山湖があったので、一時休息を取る事にした。
ダムで堰き止められた人造湖から流れる川は
久留里を抜けて袖ヶ浦・木更津へと注いでいる。
ここはまさに房総半島の給水基地なのだ。
で、我々も給水しようかという事で、缶ジュースの自販機へ。
ここで見つけたのが東関東限定の「MAXコーヒー」なるもので
一口飲んでみると…ベタに甘い!
こりゃもう“甘さMAX”なコーヒーなのね〜ってな感じでした。
亀山湖
亀山湖

JR久留里線の終点、
上総亀山駅の目前にあるダム湖。
山奥の静かな湖は、
家族連れの良きお散歩スポット。

再び車を走らせるかすこば一行。
ここで、越後守殿のリクエストにおこたえして
房総の鉄道巡りのコースを辿る。
まず目指したのは小湊鉄道。市原市にある五井駅から
大多喜町の上総中野駅を結ぶ静かな田園ローカル線でござる。
切符収集家である越後守殿は、せっかく房総まで来たからにはと
養老渓谷駅に到着するや販売窓口へ突撃!
どうやら周辺駅の切符まで入手したらしい (ーー)
続いて向かったのはいすみ鉄道。
上総中野駅から東へ、大原駅まで結んでいる
これまたローカルな路線でござる。
立ち寄ったのは大多喜駅…ってもう切符買ってるし! (ーー;

大多喜は、房総半島中部の美しい城下町。大多喜城は、
戦国時代に真里谷氏と里見氏が争奪戦を繰り広げたが
徳川家康の江戸入府によって本多忠勝が入城し
以後、徳川氏最南端の城郭として整備された。
忠勝は徳川四天王の一人に数えられる名将。
彼が配された事で、大多喜の町が房総半島における
政治・軍事拠点としていかに重要視されていたかが良くわかる。
忠勝というと、とかく戦働きばかりが注目される猛々しい武将と言われるが
大多喜城改修とその城下町整備は非常に優れたもので、
彼が武芸一辺倒ではない優秀な施政者でもあった事を証明している。
大多喜城
大多喜城

天守を模した建物は、千葉県立総南博物館。
我々が立ち寄った時、特別展示として
鉄砲の歴史が紹介されていた。
その中に、実際に手に取って持てる火縄銃が。
実物の鉄砲を構えてみると
かなりずっしりとした重量に驚いた。

大多喜城の博物館を見学したところで、日は西に傾いていた。
もうこれ以上は観光もできないね、という事で
我々は帰路につく。もと来た道をひたすら戻る行程で
金谷港に着いた時にはすっかり夜景。
フェリーも最終便の一つ前くらいといった感じで
いやぁ、ギリギリセーフだったねぇ。
金谷⇔久里浜は都心から遠いので
夜の東京湾クルーズと洒落こむには物足りない寂しさがあったけど
これはこれでヨシとしましょう。
すれ違う対向航路のフェリーは煌々と明るくて綺麗だったし★


◆◇◆ 秋の陽に ススキゆらめく 房総路 水面(みなも)きらめき 城は輝く ◆◇◆




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