2012年5月 はんなり阪奈の旅(2)
ホテル阪奈の朝。今日はちょっと曇り空。でも雨は無さそう。
ここから山を降り、本日は軽めの奈良観光を。あとは帰宅が遅くならないよう早めに撤収。

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鹿…
と言う事で、奈良公園です。鹿です。
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神の使い?
それにしても、ほんっとに人慣れしてるなぁ (^ ^;
こんだけ寄っても、嫌がるでもなく…。
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世界遺産 興福寺
まずは定番の興福寺。
いやまぁ、奈良観光の手始めは
個人的にいつも興福寺がスタートなもので(爆)
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東金堂と五重塔の並び、いつ見ても恰好えぇ…。って、ついついいつも同じアングルで撮ってばかり(苦笑)
本当に神の使い?
こんなにユルくてええんかいな?
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そして東大寺へ…。

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国宝 東大寺南大門
南大門。仁王像。歴史の教科書で定番のネタです。
鎌倉時代に再建された建物&仏像と言う事で
鎌倉文化の代表例として取り上げられますね。
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奥に進んでいくと…

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国重要文化財 東大寺中門
朱塗りの中門。南大門とは全然違う風合いです。
南大門は素朴すぎるけど、こっちは寺と言うより神社っぽい?
門の向こうには大仏殿が望めます!
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更に進んでいくと…
国宝 東大寺大仏殿
んで、大仏殿です。デカい…。
「人がゴミのようだ〜!」じゃなかった、人が数多く居ますが
それと比べて建物の大きさたるや、凄いですねぇ。
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回り込んで行くと…

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国宝 金銅八角燈籠
大仏殿の前にある燈籠。これも国宝。
当たり前なんですが、東大寺って
国宝か重文ばっかりだなぁ(爆)
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そしていよいよ…
国宝 盧舎那仏像
大仏様のお出まし〜!
昔、中学の修学旅行で見た記憶はあるんですが
改めて見ると、やっぱり大きいのね(←なんだそりゃ)
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大仏殿の中には他にもいくつか仏像があるんですけど

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多聞天像
こちらは多聞天像。やっぱりデカい。
どうでも良い話ですけど、多聞天と聞くと
城をやっている人間だと、多聞櫓を思い浮かべてしまいます。
多聞櫓を考案したと言われるのが奈良の梟雄・松永久秀。
東大寺に松永久秀を連想させるものがあるのは何だか不吉…。
あ、だから鬼門の方角に置いているのか?(←違)
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ちなみに松永久秀と言うのは、戦国時代に東大寺を焼いた武将ですわ。
他にも将軍を殺したり、主君を追い落としたり…と
「あの」うつけ者・織田信長にさえ“天下に3つの罪を犯した大悪人”と言わしめたそうな。
近年の再検証で「松永は直接手を下していない」と言われるようになりましたが
そうだとしても、松永久秀なら平然と「やれ」って命じたように思うんだよねぇ (^ ^;
東大寺を見終えて、時刻は13時になる所。まだまだ観光しようと思えば出来るけど
興福寺と東大寺だけで既に2時間以上使ってるし、このペースじゃキリがない。
(ホントは薬師寺や平城宮、斑鳩や明日香など、後は城とか城とか城とか、見たい所は山ほどあるけどね)
帰りの経路も考えれば、今回の旅はここまで。撤収します!
往路は名阪国道を通って来ましたが、帰路は奈良からなので市街地の北へ出て
京奈和道→京滋バイパス→新名神というコースを選択。途中のPAで休憩したんですが…

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新名神上り線 甲南PA
スキー場のロッジを思わせるオシャレな建物ですが
「忍者の里」と銘打ち、手裏剣のマークも。
そう、ここは甲賀の里。忍者…と言うと劇画チックですけど
郷土に根差した土豪らが自主割拠していた土地。
伊賀もそうですが、こういう土地は武士の家ごとに
砦のような武装を施した邸宅になっているので
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甲南PA内 新宮支城模型
PAの近隣は城だらけ!そしてそんな城を
歴史資料館のようにPA内で紹介しておりまして
図説はもちろん、このようにジオラマまで!
このPA、スゲー!!と言うか、このままPAの外に出れば
あちこちに城が並んでいるんだよねぇ。思わず家族を置いて
猛ダッシュしたくなる衝動を、グッとこらえました(爆)
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相州乱波としては、いずれ甲賀の忍者城群を攻略せねば…と思いつつ、なかなか行けてない (T-T)
新名神から伊勢湾岸道へ…という所でやっぱり渋滞。
それを越せば東名、浜松からは新東名という具合に走ります。

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新東名上り線 浜松SA
そして再びの浜松SAに着く頃、陽が沈みます。
この日の夕焼けは綺麗なピンク色。
陰った所はブルーの闇に包まれ、
綺麗な2色に塗り分けられました。
SAの彼方には風車。絶妙な色合いです。
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とまぁ、急がず焦らずのんびりはんなりとした大阪・奈良の旅。
家族で行くには欲張らずこれくらいで良いんだろうね〜★
◆◇◆ 風薫る 華やかなりし 大阪(まち)歩き なら今一つ 古都も味わう ◆◇◆
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