2010年3月 黒鶴見納めの旅

旅行期間:2010年3月13日(土)

主な滞在地
3月13日(土):会津若松市内各所
会津若松市内地図


会津の名城・鶴ヶ城。戊辰戦争での激戦地として知られ
明治維新後には荒廃に晒されたものの、太平洋戦争後は地域の象徴として復興され
1965年(昭和40年)天守が再建されております。スラリと高くそびえ、窓の配列が
特徴的な層塔型天守はまさに会津のシンボル!なんですが…

天守再建時、瓦は一般的な“黒い瓦”で葺かれており
それに映えるような赤い高欄が最上階に置かれておりました。
ところが近年、史料の検証が進んでいき、鶴ヶ城の建造物は
軒並み“赤瓦”で葺かれていたと考えられるようになりました。
寒冷地である会津では、普通の瓦だと凍害を受けやすく
地元特産の赤瓦(凍結に強い)を使うのが当然であると。
まぁ、幕末維新の頃に撮られた写真はどれもこれも白黒でしたから
色合いなんか分かる筈も無く、普通の黒瓦で再建したのですけれど
古文書や発掘なんかの成果によって、赤瓦が使われていた可能性が高いと言うワケで。
平成になってから追加された再建建築物では、それに基づいて赤瓦を葺くようになり
この度、天守も改修工事が行われ瓦の葺き替えをする事が決定しました。

と言う事は、黒い瓦の鶴ヶ城天守はこれで見納め!
改修工事が始まる前に、最後の姿を今一度見ておきたい…と思い立ち
家族でのドライブ旅行を兼ねて、いそいそと東北へと走り出したのでありました。
季節はまだ春を待つ冬の終わり、オイラの車は冬季タイヤを持っていなかったので
スタッドレスを穿いている父親のワゴン車を借りて、雪残る磐越自動車道へ突撃〜!

朝、家を出て会津若松ICへ辿り着いたのはお昼を過ぎてから。
城へ向かう前に、まずは嫁さんが喜びそうなお菓子屋さんへ。
鶴ヶ城と並んで会津若松の観光名所である飯盛山の近くにある
長門屋さんの飯盛店を訪れました。
会津の時計塔
会津の時計台

長門屋飯盛店さんの前に建っていた時計台。
和風の建物の上に時計が掲げられています。
渋い…格好えぇ…と思わず撮影。
時計台の前には「おすすめの見どころ」の立て看板。
見事にハメられたかなぁ?(笑)
長門屋 飯盛店

で、こちらが長門屋の飯盛店さん。
こちらも会津の赤瓦で葺かれてます。
そしてこの店構え…やっぱり渋い!
まるで城の多聞櫓のようにも見えます。
長門屋 飯盛店
このお店の中が、駄菓子資料館にもなっておりまして…。
駄菓子資料館 展示品
駄菓子資料館

江戸時代以来の和菓子を作る道具や
大正・昭和の頃の“駄菓子屋さん”を
再現した展示が置かれていました。
なかなか味がありますねぇ。
駄菓子資料館の様子

もちろん売っていたお菓子も美味。
目にも楽しめる綺麗な和菓子のお店―――だったんですが
残念な事に東日本大震災で被害を受けてしまい、飯盛店は2011年に閉店してしまいました。
最初に掲出した写真の時計台も同様なようで、現在は撤去されております。

注:撤去されたのは時計台だけで、長門屋飯盛店さんの旧店舗は残っているようです。
   また、長門屋さんの他の店舗は営業を続けておられます。と言うか、今や
   インスタ映えのカラフルなお菓子を出して一躍有名になっているとか(笑)

時計台や飯盛店さんの写真、今ではネット上でもなかなか見られなくなってしまっているので
敢えて「記録写真」いや、「記憶に留めたい写真」として載せてみました★

この後、嫁さんと子供は飯盛山の麓にある観光施設で
絵ろうそくの絵付け体験を堪能。こういう体験学習的なものが大好きなものでw
とは言え、それを待っているだけのオイラはほぼ手持無沙汰…なので
白虎隊の悲劇で有名な飯盛山に登ってみる事にしました。
飯盛山
飯盛山

戊辰戦争の折、会津の町を出て戦った
少年兵部隊・白虎隊は新政府軍に敗れ
この山まで戻って来た所、眼下に望む
鶴ヶ城が燃えているように見えた為
全員が生還を諦め、自刃した―――という
悲劇の舞台となった事で有名な山です。
小さい山なんだけど歩いて登ると結構キツいんだよなぁ(苦笑)
飯沼貞吉(貞雄)翁の墓
飯沼貞吉(貞雄)翁の墓

自刃した白虎隊士は全員この地に葬られていますが
そんな中、ただ一人だけ死にきれず蘇生し
昭和初期まで生き延びたのが飯沼貞吉。
後年、貞雄と名を変えて天寿を全うしましたが
その貞雄翁も、死後はここに葬られました。

平成の世になって、生前は何も語らなかった
貞雄翁の手記が発見された事で白虎隊の最期が
どのようなものだったのかが明らかになりつつあります。
どうやら白虎隊士は城が落ちたと勘違いした訳ではなかったものの
もはや傷だらけになった自分たちでは足手まといになると観念し
城が見えるこの山で自決を選んだと言う事だったようです。
飯盛山から見る鶴ヶ城
飯盛山から見る鶴ヶ城

写真中心より少し上の所に鶴ヶ城の天守。
現在は町並みに埋もれ、あまり城が目立たない感じですけど…。
当時の民家はもっと質素で小柄だったでしょうから
天守がもっとハッキリ分かる光景だった事かと。

このアングルだと、城下町の民家が燃えていたからと言って
城が落ちたかどうかは勘違いしないかな?
貞雄翁の手記、正しかったように思えますが
果たして真実や如何に???
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口堰洞穴

本来は猪苗代湖から会津の町へと水を引く為の用水路。
山を刳り貫いたトンネルの中を水が流れてくる出口ですが
会津郊外の野戦で敗れた白虎隊士は、敵に悟られないよう
このトンネルを抜けて飯盛山まで帰って来ました。
少年兵とは言え、この洞窟を抜けるのはかなり狭かった筈。
敗残の身で、厳しい撤退行を夜通し続けていた挙句に
山から見た城下町が燃えていたならば…そりゃ悲観もするわなぁ(涙)

ちなみに、このすぐ傍らに会津の名建築(謎建築?)として
有名な「さざえ堂」もあります。そこも見たのですが、
その写真はまた別の機会に(この後も、会津には何度も行きますw)
国史跡 旧滝沢本陣
国史跡 旧滝沢本陣

若松郊外にある横山家住宅は、会津藩主の遠征時に
本陣とされた邸宅。戊辰戦争の時にも、時の藩主
松平容保(かたもり)が一時的にこの場所を本営とし、
白虎隊もここから出征して行きました。今は静かな
古民家として観光名所となっていますが、ここもまた
歴史の1ページを刻んでいるのですねぇ。

と、飯盛山周辺を存分に楽しんだ後に…いよいよ本日のメインディッシュ!
鶴ヶ城こと会津若松城へ向かいました〜!!
三ノ丸側、県立博物館の前にある駐車場に車を入れ、いざ出陣!!!

二ノ丸を通り、本丸への入口である廊下橋を渡る頃から徐々に天守の姿が見えてきて
徐々にテンション上がりつつ、帯郭を抜けると…
会津若松城 天守

キター―――(゚∀゚)――――!
鶴ヶ城こと会津若松城の立派な天守!
白い壁に赤い高欄、それに黒い瓦の
色合いは「ザ・定番」という感じの安定感。
このトリコロール(?)もこれで見納めですが
赤瓦に替わった今、振り返ってみても
これはこれで美しかったように思えます。
会津若松城 天守
走長屋と天守
走長屋と天守

この日は生憎の曇天模様。
ギリギリ傘は要らないまでも、
時折細かい雨がパラパラと降る
冬の寒々しい空が広がってました。
でも東北の厳しい冬の雰囲気は
古武士のような天守を
より引き立ててくれた感じです。
天守から望む

写真中央にある門が鉄(くろがね)門。
その奥に続く南走長屋と、一番奥に建つ
干飯(ほしいい)櫓は赤瓦で再建されました。
この後、天守と走長屋と鉄門も
赤瓦に葺き替えられるのですが
これは黒瓦と赤瓦が混在する
最後の頃の写真となります。
天守から望む
月見櫓跡から
月見櫓跡から

今度はグッと引いて本丸の一番端
月見櫓跡から天守を見てみました。
夏だと青々とした木々の向こうに
隠れてしまう天守が、この時季だと
“雪吊り”の縄越しに現れます。
赤い高欄がやっぱり目立ちますねぇ♪

城をたっぷりと堪能した後、北出丸から城外側へ出て
ちょっと遠回りな散歩をしながら駐車場へ帰還。
気が付けば時刻は17時を過ぎた所。でも、もうちょっと何か楽しみたい!
と言う事で、鄙びた町の雰囲気を楽しめる七日町駅あたりへやって来ました。
七日町の駅舎はメルヘンチックで可愛らしい。中にはカフェもあるようで
お茶でもしようか…と迷ったものの、もうこの時間だからむしろちょっと早めの
夕食にしても良いかと考え直し、国道252号線沿いで車も停められる
とんかつ屋さんへ。ソースかつ丼、会津の名物ですから!
ソースかつ丼

とんかつ大将さんにて食した
ソースかつ丼(と言うかお重w)
千切りキャベツを敷いたご飯の上に
大きいカツがドーン!美味でございます〜★
普段、旅先での食事には然程拘らない拙者ですが
この名物は「食べて良かった」と思えましたよ。
ソースかつ丼
第一坂下街道踏切にて JR只見線 キハ40形500番台

七日町駅

七日町駅に戻ってきた頃には
すっかり真っ暗。しかも小雪が
チラついてきました。やっぱり
会津は北国なんだなぁ…。
七日町駅の電飾
雪国の小さな駅に、電飾が似合います (^ー゚)b
会津鉄道会津線 AT-550形(新1000yen札発行記念ラッピング車両)
JR只見線(上の写真の列車)は国鉄以来の古風な車両ですが
次にやって来た会津鉄道会津線の列車はラッピング車両!
郷土の名士・野口英世が千円札の肖像に選ばれた事を記念し
英世とその母・シカさんを描いたものですが、鮮烈な黄色が
結構目に眩しい(辺りは真っ暗闇なんですがw)

※このラッピングも現在は変更された模様

実は七日町駅の目の前にある阿弥陀寺には
鶴ヶ城から移築された御三階と呼ばれる古建築があって、
それが見たかったんですけど…すっかり暗くなって写真は撮れず(泣)
敷地に入る事も憚られたので、遠くから覗き見するだけに留めました。
と言うか、さすがにこんな遅い時間になってしまったので
慌てて高速に乗って家へ帰ります(爆)
磐梯山SA
磐梯山SA

帰りに立ち寄った磐梯山SAでは
雪がいよいよ本降りに。そして
除雪された雪が山になっていて驚き。
雪が殆ど積もらない関東の人間としては
全然縁のない光景でした。
路面は綺麗に除雪されていたので、帰路何事もなく無事に走れましたが
雪国の情景って湘南とは全然違いますねぇ (^ ^;

とまぁ、随分と帰宅が遅くなってしまいましたが
黒い鶴ヶ城の雄姿、最後の最後に堪能できて良かったッス!
(この数日後から改修工事が始まりました)
で、お分かりとは思いますが赤瓦に替わったら替わったでまた見に行く訳ですが
それはまた次の機会に(笑)


◆◇◆ 春待たず 鶴は飛び立つ あと僅か 名残惜しくも 雪に見送る ◆◇◆




本 丸 御 殿 へ 戻 る


城 絵 図 へ 戻 る