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飯沼貞吉(貞雄)翁の墓
自刃した白虎隊士は全員この地に葬られていますが
そんな中、ただ一人だけ死にきれず蘇生し
昭和初期まで生き延びたのが飯沼貞吉。
後年、貞雄と名を変えて天寿を全うしましたが
その貞雄翁も、死後はここに葬られました。
平成の世になって、生前は何も語らなかった
貞雄翁の手記が発見された事で白虎隊の最期が
どのようなものだったのかが明らかになりつつあります。
どうやら白虎隊士は城が落ちたと勘違いした訳ではなかったものの
もはや傷だらけになった自分たちでは足手まといになると観念し
城が見えるこの山で自決を選んだと言う事だったようです。
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飯盛山から見る鶴ヶ城
写真中心より少し上の所に鶴ヶ城の天守。
現在は町並みに埋もれ、あまり城が目立たない感じですけど…。
当時の民家はもっと質素で小柄だったでしょうから
天守がもっとハッキリ分かる光景だった事かと。
このアングルだと、城下町の民家が燃えていたからと言って
城が落ちたかどうかは勘違いしないかな?
貞雄翁の手記、正しかったように思えますが
果たして真実や如何に???
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戸ノ口堰洞穴
本来は猪苗代湖から会津の町へと水を引く為の用水路。
山を刳り貫いたトンネルの中を水が流れてくる出口ですが
会津郊外の野戦で敗れた白虎隊士は、敵に悟られないよう
このトンネルを抜けて飯盛山まで帰って来ました。
少年兵とは言え、この洞窟を抜けるのはかなり狭かった筈。
敗残の身で、厳しい撤退行を夜通し続けていた挙句に
山から見た城下町が燃えていたならば…そりゃ悲観もするわなぁ(涙)
ちなみに、このすぐ傍らに会津の名建築(謎建築?)として
有名な「さざえ堂」もあります。そこも見たのですが、
その写真はまた別の機会に(この後も、会津には何度も行きますw)
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