2001年10月 京都寺社めぐり
旅行期間:2001年10月18日(木)出発〜10月19日(金)帰着
主な滞在地
10月18日(木):
西本願寺・東本願寺・疾地蔵尊・円山公園・八坂神社
知恩院・平安神宮・南禅寺・金地院
10月19日(金):
六波羅蜜寺・建仁寺・法観寺(八坂塔)・金剛寺(八坂庚申堂)
高台寺・二年坂・三年坂・清水寺
今回の旅行記は、嫁さんとまだ婚約中だった頃のお話。
2人で京都でも行きたいねー、という事で計画が持ち上がり
たまには車を使わず、ゆっくりと新幹線で旅を楽しもうと相成りました。
(いやぁ、電車で旅行なんて何年ぶりだろ?)
1ヶ月前にちゃんと指定席券を購入し、準備万端。
列車の時刻に合わせるため、当日の朝は少し早く起きる事になったけど
予定通り08:07小田原駅発のひかり203号に乗車、京都駅へ直行!
10:22に京都駅到着、わずか2時間少々の道のりでした。
いやー、やっぱり新幹線って速いねぇ。
車だとどう考えても3倍はかかるもんなぁ (^^;
駅から歩いて回れるところを見物しようと考えていたので
バスやタクシーは使わず、のんびりと散策。
京都駅北口から、まずは西本願寺へ向かいました。
いかにも京都の大寺、という風格満点の大きな門をいくつかくぐり
広々とした境内を拝観。このお寺は特に拝観料とか取られないんだねぇ。
総御堂、つまり阿弥陀堂の前では秋らしく菊花の展覧会も開催。
その向こう側ではどうやら工事が行われているらしく、
巨大な工場のような蔽いが被さった建物があり
ちょっと雰囲気に欠ける感もありましたが、まぁ良いでしょ(苦笑)
境内から再び外に出て、敷地に沿って歩くと大きな櫓。
これがまぁまるで城の物見櫓そのもの!
この櫓を見ただけでもう満足。工事のどうこうなんて吹っ飛びました (^ ^;
西本願寺にて
どー見てもこれ、城の櫓ですよねぇ?
西本願寺の中、非公開区域には伏見城から移築されたという唐門や
聚楽第の遺構とされる飛雲閣があるんだけど、
どうせ見られないものはしょうがない、と…。
西本願寺に行ったんだから、次は東本願寺(安直だなぁ…)
裏路地的な花屋町通りを使い、京都の下町(?)の情景を堪能しつつ
東本願寺に到着しました。こちらも大きなお寺なんですが
それほど物珍しい建物はないので、少し閑散としてますな。
えーっと、とりあえず…それだけです (^ ^;;;
荷物を持ったまま歩き回るのもツライので
今日泊まる予定になっている五条大橋近くの宿に立ち寄り
先に荷物だけ置かせてもらう事に。で、どうしようかと思ったんだけど
もうすぐお昼時なんで、メシでも食おうかという事になり
散策で歩いた道すがら、四条河原町のデパート内にある
お好み焼き屋さんへ。関西に来たんだから、粉モン食わないとねぇ(謎)
でももっと謎なのは、店内がビートルズだらけだった事。何故?
疾地蔵尊
路地の奥にはめ込まれた感じの小さなお堂。
こういうのがそこかしこにあって、
いかにも京都という情景です。
四条大橋で鴨川を渡り、祇園の繁華街を通り抜けます。
疾(めやみ)地蔵尊という小さなお寺を横目に見つつ
通りの突き当たりには八坂神社。そのまま神社裏側の
円山公園まで歩を進め、さらに北へ向かえば知恩院にたどり着きます。
三門の前には人力車の車夫さんが客待ちしてたりして、
いかにも京都らしい風景なんだけど、それより何より
その山門がまぁデカい!三門くぐって、境内に入るとこれまた広い!
御影堂やら方丈やらもデカいデカい!かなり圧倒されますね、これは。
国宝 知恩院三門
小さな疾地蔵尊の次は、
超巨大建築の知恩院三門!
国宝ですよ。中井家の造営ですよ。
これはもう城と同じ建築ですよ!
あ、中井家というのは数々の城の作事を
請け負った大工の名家です。念のため (^^;
知恩院を出て、裏道を真っ直ぐ北へ。地名表示を見ると、粟田口とある。
ほほぅ、このあたりが粟田口ですか。京の七口のひとつですね。
それに刀剣の名産地…だったよなぁ、確か?
そんな歴史話に絡ませつつ進んで行くと、平安神宮に辿り着きました。
平安遷都1100年を記念して作られたというこの神社は
門や社殿が平安時代の建物を模しているんだそうで。
朱塗りの鮮やかな光景に、しばし時を忘れました。
平安神宮
かつての平安京大極殿を復興した神社は
千年の都を体現するもの。
朱塗で統一された建物はどれも立派です〜!
続いて向かったのは南禅寺。京都東山の中でも最も奥にある大寺です。
だんだん日暮れが近づいてきたので、拝観はそこそこにしたんですが
知恩院に負けず劣らず三門は大きく、本堂も風格ある渋さ。
いいねぇ、これぞ東山の奥ゆかしさって感じで。
それに、南禅寺は何が良いってお庭だね!
三門に入る前、参道を歩いている時点で苔の絨毯が広がって
そこに多からず少なからず、緑の木々が生えていて…。
静かでいーんだよね、これが (^-^)
南禅寺にて
静寂に包まれた緑の風景は
どことなく軽井沢の木立ちにも見えますね。
南禅寺の塔頭(たっちゅう、子院の事)として有名なのが金地院。
江戸幕府創業のブレーンにして「黒衣の宰相」と称された
以心崇伝(いしんすうでん)が京都洛北・鷹ケ峯にあった寺をここに移転したもの。
もともとの金地院は足利義持(室町幕府4代将軍)が開いた寺らしいッス。
崇伝は南禅寺住持にして徳川家の信任篤く、
江戸幕府の宗教政策を一手に引き受けると共に
大坂の豊臣家を打倒するために数々の献策を行った人物。
その功績によって南禅寺は隆興し、金地院を塔頭に加えたワケ。
しかも金地院の方丈は伏見城の舎殿を徳川家光(江戸幕府3代将軍)から
下賜され移築したものだというんだから大したもんだね!
境内には東照宮もあるし(さすが徳川家重臣)、方丈の前に広がる
鶴亀の庭は名作庭家として名高い小堀遠州が作ったものだし
塔頭とは言え、実はかなり見所が多いお寺だったりします !!
国特別名勝 金地院庭園
この奥に白砂の枯山水。
そのまた奥に池泉回遊式庭園。
凄いです。素晴らしいです。
金地院の入口になる門はその名も明智門。
あの明智光秀公が母の菩提を弔う為、大徳寺に建てた門なんだけど
明治元年にここへ移されたとか。
本能寺の変の後、実は光秀公は生き残り僧侶に身を替え
南光坊天海(崇伝と同じく徳川家ブレーンであった高僧)として
徳川の世を支えたと言う噂があるだけに、ここに光秀公ゆかり建物があるのは
何か因縁めいたものを感じる…のはオイラだけ? (^ ^;
色々楽しみましたが、とりあえず今日はここまで。
日が沈んできたので、宿に戻りました。
明日も東山近辺でお寺めぐりをする予定でござんす★
京都に来てもハンドヘルドPCでネットは抜かりなくチェックし、就寝――― (_ _)zzz...
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