2000年8月 中越再訪

旅行期間:2000年7月31日(月)夜半出発〜8月4日(金)帰着

主な滞在地
8月1日(火):守門村滞在
8月2日(水):奥只見観光・玉川酒造ゆきくら貯蔵庫
8月3日(木):新発田城址
8月4日(金):吾妻渓谷周辺・鎌原観音堂・白糸の滝
中越再訪行程地図


1995年、1998年と高校の後輩に付き合って新潟への合宿旅行に赴いたのだが
2000年にも再び声をかけられ、またもやとんび殿らと共に同行する事となった。
久々の新潟旅行、なかなか楽しみでもある。
とは言え、拙者も仕事の都合があり、夏休みを頂ける日にちと
合宿旅行の日程は微妙にずれていた。まぁ、これは仕方のない事なので
学生連中&とんび殿はひと足早く新潟入りし
拙者は後からそれを追いかける予定になり申した。
ついでに言うと、2人いる部活の顧問の先生のうち御一方と
後輩の2人も後発になるという話だったので、拙者が車に乗せて行く事に。
7月31日の夜、仕事を終えた後に出発した拙者の車は、
高校で顧問の先生と1人の後輩を乗せ、一路東京へ。もう1人の後輩は
何でも東京で用事があったとの事で、ここで拾い上げる段取りとなった。
夜8時を過ぎた頃、手筈通りに都内世田谷近辺で後輩をピックアップ。
そのまま関越道練馬ICに入り、新潟への旅路がスタートした。

まだ深夜という時間ではないのだが、関越道はガラガラ。
う〜ん、世の中夏休みなんだが、こんなもんなのかなぁ。
オイラの様に夜間行軍するような人っていないのかなぁ。
少々拍子抜けな感じでしたが、渋滞無しで進めるのは快適でありがたい。
都内の一般道はゴチャゴチャしてたから、余計スムーズに思えますな。
東京都・埼玉県はあっという間に過ぎ去っていき、
群馬県に入ってもまだ9時になるかならないか、という程度。
場所的に、ますます交通量は少なくなります。
沼田、水上を抜けるとあの関越トンネル!総延長10kmを超える
長大なトンネルで谷川岳をくぐり抜けると、そこからは新潟県。
山間の夜道では、トンネルを抜けてもまだ真っ暗でした。
飛ばしに飛ばした深夜の高速、そこから30分ほどで小出ICに到着し
ここからは国道252号線で守門村を目指し、無事に山頂の合宿所に着きました。
時刻はちょうど日付が替わって8月1日午前0時を過ぎた頃。
そのまま軽く天体観測(←本来の部活動です)し、適当に寝かせてもらいました。

8月1日はそのまま昼間で惰眠をむさぼり、夜は軽く天体観測。
近くの水田地帯に足を伸ばし、ホタルの観察も楽しんだのさ!

で、翌2日。あまりダラダラしてばかりは居られない。
というか、せっかく新潟まで来たんだから観光せにゃ勿体ない。
仲間は皆、徹夜の天体観測で昼寝してますが、根っから旅行好きなオイラとしては
一人で勝手気ままなドライブを楽しませて貰う事にしました。
さし当たって目標としたのは只見。前回の新潟来訪時には軽〜く(?)
田子倉湖を望む所まで行った事がありましたが、今回はもう一歩踏み込んで
只見川を下って行こうかと画策。そんなワケで、車を走らせたかすこばは
越後須原駅前から国道252号線を東へ進み、JR只見線と並行し
一路福島県境を目指しました。

須原から1時間ほどで六十里越、新潟・福島県境でございます。
そのトンネルを抜けると田子倉湖が姿を現します。
前回はここまできて引き返しましたが、今回は更に進みます。
田子倉湖北岸沿いに進む252号線は細かいカーブを幾度も繰り返し
田子倉ダム堤、田子倉発電所に辿り着きます。いやぁ、このダム堤は大きい!
そして堤の上から望む只見川の眺めは…。緑の山々を切り裂くように
川は流れ、その川沿いに僅かながらの民家が点在。自然の雄大さと
静かな山村の営みが同居している光景なんですな、これが。

田子倉湖の下流に位置するのが只見湖。これまた、只見ダムが堰き止め
そのダム堤が只見発電所になっている人造湖です。険しい山の中にある
田子倉湖とは趣が異なり、只見湖は割りと広々とした、
どこか女性的な淑やかさがあります。波一つ立たない湖面はまるで鏡のよう。
ところがその湖面には、所々に白いもやがかかっているんです。
ホントにまぁ、もやが「散在」する感じ。湖に小さなもやの島が浮かんでいる?
なに、あれ?ああいうものが出る仕掛けでもあるの?
まるで作ったようなもやがそこに「置いてある」かのようだったんです。
一体全体、何なんだあれは…と思った答えは、このあと明らかになります。
只見湖
只見湖

こちらがその只見湖です。
見事なまでに波ひとつ無い静かな水面でしょ?
向こうの山が綺麗に写ってます。
で、写真中央よりやや左にもやの玉があるんだけど
わかりますかねぇ? (^^;
こういうのがいくつも湖面に浮かんでたんですよ。

只見町の中心部を通過し、車は叶津(かのうづ)集落へ。
只見川と叶津川の合流地点に叶津番所があります。拙者の今日のお目当てはここ。
叶津番所は会津藩と越後藩の境界を監視する番所で、現存する番所の
建物は江戸時代中期、寛政年間に建てられたと言う茅葺屋根の曲がり屋。
雪国らしく屋根は急な傾斜になっていて、除雪に対応する工夫が見える。
外からは「大きな平屋」に見えるが、それもそのはず、中は何と3階建て。
叶津村名主の長谷部家が代々守り続けた由緒ある建物なのでござる。
幕末にはここを越えて越後長岡から会津に向けて
長岡藩家老・河合継之助の一行が逃避行をした経緯もあります。
悲劇の将として有名な継之助は、不誠実な明治新政府軍の誤りを正すため
負け戦と知りつつ幕府擁護の戦いに加わり、新政府軍に痛撃を与えます。
しかしその戦いで重傷を負い兵を引き、叶津を越えて会津藩への合流を目指すものの
このすぐ先の塩沢で没し会津入りする計画は成し得ませんでした。
山中の小さな古民家にも、実は大きな歴史の波が及んでいたのですね。
叶津番所
叶津番所

静かな木立の中に佇む古民家。
これだけ見ると、まるっきり江戸時代そのものですね。
今にもお侍が出てきそうな感じです。
番所の裏には五十嵐家旧宅の古民家も残ってます。こちらは国指定重要文化財。
国重文 五十嵐家旧宅
国重文 五十嵐家旧宅

青々と茂る稲穂の田の向こうに茅葺の小さな家。
うおー、これ以上なく絵になる風景だぁ…。

さて、あまり深入りはできないのが居候(合宿のね)のツラいところ。
もっと先まで行きたいとは思ったのですが、
遅くならないようにここで引き返しました。今度は只見川を上流に遡り
途中、只見のガソリンスタンドで給油。スタンドのすぐ裏には
只見川の姿が見えます。その川を眺めていると、何だか様子が変です。
川の下流から上流に向かって、だんだんと白いものが水面を広がっていきます。

何だありゃ?
さっきもおかしなもやの塊があったよな?
よくよく見てみると、作り物ではなく本当のもや。
水面の上にだけ平たくかかる川霧が、気温の変化で下流から上流に
遡っているのです。只見湖で見た点在するもやも、湖の水温が低い所にだけ
超局地的に発生していた川霧なのでした。驚いて眺める拙者を横目に
只見川の川霧はどんどん上流に進んでいきます。丁度給油も終わったので
慌てて車を発進させた拙者は、川霧の先端に追いつくべく急行し
まるで霧と競争するように国道252号線をひた走りました。
こんな瞬間、そうそう訪れるもんじゃないですよねぇ?
川霧の幻想的な美しさにすっかり魅了されてしまったかすこばでありました。
只見川の川霧
只見川の川霧

見て下さい、この白い流れ!
水面の上、わずかな高さにだけ流れているんです。
TVや写真ではこういう風景、よく見るかもしれませんが
実際にその場で見るという事はなかなかありませんよね。
幸運にも拙者はその瞬間に立ち会う事ができました。
いやー、感動的に素晴らしいですよ (^ ^)v

さて、無事に宿へ帰り着いた拙者でありましたが
何やら学生連中は夕方から山麓の酒蔵を見学するとの話。
お、例のゆきくら酒造ですな。拙者は酒は飲めませんが、
蔵の見学は面白そうなので同行いたしました。山頂の宿から車で下り
まずは麓の旧宅、佐藤家住宅を見学。これまた国重文の古民家です。
その後にお目当ての酒蔵へ。中の醸造設備を見学させて頂き、
なかなか良い社会勉強になりました。蔵の中って異空間ですなぁ。
飲めない拙者以外、高校生なのに皆が試飲していたのは…あ、何でもない (ーー;
酒蔵の中
酒蔵の中

大きな大きな釜(?)やら何やらが並びます。
酒の飲めないオイラにはあまりよくわかりませんが
とりあえず、酒造りの技術を守る苦労は覗えました。




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