★★★相州乱波の勝手放談 ★★★
#31 模擬天守だって良いぢゃないか!
 




※今回の記事はノリと勢いだけで記している速攻な文章なので
  冒頭部分、具体的日付が連発している事を予めご了承下さい m(_ _)m



先日、城友のおーちゃんさんと武蔵〜下総近辺の城を巡ってきた。元々はネット上で知り合った
彼の御仁であるが、最近は完全にリア友…というか腐れ縁?という位の間柄になり
オイラのハチャメチャな城チョイスでも喜んで付いてきて下さる(感謝w)
まぁ、直接お会いする以前のネット上だけで会話していた頃から「この人とは趣味がそっくりだなぁ」と
思っていた程なので、今や気心知れて何でも好き勝手に言い合える状態な訳だが、そんな2人が
「今更だけど、この辺りのこの城って行ってないんだよねー」というカミングアウト(?)したのが
事の始まり。オイラは岩槻城(埼玉県)、おーちゃんさんは忍城(埼玉県)・関宿城(千葉県)それに
古河城(茨城県)という具合で、まぁエリア的にまとまっている感じだからそこを集中攻撃しようかと。

で、2017年の2月18日(土曜日)に遠征してきたんですが、何だかまぁ随分と渋滞だらけだった日で
予定していた行程の半分しか終わらなかった有様。岩槻城から出発して、近辺の中小城館を拾いつつ
忍城に辿り着いたのはもう夕方で、こりゃ残りは後日だねぇという事になりました。斯くして後半戦に
赴いたのは4月8日の土曜日。今年の春は荒れ模様の天気が続き、4月に入った頃から連日の雨続き。
8日も前日からの雨が残り、予報では遠征先がギリギリ何とか降雨圏外になるかならないか?という
非常に綱渡りなお出かけになった次第です。とりあえず城さえ見られれば文句あるまい、ってな感じで
出たとこ勝負という腹積もりで出発。んで、現地へ行ってみれば本当に予報通り(で良いのか?)に
傘は差さずに済んだけど…という曇天の下、淡々と前回の続きを攻め落としていくツアーになりました。

そうは言っても4月2回目の土曜日。順当に行けば関東では桜の花が咲き誇るという時期。
どこへ行っても花見渋滞に引っかかり、前回と同じくスローペースなドツボにハマった (x x)
城さえ見られればという我々にとっては、ちょっと桜の花が恨めしい…と思いつつ
関宿城で撮った写真がこれ↓
霧に煙る春の関宿城
城好きな方には説明不要でしょうが、一応解説しますと
本来の「関宿城址」から、「関宿城博物館」を撮った写真です。え、意味が分からん?
関宿城博物館と言うのは、元々の関宿城があった場所とは少し離れた位置に建てられた
城の天守を模した博物館。で、この写真を撮った地点が実際の関宿城があった場所、という事です。
まぁゴタクは良いとして、桜と城(模擬天守ですがねw)それに菜の花まで組み合わせたら
これ以上ない程に“日本の春の情景”じゃないですか?しかしこうなると、やっぱり曇天なのが悔しい!
霧に霞む天守、と言えば聞こえも良くなりますが、実際のところ写真の完成度としては
このアングルで、この状態で、青空であって欲しかったなぁ…と。日を追うごとに悩ましくなり、
そうこうしている間に桜も菜の花も終わりに近づいていく訳で、さりとて天候は思うように操れるでもなく。
しかも神奈川から千葉の突先へなんて、そう何度も何度も行く機会は無いしねぇ (^ ^:



ところが、遠征の次の休みの日。4月14日の金曜日。どうやら家でやるべき用事はないらしい。
お天気もかなり良くなる(しかも暑くなる)予報。これを過ぎれば、もう桜は散ってるだろう。
という事は…あの写真に代わるような「城+桜+菜の花」という写真を撮りに行くべきかっ!!
いや、きっとそういう日であるにちまいない!!!(←勝手な思い込み)

何せこんなモヤモヤ感を抱いたまま来年を待つのも何だし
それどころかきっと1年後には桜の写真を撮り直す事なんて忘れてるだろうし(爆)



だがそうは言っても、また関宿へ行くというのは…。ちと遠いし、同じ事の繰り返しだし、と逡巡。
論点を整理して、ウチから近場(だいたい関東近辺って感じね)で「城+花」の写真が撮れるのは?
ここでの「城」と言うのは、写真の見栄え的に「建物のある城」という意味なので
自ずと「土塁だけ」とか「石垣の残りが」というだけの城は却下。建物にしても
「中世城郭の柵列」や「なんちゃって門」なんてのは被写体に出来ないので、やはり
近世城郭の櫓や天守がある所、という事になる。逆に模擬建築や復元建築でも
写真映りが良ければOKなので、そうして考えると候補になりそうな城は…
茨城県
土浦城
栃木県
宇都宮城
群馬県
高崎城
埼玉県
忍城
騎西城
千葉県
関宿城
大多喜城
久留里城
館山城
東京都
江戸城
神奈川県
小田原城
山梨県
甲府城
岩殿山城
静岡県
駿府城
思いついたのはだいたいこんな感じ。埼玉の天神山城は?と言われると、ありゃ完全に廃墟天守だし
川越城は?と言えば、御殿より櫓を撮りたいんだよなぁ…ってな選択だし
静岡で掛川城や浜松城は?となると、ちょっと遠いわ(何せ前日は夜勤だったんでw)
んで、このリストに挙げた城だと殆どは「城+桜」という条件は満たすんだけど
それに「菜の花」も加えるとなると…あれ?やっぱり関宿城くらいなのか??
(館山城でもありそうだけど、数年前に綺麗な桜の写真を撮った事があるので)


で、結局もう1回関宿城へ行く事になりましたとさ(苦笑)


夜勤終了後、ひと眠りしてから出掛けようと思ってたんだけど、一旦寝たら多分起きるのが苦痛だと考え直し
むしろそのまま現地へ直行し、夜明けまでそこで車中仮眠する事に変更。空が白んできた頃に動き始め
まず利根川の対岸から撮ったのがこの1枚↓
月下の関宿城
まだ明けきらぬ早暁。中空に月は残りつつも、地平線を彩って仄かに赤い夜明けが近づいてきた一瞬。
天守の白壁は浮かび上がるけれど、菜の花畑が広がる河原は眠ったまま…という光景だ。
この場面を目にした時、言葉では表現できないけれど「これは来た!」という感覚に襲われた。
そして徐々に夜明けが近づき、天守に朝日が射し込めば…
赤染まりの天守
桜並木に菜の花の絨毯!天守の影は真横に延び、いま関宿の町が目覚めるという状況。
春の朝、というのが一目瞭然。早起きは三文の得とはこの事なり!!!
ボケ味も良き哉
手前の菜の花を思いっきりボカしてみたりもしてw
何せこの河原、見渡す限りの菜の花畑になっていて…
どこまでも菜の花畑!
こうですよ!
関宿城博物館の反対側には江戸川が流れてるのだが、そっちの河原はもっと凄いし!!
これほど広大な菜の花畑、そうそう無いよなぁ!!!(><)


で、改めて“前回の写真を撮り直す為”関宿城の故地に赴いた。
時刻は午前6時30分を回る所。そこで試しに撮ってみたものの…
関宿城址にて
さすがにまだ早すぎて、光量不足。模擬天守の南西側に位置しているので、朝日からは逆光の向きになり
天守が影って真っ暗。桜の花も陽が当たらず籠った色合い。
こうなると菜の花の黄色さだけがドぎつく映ってしまう。葉の緑色も暗鈍だし。
この時間は綺麗な色合いにならなそうなので、しばらく時間を潰す事に。
まぁ、仮眠を摂るに丁度良いというモノだなwww

で、待つこと2時間ほど (^ ^;

陽が差すと!
じゃーん★ (^^)v

これだよこれ、撮りたかったのは!
やっぱり雨の空よりも光が差す方が良いというモノ。
色鮮やかな花々だけでなく、青い空まで揃ってこそ風景写真として一人前!
今日は気温が急上昇するというので、恐らく今後は湿度が上がって
霞掛かった白い空になると予想されるから、この時点がベストのタイミングかと。
そして中心には堂々と白亜の天守…抜群の安定感ですよ♪
もうね、模擬だの鉄筋だの関係ないッス。
「日本の城」という形を綺麗に備えていりゃ、それで良いじゃないか!
一応、関宿城博物館は史料に基づいた形にデザインされている訳だしw
江戸川の堤防上(だから本来の城の位置とは違う)にあるというのも
遠目に見れば、立派に土塁上で建ってるようにしか思えん。
しかもこの土手、いや土塁が菜の花で縁取りされていて、美しい事この上なし!

こうなると、色々と欲張って撮ってみたくなるもので
菜の花メインに桜を主役で
菜の花をメインにしてみたり、桜を主役で構えてみたり
解放感!
解放感を味わえる構図やら
遠近感!
遠近感を強調した位置で!

とまぁ、やりたい放題♪
周りにゃ誰もいない、独り占め状態でしたので好き勝手にやらせて貰いました(爆)

最後にもう一度、場所を変えて利根川の堤防上から、こう!
ありがとう関宿城(博物館w)
個人的にはこの角度が一番綺麗に櫓の姿を際立たせるラインだと思うw
そう、今一度言うが模擬でも鉄筋でも綺麗なものは綺麗なのだ!

マニアの中には昭和の再建天守(特に鉄筋コンクリのね)を殊更貶す輩が多いが
高度経済成長期〜バブル期にかけてはそれが当たり前だったのだ!
無論、本格的に木造で建てるのが良いに決まっている。それは当然だとして
昭和の天守は「戦後復興の証」「地元の象徴」を求めて建てているのだ。
戦災によって全国各地の城が為す術もなく焼け落ちていった苦い経験を経た後
“もう二度と失われない希望の存在”
として普及したのが鉄筋天守
である。
その頃は鉄筋建築が最も頑強で、特に「火災に強い」という点を信じていたし
(※実際には、鉄筋建築の耐久性は定期的にメンテナンスされた木造建築には遥かに劣る)
更には建築基準法や技術的・予算的な各制約に縛られる中で建てざるを得ない時代だったのだから
当時の「復興にかける情熱」を体現するには、鉄筋天守以外に選択肢は無かっただろう。
平成の、21世紀の、裕福で情報に溢れた世界から見れば「鉄筋なんて」と嘲る事は容易かろうが
先人の感性とは全く違う観点や環境なのに、蔑むなんて事はあってはならない筈。
否、鉄筋天守は鉄筋天守で「昭和の歴史」を示しているのである。
歴史好き、城郭好きならばそうした「近現代の城郭史」も認めるべきであろう。

だいたいさぁ、真の城好きならば想像力があってナンボな訳じゃない?
失われた城跡に赴いては、かつての縄張りや建物がどんな風に構えられていて
そこでどのような攻防戦が起こり得たのかを推測するのが、城跡巡りの醍醐味なんだから。
それなのに、昭和の(特に戦後復興期の)時代背景や社会情勢を慮る事が出来ないで
「再建するなら木造じゃなきゃ」挙句の果てには「現存じゃなきゃ意味がない」とか、発想が貧弱でしょ。
木造再建に対する評価が高まったのなんて、ようやくバブル期が終わろうかという頃からであって
それまでは鉄筋こそ最高の建築方法と思われていたんだから、仕方がないと言うものですわな。
建築基準法でも、当時はまだ例外規定が認められていなかったから、人が常時立ち入る
3階建て以上の木造建築を新造するのは禁止されていたんだし。後の世から、その当時不可能だった事に
ケチをつけるなんて誰だって出来るし、むしろ愚かな事だよ。それをやるなら、極端な話
「縄文時代ってバカだよなぁ、土器しか作れなかったんだから」と言ってるようなものさね。縄文時代に
車や飛行機が無いのは当然でしょ?だったら、戦後復興期に鉄筋建築を選択するのも当然だよね?
何せその直前に、(城に限らず)木造建築は簡単に焼き払われてしまっていたんだから。そもそも、
限られた環境でも城の復元に取り組んで頂いたその当時の方々に敬意を表すべきではないのかね?
鉄筋だろうと、そうやって城を再現してくれたからこそ今日の“城ブーム”に繋がっている訳だし
鉄筋城郭を貶す皆々でさえ、その城を見ていたからこそ城好きになったんじゃないんですか???


木造再建が出来なかった事は「残念」であったかもしれないけど
だからと言って、鉄筋建築が「悪しき存在」だと言うのは間違った理論なのだよ!



もちろん、城でない所なのに勝手に建てた“なんちゃって天守”や(関宿城博物館はこれ)
中世の小規模な砦なのに時代と合致しない巨大な天守を建てた例、
史実に基づかない空想の形状をした天守など、歴史を誤認させるであろう弊害例もある事は認める。
それらは是正できる所を是正し、或いは誤解を解くに足るきちんとした説明を施す必要があろう。
だが、だからと言って再建天守を一緒くたにして「天守ビル」などと蔑むのは間違いだと思う。
実際、関宿城博物館は「実際に関宿城があった場所は別」という事をきちんと説明している。
関宿城址の碑
↑こちらが本来の関宿城址を示す石碑

他方、名古屋城天守の木造再建が決定したように各地の鉄筋天守を見直す例も出始めた。
鉄筋天守を認める一方、木造再現が出来るならなお良い事であるが、それは今までの鉄筋天守が
21世紀になってからの文化財保護について問題提議を果たしたからの功績だとも言える筈。
また大阪城天守(旧来の大坂城天守ではなく、現在の大阪城公園にある模擬天守)や
富山城模擬天守のように、それ自体がもはや文化財として認められるようになったものもある。
これらを馬鹿にするのは、もはや城マニアとしては脱線した方向に陥っているように思える。
実際、大阪城天守は豊臣期大坂城天守や徳川期大坂城天守に比べて遥かに長い時間存在している。
もはや大坂城の天守と言えば「あれ」が当てはまって当然であろう。
「こんなのはニセモノの大坂城天守なんだゼ」と吹聴するのは、はたから見れば
単なる知ったかぶり?城マニアの傲慢?を気取っているだけだと、反省した方が良いと思うぞ (▼▼メ
「エレベーターのある城は城じゃない?」誰だよ、21世紀の世の中で
バリアフリーを真っ向から否定して障害者差別を堂々と公言する弩阿呆は?



そうは言っても、どうやら尼崎城の天守が21世紀の今になって
「なんちゃって鉄筋天守」で建てられると言うのは、私とて「今更ながら時代に逆行している」と
危惧してはいるのだが。反面、大地震で被災した熊本城は「鉄筋天守であるが」市民の熱意で
早期の復旧が求められてもいるという現実もある訳で。これを契機に、木造で建て直す…なんて話は
更々出てきてませんわな。要するに、一般の認識では
「鉄筋に目くじら立てるのは、一部熱狂的マニアだけ」という良い証明なんでしょう。
だからね、もう今そこにある復興(模擬)天守はそれなりに認めてあげないといけないんだよ!
こうやって写真の被写体としては、文句なしの美しさなんだから!(←そこかいw)






で、ここからはオマケの話題w
おーちゃんさん、あの日に行きそびれた例の場所も押さえてきました!
関宿城移築埋門實相寺客殿
関宿城移築埋門と、實相寺客殿〜♪

埋門は、心配していたのとは全く逆でいくらでも外から眺められる状態。
(さすがに門内へは入りませんでしたけどね)
實相寺客殿は、千葉県下唯一の城郭「御殿」現存建築というのが正しいようでw
まぁ、御殿建築の現存例でくくるなら千葉県どころか全国的に見て稀有なモノなんだが(爆)
と言うか、かなり改造されているのでそれっぽく撮るのがなかなか難しい建物(苦笑)

ちなみに、實相寺にはこちらの方のお墓も…
鈴木貫太郎首相墓石
終戦の英断を下した鈴木貫太郎首相の墓。
名古屋城や福山城など、数々の古天守を焼き尽くした愚かな戦争を終わらせた宰相が
城に少なからず関係する寺に眠っているというのも、何かの縁なのでしょうか。
もう2度と、名城(のみならずありとあらゆるもの)が戦禍に消える事のないよう祈るのみです。

(2017年4月16日 校了)




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