★★★相州乱波の勝手放談 ★★★
#10 幻の淀城天守を「勝手に妄想復元」する
 




最初にお断りしておきますが、わたくしは
建築の専門家とか、
強度計算ができる技術者とかではございません!

いち城好きのド素人に過ぎず、以下に記すのは全くの想像
いや、妄想でしかないので、何ら工学的根拠がある訳ではありません。
悪しからず御了承下さい m(_ _)m


その事を踏まえた上で、10thのお話は天守のお話〜!(←?)


淀城。京都市伏見区にあった城郭。いわゆる“淀殿の城”として有名だが
現在に残る遺構は江戸時代になってから改めて築き直されたもので
淀殿の城、というのは淀古城として区別される。近世淀城には廃城となった
伏見城から天守を移築する予定であったが、計画が変更され
実際には旧二条城天守が回されてきた。しかし、伏見城天守に合わせて
大型の天守台が築かれていた為、旧二条城天守では敷地に余りが発生。
これを解消するべく、天守台の隅に4基の2重櫓を置き
それを連結する多聞櫓が構築され、世にも珍しい
“多聞櫓が取り囲む天守”が天守台上に建てられたと言う。
しかし残念ながら、江戸時代中期に火災で焼失し
その姿は歴史の彼方に消え去ってしまった。

※天守・天守台・多聞櫓
天守とは言うまでもなくその城で最も高く大きな櫓。
櫓と天守の明確な技術的区別はないが、要するに天守と称せば天守、
そう呼ばなければ天守ではないという事になる。ただし、4重以上の高さを
有した櫓は、ほぼ間違いなく(他に同等の櫓がない前提条件で)天守とされた。
天守台とは、天守を建てるための土台。近世城郭では石垣造りというのが通例。
多聞櫓とは、塁上に長く連なる長屋形式の櫓を指す。
雨露をしのげる室内空間(つまり、鉄砲等の火器が天候に関係なく使える)があり
立体構造物となった事で外部から乗り越えて侵入するのは不可能である為
単に塀を構えるよりも、飛躍的に防御力が向上する建造物であった。
ちなみに近世城郭とは、安土桃山時代以降に構築された“統治拠点”としての…(以下略)



以前、淀城について調べた時に天守の構造が気になってしまい
以来「これはどういう建物だったんだ?」と考える日々が悶々。
あまりにも悩ましかったので、自分なりに勝手な復元を考えてみた(爆)

まずは基本情報。淀城天守のものとされる「指図(設計図)」が
幕府大工棟梁・中井家に伝来している。当然、これは復元するにあたって
有力な資料になる筈だ。以下、表示する図面がそれ。

5階平面
4階平面
3階平面
淀城天守指図(上層部)
2階平面
1階平面
総土台回り指図
淀城天守指図(下層部)
各平面図をクリックすると別窓で拡大表示します


一方、この設計図とは別に淀城天守の姿を模写したという絵も残されている。
山城国淀城天守之図
「山城国淀城天守之図」(渡辺氏所有)

この絵は最上階の大屋根が
棟向を逆に描かれていると伝わるが
基本的には構造を忠実に模写している


画像をクリックすると別窓で拡大表示します(以下、全て同じ)


さて、これらの絵図面を元に天守建築物の形を作り上げてみる。
まずは「指図」各階平面図を組み合わせ、床面の立体構成図を作成。
  ※↑の指図では、何故か3階平面図だけ90度回転した向きで描かれているので
    それを修正した上で作図しています。また、各階の区別をつけやすくする為に着色しました。

天守床立面(本体部)
さらに、外周の多聞櫓部分を付け加えてみた。
天守床立面(全体)
天守本体部、床面から立ち上げた立体形にして…
天守立方体
破風も考慮して面取りを施す。
天守立方体(破風込み)
この時点で思ったのは、なるほど望楼型天守って
上層と下層の“ごまかし”が容易だなという点。恐らく層塔型天守だと、
立方体に変換するのが非常にタイトなものになるだろう。

さて、この立方体を基本にして天守建築の肉付けをしたらこうなる。
天守本体予想図
「指図」にある床平面から推測すると、1階2階の張出は
出窓や石落しのサイズとは言えず、せいぜい出格子窓といった程度だろう。

で、周りの多聞櫓まで作り上げてみると…
天守全体予想図
おぉ、なかなか綺麗に仕上がった!
これにて完成〜♪








で は 終 わ ら な い !
そんな簡単にオチる話では無ぇわさ (▼▼メ
実はここまでの復元作業で、既にいくつかの問題点が発生しているのだ。
1.床平面図、天守本体部と多聞櫓部を組み合わせる段階で
 天守長辺部と短辺部の向きが逆になってしまっている。
2.そもそも総土台回り指図が、縄張図上の向きと組み合わない。
3.渡辺氏所有「天守之図」の棟向きが逆と言われるが
 「指図」通りに組み上げると、逆ではなく絵のままが正しい。
 仮に最上階棟向きを逆にしようとすると、4階平面に対して
 5階平面が南北方面だけ“はみ出る”形になってしまい、屋根が成立しない。
 (東西南北両方にはみ出るのならば、南蛮造り天守とできるのだが)
4.同「天守之図」では初重屋根の上(2重目)に破風が描かれているものの
 「指図」においては、破風の出張りが計算されていない。
5.多聞櫓部分の寸法が不明瞭。「指図」にある1階平面サイズは
 総土台回り指図にある大きさと合わない。ここでは1階平面指図に
 多聞櫓と繋がる渡廊下の幅が約1間とされているので、それを基準に
 多聞櫓の大きさを調整したが、多聞櫓部と天守本体の隙間にできる空間は
 “空ける必要があるのか?”と思えるほど狭隘なものになっている。
6.この平面図を元にして、多聞櫓4隅にある櫓(俗に“姫路櫓”と呼ばれる)を
 組み上げると、2階部分は実用性がない狭さになってしまう。
姫路櫓2階部分の想定
姫路櫓2階部分の想定

ギュウギュウ詰めで
3人入るのが限度?
しかも高さが足りなくなる。
これで合戦時に鉄砲や弓を
取り回すのは無理だろう。

※この画像は拡大図なし
言うまでも無い事だが、姫路櫓を実用サイズに大型化した場合
今度は天守本体を小さくする必要が生じ、天守側(最上階)が非現実的規模になってしまう。




はっきり言って、この「指図」は解けないパズルだ!


という事で、天守指図の実現性は案外疑わしくなってくるのである。
そもそも、城郭建築物は計画上のものと完成時の現物では
異なったものになる事がしばしば見受けられる。
例えば名古屋城天守、設計時の段階では西側にも1つ小天守を連結させ
複連結式天守になる予定とされ、それ用の図面も現存している程だが
築造途中に変更され、この西小天守は作られなかった。
なこや御城惣指図(本丸部分拡大)より 名古屋城天守台西面
【左図】名古屋城計画図「なこや御城惣指図」(中井家所蔵)
【右写真】埋め戻された名古屋城天守台の西小天守連結予定部

※複連結式天守
大天守に小天守(またはそれに類する大櫓)を並べ
両者を渡櫓や橋台などで連結する形式の建て方を
連結式天守と呼ぶ。小天守が2つ以上繋がる場合は複連結式となる。
名古屋城天守の場合、本丸北西隅に大天守を揚げ
その南側に建つ小天守を橋台で接続しているが
築城前の計画では、図のように西側にももう1つ小天守を建て
大天守と連結させるつもりだった。しかし工事中に計画が変更され
西小天守は建てられず、大天守と接続する予定の部分は
写真のように塞がれたのである。



小田原城天守雛形(神奈川県指定重要文化財)小田原城天守雛形
小田原城天守現況小田原城天守現況
一方こちらは小田原城天守の例。雛形(実際に建てる前に作られる精巧模型)では
天守初層を1階建とする予定であったが
完成した建物では2階分の空間を有している。このように、
予定と実現で差異が生じるのは、言わば茶飯事の事例なのである。
ちなみに、この雛形は江戸時代以来(宝永再建時のものと伝わる)の物で
それ自体が神奈川県指定の重要文化財になっている由緒正しい物。
然るに、写真の現況天守は昭和再建の復興天守で部分的改変はあるのだが
建物規模は江戸期のものとほぼ同一なので
当時の天守も、雛形通りには築かれなかったという事になる。

※小田原城天守雛形
なお、小田原城天守の雛形は3例(4例という説もあり)作られており
そのいずれもが、実際に建てられた天守と異なる箇所がある。
上に示した写真のモデルは、現物の天守に最も近い外観のものだが
それでも階数に不一致が生じている訳であり、他の例も
破風の形状・位置が異なったり、5層天守の案として作られたものだったり。
この5層天守雛形が格好えぇのよ、これが。神奈川県民としては
もしこの雛形通りに小田原城天守が建てられていたら最高だったのに…なんて(苦笑)
まぁ、幕府の手前そんな巨大天守はつくれる筈がないとして。
つまり雛形や指図というのは、往々にしてシミュレーションモデルに過ぎないのだが
勿論、雛形通りに建てられた建築物もある事を補記しておく。



この様な例から鑑みると、やはり「指図」は設計段階での予定図に過ぎず
実際に建てられたものとは相違点が多々あると思われる。もしくは、
「指図」は解体時の旧二条城天守の構造図という事なのかもしれない。
となると、むしろ「天守之図」にある模写の方が、
現実に即した絵と考えられるのではないか?
何せ、実際に建っていた現物の姿を描き写しているのだから…。

そこで、「指図」と「天守之図」の相違点を今一度洗い出してみる。
1.天守本体の棟向きは合致。縄張図との矛盾点も見受けられない。
 ただし、姫路櫓の棟向きが異なる(その状態で縄張図と整合)。
2.初重屋根の上に破風が存在。東西面は唐破風、南北面は千鳥破風。
3.多聞櫓が四周を囲むというよりは、天守初重そのものが
 全体的に大きく構えられているように見える。あるいは、多聞櫓ではなく
 塀を回して“視覚的錯覚”を作り出しているのか?
古河城三重櫓古写真 水戸城御三階古写真
城郭建築における錯覚利用の例
【左写真】古河城三重櫓古写真
      3重櫓の手前に塀を並べ、4重櫓のように見せる
【右写真】水戸城御三階古写真
      初重の下半分を海鼠壁にし、石垣上に建つように見せる
この他、備中松山城の天守では西側にはみ出すような
長屋状の張り出しが密着し、まるでそこだけ1重多くなっているような構造。
まさしく、多聞櫓代わりの容積を天守本体が擁している事になっている。

※海鼠壁(なまこかべ)
白漆喰の壁面に、平瓦を規則的な格子状に貼り付けて塗り込めた壁。
美観が向上するのみならず、耐火性能・防湿性にも優れる。
金沢城や新発田城で多用されているのが有名な例。
西伊豆の松崎町にある蔵屋敷商家なども良く知られている。
水戸城の御三階は、平地上にそのまま建てられた建築物だが
1階壁面下部を海鼠壁にする事で、城下から遠目に見た姿が
天守台石垣を構えた建物であるかのように錯覚する
視覚効果を計算したものだったと言われている。



つまりだ、淀城天守は話の上だけ「多聞櫓が囲んでいる」という事にしておき
実際は塀で囲うだけ、または天守本体が張り出しているという形になっている?
こうすれば、多聞櫓と天守本体の間にある“無駄な空間”を吸収し
姫路櫓も実用的な大きさに拡大できる訳である。
という前提を基にし、「天守之図」から推測した復元図を作ってみると―――
天守想像復元
こんな感じ。「天守之図」の形状とほぼ合致するようにした。
ここでは、天守の南北面は初重底面を拡張して
「多聞櫓の床面積」分も取り込んだサイズにしてある。
他方、東西面に関しては多聞櫓を廃し、塀のみの構造。
その代わり、唐破風を生成した庇の拡大部分が発生するので
塀裏の余地は、極力雨風が凌げる(多聞櫓に準ずる効果)ようになっている。
基本的に、西側(この絵では裏側にあたる方角)は
本丸を囲む別の多聞櫓が接続するので、塀囲いでも防備に遜色は生じない。
また、東側は石垣下にテラス状の段が置かれる為
多聞櫓にするよりも、空間の自由度が高い塀のほうが
直下に取り付いた敵を攻撃しやすい筈だ。
そのテラス状石段を足掛かりに敵兵が侵入する可能性もあるが
そうなる事で唐破風からの石落しが存在意義を発する事になるし、
両脇の姫路櫓から相横矢を掛けられる(敵を閉じ込めて滅殺できる)上、
結果的に本丸への進出は西側へと回り込まねばならないので
無駄な攻略という事になる(つまりテラス段はそういう誘導をする罠?)

※相横矢(あいよこや)
侵入して来る敵に対し、側面攻撃をかけるのを横矢と言う。
相横矢とは、片側だけでなく左右両面から挟み撃ちにするような
横矢の掛け方を指す。これには、敵軍が侵入する想定経路に対し
その両側に張り出す櫓や塀を構築しておく事が必要になる。
この天守想像図の場合、塀内側の空間目指して入ってくる敵を
姫路櫓が両方から挟み込んで攻撃する事が可能になっている。
ある意味、塀裏側は“敵を誘い込んで封じ込めるダミー空間”になる訳だ。

姫路櫓もサイズを拡張し、実用性を上げているが
これにより、初重も2重目もそれぞれ天守本体と連結し
内部の兵が移動しやすくなった。
(床平面図は描いてませんが、天守と内部接続する構造にしてあります)
「指図」に基づく独立した姫路櫓では、2重目は役に立たないだけでなく
天守2重目・3重目からの射撃に邪魔となる程だったのだが、
これで射撃撒布界は飛躍的に向上する。

※射撃撒布界
飛び道具、特に鉄砲類の火器による攻撃で
弾幕をどのエリアに展開できるか、という空間計算やその結果。
ここで重要なのは、1階建ての建物(あるいは塀だけ)の場合よりも
高層建築になった場合、はるかに弾幕は濃密なものに出来るという点。
単に射程距離がどれだけという「点」や「面」だけの計算ではなく
立体的な「空間把握」で、敵兵の減殺を考慮するからだ。逆に言えば
射撃の邪魔になるような構造物は極力排除する必要がある事になる。
姫路櫓の立地・構造は、このような計算において
大きく異なる結果を導き出すと考えるべきであろう。



最初に遡りますが、オイラは建築の専門家でも何でもないんで
果たしてこの想像図が、実現可能なものかどうかはわかりません。
ただ、築城理論に基づけば然程矛盾したものではないと思われます。
我ながら、なかなか良く出来てるんじゃないかなーなんて…いや、何でもない (- -;


まぁ、何だかんだ言っても結局のところ通説通り
「天守の周りに多聞櫓と姫路櫓」が建っていたんだろうけどさ
ホントにそんなの建てられるの?と疑問に思ったので空想してみた次第(爆)

そんなこんなで最後に、現状の淀城天守台写真に
想像図で作り上げた天守を填め込んでみました。
天守合成写真
どないでっしゃろ? (^-^)




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