1999年9月 日光参詣 〜寺社の章〜

旅行期間:1999年9月23日(木)

主な滞在地
9月23日(木):

霧降大滝・大猷院廟・二荒山神社・日光東照宮・輪王寺・裏見滝
華厳の滝・二荒山神社中宮祠・中禅寺湖・戦場ヶ原・金精峠
日光参詣 〜寺社の章〜 行程地図


前回、とんび殿と日光へ赴き滝めぐりをしたものの
やはり日光と言えば名刹の寺や神社を見なければ終わらない。
今度は東照宮や輪王寺を見るために日光行きを決意した拙者。
これこそ修学旅行のやり直し?という感じだが、兎にも角にも
先日行った滝めぐりの記憶が薄れないうちに再訪する予定を立て
今回は高校同級生にして今や同業者の黒旅殿と
職場の先輩、それにその娘さんという不可解な混成4人編成で旅立った。
滝めぐりの時と同じく、日帰り攻略のスケジュールだったため
朝5時に全員を拾って茅ヶ崎を出発、祝日の渋滞を避けるべく
都心を一気に通過し、朝8時前に宇都宮ICを通り抜けたのでござる。
我が街一番号はそのまま日光宇都宮道路を爆走し日光市方面へ。
前回とは逆に、市街地から順に奥日光へと進むコースで
寺社めぐりのドライブを開始したのでござった。

今回最初の訪問地は、霧降大滝。前回では最後に行った場所なので
今日は朝から見て、もう一度その勇姿を再確認しようかと思ったワケ。
いくら寺社目当てのドライブとは言え、最初っから史跡攻めというのじゃ
何だかゆとりがないし、同行者もいることだしねぇ。
ちょっとばかり景色の良い所からスタートしたという事ですよ。
前回は夕暮れ間近で急いた覚えがありましたが
本日は早朝の爽やかな雰囲気の中で大きな滝を見て、満足満足 (^^)v

さて、前菜に霧降大滝を頂いた後は(?)、いよいよ本日のメインに。
今や世界文化遺産にも登録された日光の寺社めぐりです。
まず最初におとずれたのは大猷院(たいゆういん)廟。
以前にもチラッと紹介しましたが、江戸幕府3代将軍・徳川家光の霊廟ですな。
祖父である徳川家康の霊廟・東照宮をやや小ぶりにした霊屋で、
その東照宮を脇で見つめる位置に建立されております。
家族関係の確執があったせいで、家光という人はとことん
家康の事を敬愛していたようですな。死後も家康と共に葬って欲しいと願い
こういう形の霊廟を用意させたんだそうな。紅色塗りの壮麗な二天門をくぐると
奥には鐘楼や拝殿が並び、家光公墓地の入口になる龍宮門は
その名の通り、なんだか龍宮城のような造りになっている。
ここから先は非公開なので、龍宮門の奥には入れませんが
見事な建築物の佇まいに、我々一行は感嘆。特に城マニアの拙者としては
境内随所に見られる石垣の精密さにまで注目したりして… (^^;
ちなみに龍宮門ですが、正しくは皇嘉門と言います。
国重文 輪王寺大猷院廟皇嘉門
国重文 輪王寺大猷院廟皇嘉門

はい、これが龍宮門こと皇嘉門。
本当に龍宮城みたいでしょ?
海の中じゃなくて、山の中にあるんですがね(爆)

大猷院廟の敷地をぐるりと回り、出てきた後に拝観したのは二荒山神社。
日光の霊峰・男体山を御神体と崇める神社は、さすがに境内も広く
独特の趣がありますな。偶然にもこの日は参拝客が少なく、
広い境内がガラガラ。祭日なのに何故?と驚愕。神社の前にある参道には
数え切れないほどの石灯篭が並んでいて、これまた驚かされました。
その参道を進み、突き当たった所にあるのが日光東照宮。
言うまでもなく、江戸幕府の開祖・徳川家康を祭る神社で
入口には東照大権現(家康公の神号)の扁額や三ツ葉葵の家紋が。
ここが徳川将軍家の聖地であった事を知らしめておりまする。
五重塔が建てられた広場を進み、我々はいよいよ日光最大の名所に入ります。

東照宮の表門をくぐり、境内に入った所で見つけるのが東照宮の神厩舎。
素木で造られた厩の長押(なげし)部分には、猿をモチーフにして
人間の一生を表現した彫像が並んでいます。その中でも一番有名な題目が
「見ざる、言わざる、聞かざる」で知られるな三猿ですな。
人生訓として、悪事に関わる事なかれと戒める意味の彫像なんだそうです。
やはりここには観光客が集まり、三猿の姿を写真に撮っておりました。

神厩舎から進むと階段があり、それを登った所に現れるのが豪華な陽明門。
あまりに有名な建物ですから、東照宮ってこの門の事だと思っている人もいるでしょうか?
陽明門はあくまでも東照宮本殿に入るための門なんですよー。
徳川家康は1616年(元和2年)に没した後、静岡の久能山に葬られ
遺命により1年後、ここ日光に改葬されました。そして3代将軍家光の頃、
神君・家康公を祀るに相応しい規模を整えるべし、として東照宮の大改造が行われ
現在に見られる東照宮建築物が建立されたのでござる。
陽明門もこの時に建造されたもの。溢れんばかりの装飾に彩られた門は
華やか、というのを通り越してド派手ですね。これだけ豪勢に仕上げるとは、
ホンマに家光って家康の事を崇拝していたんでしょうな。
壮麗な門をくまなく見ていると、日が暮れてしまうという程なので
別名で日暮らしの門とも呼ばれておりますね。ホントにスゲーや!
国宝 日光東照宮陽明門
国宝 日光東照宮陽明門

門つづきで、こちらは東照宮の陽明門。
見た事ない人はいませんよね?
完璧すぎるものには魔が憑くと言われるので
柱が1本、わざと逆さまに取り付けられているというのも
誰しもご存知ですよね??
で、陽明門をくぐった奥にある拝殿へ。今回は神社マニアの黒旅殿が一緒なので
東照宮建造物の造りを色々と説明してくれました。曰く、
普通の神社は拝殿のさらに奥に本殿があって、そのほとんどが
本殿は外から見られないようになっているんですって。つまり、
みなさんが神社に参拝する時にお参りするのは拝殿であって
本殿ではないんですよね。しかも本殿は奥の奥にあって、通常は見る事すらできない。
ところがどっこい、東照宮の建築様式は権現造と呼ばれていて
拝殿と本殿が連結している。当然、拝殿から中に入った通路は本殿まで続き
一般の参拝客でも本殿の手前までは辿り着けるようになっているんだそうです。
そんな解説を聞きつつ中に入ってみると、これまた豪華な装飾に驚かされ
宮司様の案内に従いつつ、拝殿を通り石の段へ。本殿と連接する空間です。
さてその先の建物の天井に描かれているのが龍の絵。この絵の下で
上手に手を叩くと、叩いた音が反響していつまでもこだまします。
これもやっぱり有名な鳴き龍ですね。なかなか迫力ある絵柄ですし
ここで拍手した音がビリビリと響けば思わず感激。
今回の日光寺社めぐり、驚かされる事が沢山ありますね。

石の段参拝の後は順路に従い坂下門から階段を登って奥社へ。
眠り猫の彫像があるのが坂下門ですね。
結構急な坂を登って行って辿り着いた奥社は、
家康公の墓地でして、まさにここが東照宮の中枢なのです。
墓といっても、普通の墓とは違って石造りの墓標ではなく
何というか、銅の大きな鐘に屋根を乗せたような?感じ。
さすが神と崇められる将軍様の墓は違いますねぇ。
あ、もちろん歴史的な墓だからといって
古墳のような土塚ではありませんので、念のため (^^;
徳川家康廟
徳川家康廟

文章だけじゃ分かりにくいので、写真を掲載。
東照大権現こと、徳川家康公の墓標です。

奥社参拝を済ませれば、東照宮参拝路は終了になります。
大猷院廟・二荒山神社・東照宮と見て、残る有名寺社といえば輪王寺。
東照宮の南側、日光市街地に最も近い所にある大きな寺ですね。
東照宮から下りて来ると、裏口から回り込む形になりますが
無事に(?)輪王寺も拝観させて頂き、これにて寺社制覇完了!
赤い金堂(本堂)はかなり大きくそびえる感じで迫力満点、
念願の日光有名寺社参詣を終えた拙者を見つめているようでした。

今日は黒旅殿ほか、多数のメンバーを引き連れての旅ですので
もちろん普通の観光もしなくてはなりません。せっかく日光まで来たのなら
当然ながらこの後の予定は奥日光方面、華厳の滝や
中禅寺湖へ向かうようになりますな。で、日光の市街地を後にしたのですが
半月前に日光へ来ていた拙者としては、どうしてももう一度行きたい所がある。
そう、「日本一素晴らしい滝」と(勝手に)決定した裏見滝です。
同行の一同は、それほどまでに素晴らしいと言うならば、と同意し
我々は滝見の道を進んだのでありました。斯くして、裏見滝を再訪。
9月下旬となるともう日光の山中はやや寒い感じになっていて
前回のように滝しぶきに濡れるような場所までは行けませんでしたが
それでも相変わらず美しい滝を愛でて大満足!これでもう拙者としては
今日の日光見物は100%の達成度を記録しました(何だそりゃ)

街一番号は裏見滝を発って奥日光方面へ進みます。
国道120号線を山登りする道は第2いろは坂。まだまだ紅葉には早く
周りの山々は緑の葉に覆われておりますが、それでも景色は良く
車は快調に坂を登って行きました。明智平を過ぎれば
程無く中禅寺湖に到着。ここでの見所は当然、華厳の滝です。
駐車場に車を停め、華厳滝エレベーターで崖を下り
我々一行は華厳の滝の観瀑台にやって来ました。ところが、
今まで快晴だった天気がこの時だけ急変して濃霧模様に。
肝心の滝はといえば、上半分が霧に覆われてしまい全く見えません。
ありゃ、せっかくここまで来たのに。誰ですか、日頃の行いが悪いのは?!
どうにもこうにも埒が明かないので、観瀑は諦めてこの場を後にしました (T_T)

遅い昼食を摂った後、中禅寺湖畔を西へ進みます。
その途中にあるのが前回も立ち寄った二荒山神社中宮祠。
拙者はまぁ前回来ている場所なので、今回それほどの関心はなかったのですが
神社マニアである黒旅氏のリクエストに応え、ここにも立ち寄りました。
でもまぁ、霧のかかった神社というのも何だか違った光景で良いかも。
これはこれで一つの記念だ、と思いカメラのシャッターを切りました。
もちろんその間、黒旅殿はあちこち隅々まで見て回りお参りしていましたね(笑)

中禅寺湖からなおも山を登り、車は戦場ヶ原へ。
霧のかかる高さを越えたらしく、戦場ヶ原は快晴で青い空が広がっていました。
もちろん、見上げる男体山は頂上まで綺麗に望めますし
反対に振り向けば、霧のかかる中禅寺湖の姿が…。
この対比はなかなか面白いものです。
車は更に高度を上げ、国道120号線を爆走。湯ノ湖を過ぎ、
日光湯元温泉を通過するといよいよ金精峠の山道です。
あと数ヶ月したら雪に包まれ、通行止めになる場所でござりまする。
山の彼方に日がかげる頃、車は峠を抜けて群馬県側に入ったのでした。
中禅寺湖遠望
中禅寺湖遠望

峠道から後ろを振り返れば、
霧の帽子をかぶった中禅寺湖の姿。

同行者アリの旅路では、帰宅が遅くなるのは気が退けるもの。
金精峠を群馬県側に進めば、菅沼や丸沼といった数々の湖沼群があり
さらに進めば関東の名瀑・吹割の滝も待ち構えているのですが
帰り道を急ぐ旅では、もう観ている時間はありません。
途中で休憩しつつも、それらの観光地は全てパスし(残念)
車は関越自動車道の沼田ICに到達したのでござる。
日はとっくに暮れていて、あたりはもう真っ暗。
沼田から関越道をひた走り、鶴ヶ島JCTで圏央道に進入。
祭日と言えど、圏央道は相変わらずガラガラなので快適に走行し
入間ICで国道16号線に下り、あとは一般道で茅ヶ崎まで帰着しました。
後半は随分と慌しいペースでしたが、日光の文化遺産を堪能し
我々一行は満足して帰宅したのでござります。
老若男女を問わず、日光の素晴らしさにはヤラれっぱなし。
子供の頃に見ただけじゃよく分からなかったけれど、
大人になって改めて目にすると、スケールの大きさに度肝を抜かれました。
いやぁ、日光ってやっぱり凄い所なんですねー★


◆◇◆ 時代(とき)啓く 公方を祀る 鎮護の地 日の光さし 心も晴るる ◆◇◆




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