1997年3月 三浦半島周遊

旅行期間:1997年3月5日(水)

主な滞在地
3月5日(水):城ヶ島・観音崎
三浦半島周遊行程地図


今回は黒旅殿らと軽〜くドライブ。
とりあえず、茅ヶ崎から国道134号線をひた走り
相模湾沿いに三浦半島を目指したのでござる。
湘南海岸を走り抜けるこのコースには有名な観光地が盛り沢山。
烏帽子岩、江ノ島、稲村ヶ崎、由比ヶ浜を抜けて行くと
その先には葉山のマリーナにヨットやクルーザーがひしめく。
よくテレビの旅行番組とかで出てくる景色ですやね。
車は葉山御用邸の前を通り過ぎ、さらに南下していく。

葉山町から横須賀市へと入り、林交差点から猶も134号線をひた走る。
この交差点のあたりには海上自衛隊の教育隊と
陸上自衛隊の駐屯地が並んで敷地を取っている。
陸海の両自衛隊が軒を連ねていると、さすがに広い。
そこを過ぎるとしばらくは海岸線から離れ、内陸部を走ることになる。
京浜急行の三崎口駅前を通過し、134号線は畑の中を横断。
三浦半島の特産品、三浦大根とキャベツの生産地だ。
神奈川県立三崎高校の前で、134号線は横浜方面
つまり北へと折り返すが、我々はここで国道から離れ、
さらに南へと向かう県道26号線へとシフトした。
目指すは三浦半島最南端、城ヶ島だ!

と、その前にちょっと脇道に逸れた我々は
これまた観光地として有名な油壺へと立ち寄った。
ここは戦国時代に新井城があった場所。
鎌倉時代から続く名門・三浦氏の居城であった新井城は、
小田原から勢力を伸ばす北条早雲に攻められ、遂に落城。
その際、城兵の亡骸で眼下の湾が埋め尽くされ、さながら油壺のような
有様だったことから“油壺”の地名が付けられたと言う。
今では油壺マリンパークが建てられ、家族連れで賑わう行楽地。
で、油壺に立ち寄った我々はマリンパークに…は寄らず、
荒井浜(←現在はこの字をあてる)の海岸でしばし休息。
浜の先端には東大の臨海実験所があるのだが、
こんな所でいったい何を実験しているのかは…謎。

さて、油壺から引き返した我々は、城ヶ島大橋を渡り
ようやく目的地の城ヶ島へと到着。
三浦半島の最南端である城ヶ島は
ゴツゴツとした岩が突き出した小さな島。
荒れた日には大波がしぶきを上げて激しく打ち寄せる場所だが
春の穏やかな陽光が降り注ぐこの日は静かな海が広がっていた。
霞のかかった海の向こうには横切る船がうっすらと姿を浮かべ
何とものどかな光景に時間を忘れて遊び呆けるかすこば一行であった。
城ヶ島
城ヶ島

城ヶ島から望む海の写真は
御池の頁で紹介してあるので
こちらに掲載するのは城ヶ島灯台の写真。
わりと小柄な灯台ではあるものの
東京湾の入り口を守るという重要性は
他の灯台に引けをとらない。

昼食をとった後、再び車に乗ったかすこば一行は
城ヶ島から北上、東京湾沿いに久里浜港・浦賀港を抜け
観音崎園地へと到着。三浦半島の最東端であるこの岬は
房総半島を遠く望むことができる景勝地でござる。
その間に広がる浦賀水道は、東京湾へと出入りする船が
右から左へ、左から右へとひっきりなしに行き交っている。
小さな釣り船、大きな自動車運搬船、横須賀へと向かう潜水艦など
次はどんな船が通るかと想像しながら眺めていると
いつの間にか、かなりの時間が経っていた。
観音崎
観音崎

色々な船を見物できる観音崎は
房総半島や浦賀水道を眺めるだけでも良い展望で
「かながわの景勝50選」に数えられている。
ちなみに、観音崎灯台は
日本最初の洋式灯台(らしい)。

すっかり西に陽が落ちる頃になり、
観音崎を撤収した我々は、国道16号線を横浜方面へと進み
横須賀の市街地を通り抜けた。
江戸時代末期から軍港として発展した横須賀の町は
今でももちろん、アメリカ海軍と海上自衛隊の基地があり
16号線を走りながら、右手にそれらの基地を眺めるようになっている。
その一角には記念艦の三笠が展示されている三笠公園もあるが
時間が時間なので、今回は立ち寄らず通り過ぎた。
ちなみに三笠とは、日露戦争時の日本海軍旗艦で
ロシア海軍のバルチック艦隊を撃破した戦績を記念して
ここ横須賀に保存されている戦艦である。
まぁ、あまり戦勝を記念するのが良い事だとも思えないが…(苦笑)

横須賀港の先で16号線を離れた我々は、
三浦半島の付け根を横断する形で
逗子市へと抜けていった。ここから先は、
今朝通った134号線に合流し、茅ヶ崎へと帰る事になる。
鎌倉の材木座海岸を通る頃にはすっかり日も暮れ、
あたりは初春の星空が広がるようになっていたのであった。


◆◇◆ 陽光が 波にきらめく 春の海 灯台白く 船は霞みぬ ◆◇◆




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