2001年4月 碓氷旧線探訪

旅行期間:2001年4月28日(土)夜出発〜4月29日(日)帰着

主な滞在地
4月29日(日):碓氷峠旧線跡・水沼駅温泉センターせせらぎの湯
碓氷旧線探訪行程地図


このホームページからもリンクしている面々、
平野越後守・安房守兄弟、ふぁ〜む氏らと共に
碓氷峠の鉄道廃線跡を見物しようと言う話が持ち上がり
こりゃ面白そうだと飛びついた拙者。
オイラのワゴン車、街一番号に4人で乗り込み
ゴールデンウィークが始まった4月28日土曜日の夜、茅ヶ崎を出発。
ふぁ〜む氏のナビに従い、八王子バイパスを通過し
国道16号線、国道407号線を経由、時折休憩を挟みつつ
関越自動車道に入りました。そのまま北進、
藤岡JCTからは上信越道を走行、松井田妙義ICで高速を下りたら
向かうは碓氷峠方面であります。国道18号線を走る事西へ少々、
横川駅前のドライブインで夜明かしの宿泊と相成りました。
う〜ん、ドライブインで夜明かしってまさにそのまんまやな (^^;

明けて29日、日曜日。24時間営業の巨大ドライブインで
(御存知の方はこのドライブインが何だかすぐお解かりでしょう)
碓氷名物の「峠のかまめし」を朝食として頂きました。
おまけに各々がモバイル端末から各自のHP掲示板に書き込みしたりもして…。
(まだ携帯電話から直書きは出来なかった頃の話ですね)
それがひと段落して、さぁいよいよ廃線見物の旅に出発です!
国道18号線は峠越えをするのに新道のバイパスと旧道の屈曲路に分かれますが
我々は勿論、線路と併走する旧道に進路をとりました。
朝霧かかりしっとりと湿った路線は右へ左へカーブを繰り返しつつ
どんどん標高を上げていきます。左手に小さな湖、碓氷湖を眺めたら
いよいよ線路と接近する地点にやって来ました。
碓氷旧線にて
碓氷旧線にて

明治期に開通した旧信越本線の線路跡は
今や遊歩道として整備され、
自由に歩けるようになっています。
向こうの谷に架かる橋は碓氷新線の橋梁跡。
ここでちょっとした解説を加えますと、
横川の山を越える信越の峠は
平安時代から東国へ通じる重要な街道とされてきて
明治の近代化においても鉄道開設の必要性が早期から指摘された場所。
しかし急激な坂を越えるための技術は当時の鉄道技術水準からすると
非常に難しいものであると同時に、そもそも線路を敷設し
谷を越える橋や山をくり貫くトンネルを建設するのも難事業でありました。
とは言え、信越を繋ぐ鉄路は何としても必要なものであり
血と汗の努力を重ねに重ね、ようやく開通の運びとなったのです。
この当時、重量のある車両を登坂させ、また安全に降坂させるために
アプトレールと呼ばれる歯車のレールが左右のレールの間に敷設され
この歯車を機関車に取り付けられた歯車と噛み合わせて
山の上り下りをさせていたのです。こうした方式の鉄道をアプト式と言います。
つまり、信越線の線路は世にも珍しい3本のレールで構成されていたのです。
碓氷旧線のトンネル
碓氷旧線のトンネル

旧線の遊歩道はトンネルも通れるようになっていました。
(何でも、今は閉鎖されているとかいないとか?)
御丁寧に、歩行者のためにちゃんと照明も点灯していたんですよ。
この写真はトンネル3連発を1枚にまとめてみたものです。
さて、明治の突貫工事で登場したアプト式鉄道でしたが
その後の技術革新で強力な動力源とブレーキを装備した車両が開発され
同時に、線路の設置位置もより通行し易い場所に変更されていきます。
これにより、碓氷旧線は廃止され新線へと切り替わりました。
そうして信越の礎となっていた碓氷峠の鉄道路線でしたが
西暦2000年、長野冬季オリンピック開催に間に合わせるために
長野行新幹線(北陸新幹線長野路線)が開通する事になり
碓氷峠の在来路線は全廃される事となってしまったのです。しかし、
鉄道史のみならず、明治近代化以来の日本史に重要な役割を果たしてきた
碓氷峠の鉄道が消える事を惜しむ声は数限りなく
遂に路線跡が文化施設として生まれ変わる事になったのであります。
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁

旧線の中でも最大の目玉がこれ、碓氷峠第三橋梁です。
明治時代からのレンガ積み橋梁が今でもしっかり残っています。
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁

碓氷峠第三橋梁はその形状から
通称で「めがね橋」と呼ばれています。
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁
鉄道記念物 碓氷峠第三橋梁

下から見上げるとかなりの高さですね。
ここは我々の他にも見物客が何組も訪れていました。

明治の近代化遺産をじっくりと見学し、ただただ満足。
鉄道ファンだけのマニアックなものではなく、
ここは一般の観光客でも見ごたえのある名所と言えましょうな。
さて、再び横川へと帰ってきた我々は、高速に乗らず
そのまま国道18号線を東へ。高崎市からなお東へ進み
目指した先は黒保根村。渡良瀬川に沿って走るわたらせ渓谷鐡道、
そのわたらせ渓谷鐡道に沿って走る国道122号線に入り(←ややこし)
到着したのは水沼駅です。わたらせ渓谷鐡道の水沼駅には
温泉センターが併設されていて、旅の疲れを取るために
ふぁ〜む氏のお導きで入浴しに来たわけ。
いやー、露天風呂なんて久しぶりだなぁ。
何より、ここが駅だってのが笑えますな。
碓氷峠にわ鐡、とことん鉄道三昧のドライブ…ん?
鉄道を追いかける旅なのに車で移動とは、これ如何に(笑)

風呂上がりでサッパリし、帰路に着きます。
のんびりと一般道で東京方面へ戻りましたが
さすがにくたびれて、しかも風呂でリラックスしてしまったので
思わず眠気が…。途中のコンビニで仮眠を取り、
更にのんびりと帰参したのでありました。
それにしても碓氷峠の鉄道遺産、素晴らしいッスね! (^-^)
新幹線ができたから廃線って、やっぱり信じられない…。


◆◇◆ 平安の 御世から重き 峠道 今や遺産の 雨めがね橋 ◆◇◆




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